インコグニート・プロトコル
午前三時、東京都内某所。無人のコワーキングスペースに設置された端末の前で、沢渡は無言のまま指を動かしていた。
彼はキーボードを素早く打ち込みながら、表情をほとんど変えず画面の情報を読み取っている。
だが、沢渡が見ているのは決して孤独な戦いではなかった。
隣の端末では真鍋隼人が状況をリアルタイムで追い、高城誠は別の回線からバックアップの通信トレースを試みている。
「沢渡、ログの転送状況はどうだ?」高城の声が静かな室内に響く。
「問題なし。今は相手の反応を探っている段階だ」
無言のまま、彼らは画面に集中する。
敵はまだ正体を明かさないが、第零分隊の結束は揺るがない。
――この静かな連携の裏側で、沢渡は画面の中に潜む微かなズレを拾い上げていく。
ブラウザはダミーVPNを三重にかけ、アカウントは一夜限りの焼き捨てID。
接続先は、ディープウェブのさらに下――既知の匿名ネットワークのいずれにも属さない、不可視領域のフォーラムだった。
【/thread: Kaleido-B Side Access_3】
そこには、動画投稿者〈カレイド〉に関連する情報が断片的に交わされていた。
“共鳴者たち”と呼ばれるアカウント群が、言葉少なに情報をやりとりしている。語彙は極めて抽象的。
「開花したか?」「第五の鍵が応答した」「迷路は揃った」
沢渡は目を細めた。
この文体。この“詩的に見せかけた符牒”。単独犯の痕跡ではない。
そして何より、返答のタイミング――即答ではない。数十秒の間を空け、言葉を選び、整え、揃えてから投稿されている。
「会話してないな。これは、演出された“やり取り”だ」
つまり投稿者たちは、リアルタイムで個別に存在している複数人ではなく、
一つの“中枢”から投稿されている可能性がある。
複数の人格を装いながら、あえて分散性を演出している――それも、誰かに見せるために。
ログを遡る。書き込みには不自然な“沈黙の均衡”がある。
誰かが発言するまでの“待機時間”が、まるでプログラムのウェイト関数のように均一だった。
「これ、オートマトンか?」
いや違う。完全な自動生成ではない。
人間の言語的“もたつき”が含まれている。語彙の選び方にその傾向があった。
“可能性を秘めている”という文に、“エネルギーを込められている”と返す。
発音の近似性、意味のずれ、文法的な反復。
「……複数人だ。そして、そこに統一された思想がある」
背後にいるのは一人のカリスマではない。
少人数の集団。そして言語を“構築する”思考。
これは過激派ではない。これは“操作の専門家”たちだ。
そのとき、別の窓で通知が入った。
プロキシ越しの仕掛けたクローラーが、ある既知の教育団体系サーバから定期外アクセスの異常を感知。
「隠れていないな。あえて“外”から覗かせている……情報操作の反射実験か?」
沢渡はマウスを握り直し、表示されるIPアドレスを睨んだ。
手がかりは、そこから広がっていく。彼が仕掛けた数本のボットが、非正規API経由でログを吸い上げはじめる。
やがて、その通信先の中に“既視感のある構文”が混じっていることに気づく。
――匿名都市事件で使われた、“ノイズを擬態する転送規約”だ。
「繋がったな。あの事件と、同じ指が動いてる」
深夜の光の中で、沢渡の目だけが静かに燃えていた。
(続く)




