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三本目・医者が治療したわ

 一枚の看板が見えた。そこには『どんな怪我病気でも治療します』と書かれていた。

 少女はその看板を素通りしようとした。

 しかし看板の後ろから出てきた男に声をかけられた。

「そこの貴方、豚足を持っていますね」

 男の声に少女は振り向く。

 男は白衣に聴診器、くたびれたスーツに柔和な顔つき。

 一見して彼の姿は医者だった。

 医者は言う。

「ああ、そう警戒しないでください。少し待っていて欲しいんです。すぐ終わりますから」

 少女は医者の言葉通り待つことにした。

 医者が何をするのかと見れば、先ほど読みもしなかった看板を引き抜いた。

 看板を投げ捨て野山の中に隠れてしまった。

 野山に捨てられた看板は二度と誰も読まれることはないだろう。

「これでおしまい。待たせたね」

 手を叩いて汚れを落とすと、医者は少女の方を改めて見た。

「見ての通り僕は医者なんだけどさ、もう医者は終わりにするんだ。実のことを言うと医者としての治療は全て豚足の力でやっていたんだ」

 白衣から豚足を出す。

 少女がポシェットの中に隠し持っている豚足と同じ物だと直感でわかった。

「君も……豚足の使い手なんだろう?」

 豚足の使い手。

 呪われた豚足を持つ者はその力に囚われ、身を滅ぼすと言われている。

 少女は静かに頷いた。

 心構えとしては戦うよりも逃げ出す準備をした。

「やっぱり君は僕と同じように豚足を使って戦うような人じゃないんだね。よくわかるよ」

 医者は嬉しいような困ったような顔をして提案する。

「そうだ、よければ僕の家でお茶をしないか?」

 その提案に少女は、お茶をいただくわ、と答えた。


  *


 案内された個人病院には看板は無かった。

 しかし看板掲載していた形跡があり、その年月は十何年かするものだとわかる汚れ具合だった。

 院内は消毒液の匂いが残っており、つい最近まで病院として機能していたことが伺えた。

「ここは、小児科だったみたいだわ」

「そうだよ」

 子供向けのPOPな壁紙と絵本がいくつもあり、医者と子供が写っている写真がいくつもあった。

「随分と多くの人に信頼されていたように見えるわ」

「ああ、おかげさまでね。多くの人に信頼してもらって、惜しまれながら閉院したよ」

 男が案内したのは診察室で、少女は患者用の子供椅子に座った。

 すぐに紅茶が用意され、男は二つのカップのどちらかを選ばせた。

 残った方の紅茶を先に飲んで毒がないことを証明した。

「何やら旅慣れているね。どこから来たんだい?」

「遠くだわ」

「どれくらい旅をしているんだい?」

「長い時間だわ」

「なるほどなるほど」

 曖昧な回答でも男は笑みで受け止めた。

「いや。それでいいんだ。これから君がどこに行くのか、どこへ帰るのか僕は知らないほうがいい。危険な豚足から足を洗うという事はそういう事だと思う」

 男は続ける。

「改めて……君にこの豚足を持って行ってほしいんだ。この呪われた豚足は『人から何かを奪うことができる』豚足なんだ」


  *


 昔、ある男がいた。

 男は特に取り柄があるわけでもなく、何かの才能に突出していたわけでもなかった。

 友人関係が広いわけでは無く、特定の友人が何人かいるくらいの普通の男だった。

 ある日、運悪く男は呪われた豚足を手に入れてしまった。

 いつどこでどうやって手に入れたかは不明だ。

 疑心暗鬼のまま男は豚足を使い、最初に奪ったものは金だった。

 男は手当たり次第に金を奪い豪遊をした。

 それを良く思わない人はたくさんいたが、男を止められる者もいなかった。

 豚足の力で『暴力』すらも奪うことができた。

 遠くから撃ち殺そうとすれば、近くの人間の命を奪い、狙撃手から依頼人の記憶すらも奪った。

 力を使うことに躊躇いはなくなり、逆らう者から何でも奪うようになった。

 特技も、家も、恋人も、手当りしたい人の寿命まで奪うようになってくると、男の周りには誰もいなくなっていた。

