憔悴
今でもあのときの自分が過敏すぎると、笑い飛ばすことなどできない。チェルノブイリを知っている世代であるからこそ子供を持つ親達はぴりぴりとしていたのだ。
外で遊ぶ子供の姿が街から消え、道行く人は誰も仰々しいマスクを当たり前のようにつけている。花粉の季節でもお目にかからないような、業務用の防塵マスクをしている人を見たのは生まれてはじめてであった。
水道の水源から基準値を超える放射能物質が検出されて、乳幼児に水道水を飲ませないようにとお達しが出た日もある。水のペットボトルは店頭に並ぶよりも先に売り切れ、乾電池、パン、インスタントラーメン、缶詰など……飛ぶように売れてゆくのに、入荷は十分ではない。
そしてさらに人々の気を滅入らせたのが節電である。全ての店舗はこぞって看板を消し、店内の照明も最小限にということで、半分ほどが消された。商品の並んでいない棚が目立つ店舗は余計に薄暗く感じられる。買い物さえもが主婦にとって苦痛であった。
そんな中、東電が打ち出した計画停電は彼女の周りでは大不興であった。
「なんで旭が入っているのよ、八街もっ!」
自分たちの不便を語るよりも、先にそこが話題に上るのは人間の善なる性質の一端だろう。旭はこの街から最も近い『被災地』だ。人死にが出るほどの大津波の猛威は人づてに、また直接に伝わってくる。
余談だが震災からだいぶたったある日、風呂屋で一緒になったおばさんに津波の体験談を語られたことがある。たまたま旭の入浴施設にいた彼女は地震後すぐ、逃げるようにと指示されて下着さえもビニールに突っ込んで車で逃げ出したそうだ。
「すぐ後ろの車が津波に飲まれるのが見えてねエ……」
そんな九死に一生談を聞かされれば、命までは危険にさらすことのなかった自分の身が恥ずかしくもなるのだろう。
そして八街は隣接する市ではあるが、二日に及ぶ大停電で打撃を受けた。
「そんなところから停電しなくっても、ねえ?」
おまけに計画に備えて苦痛でしかない買い物に奔走し、太陽電池式のライトや調理不要の食材などを買い込んだ万端の準備をあざ笑うかのように、実施されたのは僅か数回。市井の主婦の目線から見ても『無計画停電』と言わざるをえない。とにもかくにも、その無計画っぷりに踊らされて人々は無駄に疲弊した。
流言も日に日に増えてゆく。どこから仕入れてきた話なのか「放射能にはヨーグルトが良いらしい」と言い出した夫君に命じられて、物資不足のスーパーを何件もまわったこともある。ガソリン不足の折、もちろん移動手段は自転車だ。
気晴らしにテレビをつければ報道番組、おまけにCMは「ぽぽぽぽーん」を繰り返す。
……そんな非日常は彼女の精神を間違いなく蝕みはじめていた。
余震による不眠が続いたことも良くなかったのだろう。胸のうちにふつふつと増えてゆく不安感を制御しきれず喚き散らすことが多くなった。そんな彼女を受け止めるに、夫は幼すぎたのだ。口汚い罵りあいはいつも、妻の涙と夫の暴言で締めくくられる。
リビングの壁に一筋走った小さな亀裂のように、夫婦の間に生じたそのひびは少しずつ大きくなっていくのだった。




