収束
妻が最初にしたのは夫の所有物をすべてクローゼット一つにまとめてしまうことだった。洗濯物のたたみ方にまで文句をつけられるのなら、たたまなければいい。ごみにしか見えないパンフレット類がそんなに大事なら好きなだけとっておけばいい。
『妻』の仕事を手放してしまえば不思議なもので、あれほど苦痛だった家事が少しずつ楽になる。三年ぶりに風呂場の天井までを磨き上げた彼女は二度と『妻』には戻るまいと心に決めた。
夫から愛を受ける必要など無い。望む主婦像と違うというのなら、いつでも捨ててくれればいいではないか……
子供達はそんな母親を容認した。幼い頃より一般の父親がするような遊びは全て彼女の任だったのだから当たり前だ。おんぶも、抱っこも、ひょいと片側の肩に子供を担いで歩き回る『巨大ロボットごっこ』などは近所の男の子達が列を成すほどに大盛況であった。今更『母親』が『父親』になったところで驚きなどしない。
むしろ変化にうろたえ、不安定になったのは夫のほうである。なだめすかし、脅し、怒鳴りつけて彼女の心を引き戻そうと試みた。いつものように「仕方ないなぁ」と言ってもらえることを期待して甘えたりもしたが、全ては徒労に終わった。
「別にあんたに頼らなくても、毎日コンビニに買いに行かされているビール代、タバコ代、それにここぞとばかりに高い店を選ぶ外食代を削れば、相当に余裕がある。ケータイも自分で契約するから一度解約してくれて結構だけど?」
夫が怒鳴る。
「お前みたいなバカがケータイ代なんか真っ当に払えるもんかっ!」
「いや、払えそうだけど? 具体的なプランも聞いてきたし、機種変扱いなら……」
「無理無理っ!」
「以前から言っていることだけど扶養はずしてくれて構わないよ。昼のバイトも探せば、保険も自分で払って、税金も払って、それでも生活がまわせるだけの金額は稼げる」
「『お前には』無理だって」
「うん、子供を連れては無理かもしれない。でもすぐそこの、コンビニの前にあるアパートは家賃も安いし、俺一人くらいなら食っていけそうなんだよね」
「バカじゃないの、一人暮らしって大変なんだぞ。光熱費も家賃も自分で払わなくちゃいけないんだぞ。金だけじゃない。寂しいし、誰も守ってくれないんだからな!」
「……その代わり、無駄遣いを強いる相手もいなくなる。そうやって二言目にはバカだのアホだの罵られることもなくなる」
「じゃあ……じゃあ馬鹿って言うのやめるから!」
「それに、今度の地震で解った。子供達とは何が起きても助け合って生きていけるけど、お前、邪魔。」
夫が再び何かを怒鳴りだす。おそらく悪口の羅列であろうが、彼女はそれを聞く気も、止める気も、もはや無かった。
完全に力関係の逆転した夫婦関係は以前より良好になった。
夫は生活費に稼ぎを回すようになり、妻のやることにいちいち文句をつけるようなことも無くなった。だが、一度失ってしまった彼女の心を手に入れる日は、彼には訪れないだろう。
生来の自由さを取り戻した彼女は知っている。少しでも許すそぶりを見せれば再び自由の翼をもがれるであろう事を。
人間の生来の性質など変わりはしない。彼は妻の粗相を見つけると大喜びで罵りの種にすることを止めようとはしないし、わがままなおねだりも相変わらずだ。妻がそれを相手にしなくなっただけの話である。
小さなひびから崩れ落ちた夫婦関係は二度と修復されることはないだろう。新たな関係を瓦礫の上に築き上げるには妻は女として規格外で、夫は幼すぎる。
それでも甘やかし続けた自分の非を認めて彼女が与えた猶予は三年。
この物語がハッピーエンドで終わるのか、それとも別れに向かっているのか、まだ誰にも解らないのである。