 それでも男は遠出をしてでも奪い続け、奪っては貪り、暴食の限りを続けた。

 しかしある時、男は人間の器の限界に気づいた。

 食べても満たされる。

 いつかは必ず飽きが来る。

 永遠に求め続け、永遠に強奪し、永遠に満たされないことを望んだ。

 そして、男は人の器では耐えられないものを奪った。

 シロナガスクジラの口と胃と心臓。

 シロナガスクジラは地球上で最も巨大な動物として知られるクジラ。

 体長は平均25〜30m。最大で33mに達する個体もある。体重は最大になると200トンを超え、大型のジェット機1機分にも相当する。

 1日で約4トンの食事を必要とし、口に約400枚のヒゲ板があり、これでプランクトンを濾過して食べる。

 心臓は大人の背丈を超える大きさで、1回の鼓動で10L以上の血液を送る。人間が中に入れるほど巨大な心臓をしている。

 恐竜の時代を除けば史上最大の生き物。

 そんな馬鹿げた大きさのシロナガスクジラの口と内臓と心臓を奪った。

 人間がそんな物を奪ったらどうなる?

 答えは簡単だ。

 自ら立つこともできない化け物になるだけだ。

 シロナガスクジラの口に体からはみ出るほどの胃と心臓が付いた化け物は簡単に倒れて起き上がることができない。

 空腹に口を開いては人間の声帯で情けなく泣く。

 この男が持っていた豚足は後少しで手が届く場所にあるのに、どんなに手を伸ばしても届かない。

 男は多くの人間から寿命を奪っているので、簡単に死ぬこともできなかった。

 毎日4トンもの食事を欲し、腐敗臭。

 無駄に10Lもの血液を循環させ、血を撒き散らす。

 馬鹿デカい口を開けたまま、悲鳴にならない悲鳴をあげる。

 こうして男は奪ってきたもので破産したのだった。


  *


「と、言うのがこの豚足の前の持ち主がやった事なのさ」

「随分詳しく話すから、てっきりその男が貴方だって話だと思っていたわ」

「ははは。付き合いがあったから詳しく知っているんだ」

 医者は紅茶を一杯飲む。

「あの男は妹の婚約者だったんだ。妹はもう寿命を奪われてこの世にいないよ」

「それはとても悲しい話だと思うわ」

「何人の命を奪ったのかそこまではわからないが、動けなくなってから3ヶ月食事をしなくても死ななかったんだ。それから何回か銃で撃ち殺してみたんだけどさ、その傷も回復するくらい生命力がありあまっていてね……この中に妹の命も入っているかと思うと、銃で殺す気もなくなってしまったんだ」

 妹の事を思い出してしまったのか、目を閉じてしまった。

 涙が収まるまで少し沈黙が続いた。

「ふう、妹のことは今でも鮮明に思い出せるよ。両親がいなかったからね、たった一人の大事な妹だったんだ。豚足を手にいれる前の男だって悪いやつじゃなかったんだ。だから結婚だって祝福していたんだ。それなのに豚足は全てをメチャクチャにしたんだ」

 行き場のない怒りも悲しみも医者の中では今でも渦巻いているのが伝わった。

「だから、奪い返すしかなかった。この呪われた豚足の力を使ってでも! ……残念なことに、何を奪ったとしても死んでいる者を蘇らせることはできない。何をしても元には戻らない」

 診察室のデスクに一枚の写真が飾られている。

「豚足を使った男は、僕からすれば親友だったんだ」

 結婚式の写真だろう。医者とウェディングドレスの女性と黒く塗りつぶされた男の三人の写真。

「僕はあまりにも豚足が憎くて仕方なかった。だから研究した。豚足はどのようにして動いているのか、どうやって物や概念を奪っているのか、そしてわかったのが豚足は生きていること。使用者を選び欲望を掻き立て、能力を使わせ、使用者を中毒にさせる。それがこの呪われた豚足の基本的な構造。そして豚足は複数本存在し、豚足によって憑いている呪いは違う。この豚足が強奪の呪いと呼ぶとして、どんな物体や概念も一度豚足が吸収し所有者に付与することで強奪が完了する。ならこの所有者に付与する瞬間に第三者を仲介すればその付与は第三者に行き渡るのではないか? 仮説、検査、査定、検査、仮説……なんども検証を往復して、ついに第三者へ生命力を譲渡する方法が確立したんだ」

