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二. 絶望ハンバーグ工場

 最近分かってきた事がある。


「××××! ×××××! ××肉!!」

 さすが宿の厨房を預かるコック長、の罵声を毎日聞き続けただけはある。「肉」という単語だけは分かるようになった。

 恐らくそのうち「魚」や「野菜」も分かるようになるかもしれない。しかしよくよく考えると、魚や野菜はアジだのサンマだのキャベツだの固有名詞で呼ぶような気がする。こっちの文化ではどうだか知らないが。


 再びコック長の怒声が上がる。

 怒っているのだ。原因は俺にある。皿洗いが遅い。

「ハイ、すみません……」

 と慇懃に謝り、水のポンプをがしゃこんがしゃこんと稼動させる。

 この世界の水道はそれほど発達していない。蛇口を捻るのではなく、ポンプのレバーを上下させて水をくみ上げて使っている。

 街には水路が張り巡らされているがその殆どが剥き出しであり、衛生面で酷く不安だった。

 だが実際は世界のそれとは比べ物にならないぐらい水面は澄んでいる。俺の不安はすぐに解消された。ありがとう大自然。市販のミネラルウォーターも天然水だと知ったのはごく最近である。あれ、記憶戻ってるのか? 便利な記憶喪失だな。

 

 レバーをガシャコンガシャコンしながらぼんやり思考を巡らせていると、ざあ、と水の溢れる音が耳に届いた。直後、洗い場から水が溢れて零れる。すぐに石畳の床が水浸しになった。

「×××!? ×××××! ××××肉!」

 すぐさま罵声が飛んでくる。

 慇懃に俺が謝る。が、コック長の怒りは収まらない。

「×××××! ××××! 肉! 肉!」

 相変わらず口汚く罵られている雰囲気だけは伝わってくる。何故か俺を指差しながら肉肉と連呼しているが、何なのだろうか。


 なおも謝罪と罵声で不毛なやり取りをしていると、厨房の入口から一人の女性が顔を出した。

「×××。×××××。×××、××××?」

 その女性はやんわりと諭すように言った。

 声に振り向いたコック長は勢いそのままに女性と二、三やりとりした後、大きなため息をついた。

「×××××肉」

 俺をジロりと睨みながら吐き捨てると、コック長は自分の持ち場へと戻っていった。


「××××? ×××××」

 大丈夫? 的なニュアンスのことを言いながら女性がこちらへとやってきた。

「あ、ハイ。ダイジョブです。ありがとうございます」

 ぺこりと素直に頭を下げる。

「××××」

 恐らく「よかった」的な事を言って、彼女はにこりと微笑んだ。


 彼女はこの宿のスタッフであるらしい。

 今までの様子から見てコック長と親しい間柄にあるようだが、夫婦と言った風ではない。どちらかと言えば家族、父と娘のようである。

 それにしては似ていない。無骨で威圧的、暴力の権化のようなコック長とは違い、彼女の見た目は可憐である。

 白い肌に青い目。体つきは全体的に華奢なのに服の上からでも分かるぐらいスタイルは良く、肩口で内側にカールした茶髪は軽やかで良く似合っている。要するに美人である。年齢的には美少女と言ったほうが良いかもしれない。

 

「××××」

 彼女は俺に雑巾を手渡した。

 これで床を拭けと言う事だろう。

 素直に受け取り水溜りと化した床を綺麗にする。と、彼女も同じように雑巾を手にして床を拭き始めた。


 何も言わずに彼女の方を見ると、それに気付いた彼女は顔を上げて、微笑んだ。

 地獄に仏、いやコキュートスに女神である。この絶望的状況下において彼女だけが俺の心の避難所であり、癒しである。

 

 この世界でもやっていけるかもしれない。彼女が居てくれるのなら。

 そう思った翌日、悲劇は起こった。


 ガシャン、と景気のいい音がして食器が割れた。

 俺の不注意だ。洗剤で滑ったのだ。

 音を聞きつけてすぐさまコック長が駆けつけてくる。そして割れた食器を見て、

「×××――」

 無念そうに眉をひそめた。

 てっきり怒鳴られるものだとばかり思っていた。肩透かしである。

「すみませんでした」

 謝る。

 と、コック長は睨むでもなく、なにやら運ばれていく子牛を見るような目で俺を見ていた。

 疑問に思った直後、厨房に彼女が顔を出す。なにやら言い出そうと口を開きかけて、俺の足元を見てその動きが止まった。視線は割れた食器に注がれている。

「……」

 彼女がすう、と目を細める。コック長が頭を抱える。

 そして彼女は一言だけ、


「肉」


 と言って俺を指差すと、きびすを返して去っていった……ってちょっと待って欲しい。え? 肉?


 コック長はこちらへと優しく近づき、戸惑う俺を背後からがっちりと抱え込んだ。

「えっ?」


 そして俺は連行された。

 連れて行かれた先は、家畜と巨大な包丁と血まみれの男達と美味しそうなお肉が並ぶ、厨房のような広い場所だった。


 言葉は分からない。分からないがここが何の場所かは分かる。

 

 ハンバーグ工場。


 みっともなく泣き叫び、手足をバタつかせる。後悔があとからあとから押し寄せてくる。どうしてこんな目に。帰りたい。異世界へなんてこなければ良かった。


 必死の抵抗も虚しく俺は血まみれの男達の手によって、ドアの奥へと押し込まれた。

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