物理的に無理
スーパーに着けば誰も考えることは同じと見えて、目当ての商品たちは残り少なだった。それでもふた袋程度のラーメンと幾種かの菓子類を買って家に帰り着けば、夫からの電話が鳴った。
「何で出ないのっ?」
「ちょうど買い物に行っていて……」
「何回かけても出ないじゃないか、子供達はっ?」
ちゃんと家にいる。そんなに何回も電話をかけたのなら気づかないはずは無い。
「電話が混雑してるからじゃないの」
「はあ? 意味わかんない。お前また実家とかに電話、かけまくってるのか」
「……いや、そうじゃなくて……」
「……まあいいや、とりあえず迎えに来て!」
「今見てきたけど、渋滞がすごくて無理だよ」
「無理なわけがあるかっ! いくらお前がバカでも裏道くらい……」
彼女の脳髄が怒りに撫でられ、ぞわっと駆け上がる血流が沸点に達した瞬間、罵声が彼女の口をついた。
「うるせえっ! がたがた言わずに歩けっ!」
普段が温厚であるゆえに彼女の怒りは瞬間沸騰だ。おまけに生来の声量もあって怒鳴り声は相当にうるさい。
「うるさいのはお前だっ! 何でも怒鳴ればすむってモンじゃないぞ、そうやっていつでも脅すような真似ばかり……」
ぐちぐちと切り返す夫の言葉に、彼女の声は冷たい。
「じゃあ怒鳴らずに言ってやるよ……おそらく迎えには行けなくなると、ちゃんとお伝えしましたよねぇ? それでもパチンコを選んだのはあなた自身です。そしてここで回線を一つ使って喧嘩などしているのは、全くの無駄!」
彼女自身、冷め切っている自分の気持ちに戸惑っていた。この夫婦の喧嘩といえば怒鳴り合いが常である。子供のようなわがままと挑発にぶちきれた彼女がヒステリックに叫び、夫はそんな彼女を「怒鳴ることしかできないキチガイ」と罵るという……近所でも有名な壮絶さなのだ。
だが今は怒鳴る気にすらならない。彼女の心は固く閉ざされ、この男を拒絶しようとしていた。
「帰ってこなくても結構です」
「ままままっ! 待って待って」
夫が舌足らずな声を作る。
「歩いてなんて帰れないよぉ。死んじゃうよぉ? 俺が死んじゃったら、悲ちいでちょ?」
いつもなら妻の怒りを収める必殺の口説き文句なのだが、この日の彼女にはその言葉すら届きはしなかった。
「物理的に無理」
それ以上の言葉など許さず、彼女は電話を切る。
徒歩で夫が帰りついたのは辺りが暗くなってからのことだった。




