スマホ
カンナはこの日も起床すると、普段通り身支度を済ませて普段通りPCの前に座った。時刻は7時ちょうど。普段よりも余裕のある時間だった。
「おはようございます。今日は早いですね」
PCからYの声が聞こえる。向こうもカンナの行動の早さに気づいているようだ。
「ええ。先日届いた、こちらについてお尋ねしたかったもので」
カンナの手には、四角い物体が握られていた。
遡ること十数時間前。カンナの元にまた届け物が来ていた。Yはいつものように、夜になると早々に通信を切ってしまったため、カンナは朝早くに聞き出そうと計画していたのだった。
「それですか。それはスマートフォンといいます。簡単に言えば高性能の携帯電話といったところでしょうか」
「はぁ、なるほど。これを私にいただけるということですか?」
「そうです。あなたは勘違いが多いですし、それで調べものもできますから、生活に役立ててください」
それからカンナは、新たにスマートフォンを持って学校へと向かった。
「よう、今日は一番早いな」
教室に到着し、着席していたカンナの元に、キセキとコンが同時にやってきた。
コンはカンナの手にいち早く注目すると、目の色を変えて興奮しだした。
「そ、それは……! まさかスマホ? どうしたのそれ!?」
「これですか? スマホではなくスマートフォンというものらしいです。その……知り合いから譲り受けまして」
「いやいや、スマートフォンの略がスマホなんだよ。だけど持ってる奴あんまり見たことないな。時代を先取りってか?」
この時は2012年である。この時期はスマートフォンの普及率は低く、まだ珍しい代物であった。
「いいなぁ……。あたしもスマホ欲しいなぁ。LINENとかクッツケターとかやってみたかったんだ」
「親に頼んでみれば?」
「許してくんないよ。今の携帯だって、やっと買ってもらえたんだもん。……でも、自分のお金で買うなら文句言われないよね?」
コンは何かを企むような、不敵な笑みを浮かべた。
「もしかして、自分で買うのか?」
「ふふふ、こんなこともあろうかと、バイト代を貯めといたのよ。全てはこの時のためにってね」
誇らしげに、コンは人差し指を立てて頭上に掲げた。
「と、いうわけで、今日も放課後に三人で集合ね。一緒にスマホ買いに行こ?」
「三人でって、俺もか?」
キセキは明らかに渋い表情で答えた。
「当然でしょ。あたし一人じゃなんか心細いというか、どれがいいかわかんないし。一緒に見てほしいの」
「私は構いませんよ」
「さっすがカンナさん。話がわかる〜。誰かさんと違って」
コンは後ろからカンナの両肩に手を添え、流し目でキセキを見た。
「わかったよ。付き合えばいいんだろ?」
「そうそう。そんじゃ、よろしくねん」
満足げに、コンは自席へと戻っていった。
放課後。コンたち三人は町の携帯ショップにーーーいなかった。
その日の掃除当番は三人であり、やむなく教室の掃除を行なっていた。
「あーあ、ついてないな。こんな日に当番なんて」
「仕方ありません。早く終わらせて、買いに行きましょう」
「カンナさんが言うならしょうがないか。さっさとやっちゃお」
コンは早く掃除を終わらさんと、テキパキと動き始めた。
あらかたの作業が終わり、掃除用具の入るロッカーの上段に物をしまおうとしたコンだったが、彼女の身長ではなかなか届かなかった。
「うーん、もうちょっとなんだけど……」
「大丈夫? やってあげるよ」
コンの背後から聞こえた声の主は、彼女の手から物を取り上げると簡単にしまい込んだ。
「お、ありがと。助かったよキセキ……?」
振り返って礼を言おうとしたコンだったが、すぐに違和感に気づいた。
声の主は、キセキよりもかなり背の高い男子生徒だった。短髪でがっしりとした体格で、威圧感を与える風貌だった。
「あ、ごめんなさい。人違いでした」
「いいよ。どういたしまして」
男子生徒は笑顔で答えると踵を返し、教室を出ていった。
「びっくりしたぁ。キセキかと思ったけど、あんなにイケボじゃないもんね」
「悪かったな。でもさっきの、すごい背デカかったな。俺もちょっとヒヤヒヤした」
「ホントホント。あの人、確かうちのクラスの人だよね。えーと、何て言ったっけ……」
コンが頭に指を当てて考えると、カンナは横から口を挟んだ。
「経堂さん、だったと思います」
「あ、そうそう。確かそうだった。あんなに大きいのに、なんか地味だったから忘れてたよ。キセキほどじゃないけど」
「悪かったな。それより、スマホ探しに行くんじゃなかったのか」
「そうだった。早く行こ」
三人は後始末を終え、今度こそ放課後の町へ繰り出した。
その後、町を歩くコンたちだったが、その足取りは重々しかった。
三人は携帯ショップや家電量販店を巡った。しかし、コンはスマホを探すことを通じ、現実の厳しさをひとつ実感したのだった。
「まぁ、そんなに気を落とすなよ。これからまた稼げばいいじゃんか」
キセキの慰めの言葉も、コンにはあまり響いていなかった。
「……だってさ、あんなに高いとは思わないじゃん? とてもじゃないけど、あたしの今の稼ぎじゃ全然買えないし。それに月々の料金も見たら気が遠くなりそうで……」
コンは大きくため息をついた。カンナはコンを気の毒に思い、何かいい方法はないかと考えていた。
「確かに高かったな。どっかに安く売ってる所ないもんかね」
「そういえば、スマホを売っていそうなお店を知っているかもしれません」
「ホントに? ダメ元で行ってみたい」
「わかりました。確か、こっちの道にあったはずです」
カンナの案内で、コンとキセキは町の裏通りを歩いた。
到着したのは店内に家電が並ぶ、個人経営の小さな電器屋だった。
「ここ……なの? スマホ売ってそうな所って」
「はい。家電量販店には電化製品が売っていましたし、ここにもスマホがあるのではないかと思いまして」
カンナはあっけらかんと言った。だがキセキは苦笑いをしている。
「多分だけど、ここには売ってないと思うぞ。主に取り扱ってるのはエアコンとか洗濯機とかの大型家電だからな」
「違うのですか? すみません、期待させてしまって」
「あはは、いいよ。せっかくだからちょっと見てこ」
「俺も。家の電球切れそうだし、探してみるか」
カンナの心情を気遣ってか、キセキとコンは電器屋へと入店し、カンナもそれに続いた。
店内にはキセキの言った通り、エアコンや冷蔵庫が並んでいたが、やはりスマホは見当たらなかった。
「やっぱりありませんね、スマホ」
「うん。残念だけど、今日はあきらめるわ。また次の機会にする。さ、帰ろ」
キセキが電球を購入し、いざ帰宅といったその時、店の奥から女性の声が聞こえた。
「ケンイチ、そろそろ店じまいの準備して」
「はーい」
その後に聞こえた男の声は、三人も聞き覚えのある声だった。それもつい最近に。
「あっ」
「「「あっ」」」
奥から出てきた昼間の男子生徒、経堂ケンイチと、カンナたち三人の目が合い、四人の声が重なった。