「そして、この病院を作ったのね」

「正確には廃病院を買い取って建て直したのさ」

「患者はそのことを知っていたの?」

「全員一人も知らないよ。看護婦もね。あの男から生命力を奪い、豚足に溜めて患者に流し込む。どんな薬よりもよく効いて、どんな怪我でも塞がったよ。切り離された腕でも生命力を流し込めれば繋げることができた。どんな怪我でも塞いだし、どんな病気でも治した。知名度なんて一瞬で爆発して地方からいろいろな患者が来て、治せる者は全員治した。そして、終わりが来たのさ」

「男が死んだってこと?」

「そうさ。あの男が奪ってきた命がようやく底をついたんだ。治療した回数は10万回を超えた。10万人もの命を救ったのなら、僕は十分やったと思う。自己満足のための復讐だったが僕の体も呪いの影響で限界まで来ている。患者も看護師もほかの病院に分散させ、ようやく閉院することができた。それと、一枚だけ看板を撤去するのを忘れていてね、ちょうど今日、君に出会えたのはまるで運命だと思わないかい?」

「たしかに運命のように思えるわ、でも、私が豚足を受け取るに値する人間とも限らないわ」

「例え君が豚足を持つに値しない人間だとしても、この話を最後まで聞いてくれたならお礼としてこの豚足を渡すことができる。受け取ってくれないか」

「わかったわ、でも受け取るには一つだけ条件があるわ」

「なんだい?」

「私はダンディ時計兎を探しているわ」

「うむ……ダンディ時計兎か。患者の名簿はもう消去しているが、その名前は一度も聞いたことはないかな」

「それは残念だわ」

「君とこうして会話ができたのがとても嬉しいよ」

「会話なんてしようと思えばいくらでもできるわ」

「そうじゃないんだ。僕はもう呪いで記憶と現実が混合しているんだ。目を開けていればどこかで妹夫婦が笑っているように見える。大怪我を救った患者の笑顔も見える。でも目を閉じるとね……」


ーー死んでいる妹、化け物になった親友、豚足によって奪われて廃人になった人々の地獄絵図が見えてくるんだ。シロナガスクジラの化け物が殺してくれと泣いているんだーー


「だから、もう、普通の人として生活することができない。目を開けていれば天国、閉じれば地獄。このまま豚足を持っていれば、気が狂って天国を増やそうと暴走してしまうかもしれない。誰かを苦しめてしまう可能性がある。まだ判断ができる内に、この豚足を持って行ってほしい。僕の手が届かないところへ。さあ」

 医者は豚足を少女に手渡した。

「そこまで言うのなら、持って行くわ」

 少女は豚足を受け取り、ポシェットに入れた。

「ありがとう」

 医者は感謝を伝え、少女は席を立った。

「そういえば、君の名前を聞いていなかったね」

「私はアウバトーレ・ロドリゲス8世だわ」

「アリスか……いい名前だね」

「私も先生に伝えるべき言葉があるわ」

「なんだい?」

「お仕事ご苦労様でした」

「僕は復讐を成し遂げただけさ。礼を言われる筋合いは……無いはずなんだけど……ああ、でも、僕が見ている記憶はそれだけの価値はあったかな」

 医者はニコリと笑った。

 アリスは頭を下げると診察室を出て行った。


  *


 アリスが豚足を持って行いくと、

 医者の目の前にある幸福な記憶は光を失って行く。

 多くの子供達と親子、妹夫婦の笑顔。

 残ったのは、寂れた病院の診察室。

 今からアリスを追いかけ、豚足を奪い取れば目の前の光景は元に戻るかもしれない。

 医者は目を閉じず、開けたまま。

 机の中から一丁の拳銃を取り出す。

 このまま幸福の世界で、彼は人生をーー


  *


 少女は歩き続ける。

 その目的はダンディ時計兎を探し出すということ。

 ポシェットの中に豚足があろうがなかろうが目的は変わらない。

 次の街で、出会いで、人で、何か情報が得られることを期待して、

 少女は歩みを止めない。


ーー続くーー

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