マウント
カンナはこの日も家を出ると、学校へと足を進めた。いつものモーニングルーティンだったが、その道中に背後から声をかけられたことは、いつもと違っていた。
「おっはよ~、カンナさん」
小早川コンが明るい声で挨拶をした。三人でレストランやカラオケに行き、放課後を満喫した翌日のことであった。
「おはようございます、コンさん。朝もご一緒とは奇遇ですね」
「あはっ、そりゃそうだよ。だって、キセキとは幼馴染って言ったじゃん。家もこの近くなの。カンナさんも、わりと近いんでしょ?」
「はい、私も近くです。よくお会いすることになりそうですね」
「うんうん。登校も楽しくなりそうだよ。改めてよろしくね」
カンナとコンは、会話に花を咲かせながら学校へと向かった。
学校に到着し、教室に入るとキセキはこの日も先に席に着いていた。昨日に続き、係の仕事があったものと思われた。
「おは〜。今日も早いのね」
「よっ。まぁな。二日続けて仕事なんて、ついてねえや」
軽快なやり取りを交わすキセキとコン。カンナはキセキの隣に座りながら話した。
「お疲れ様です。朝のお仕事、大変ですね。頭が下がります」
「そんな大したことじゃないって。ただの先生の雑用だからな」
その時、三人の会話に横槍を入れる声がした。
「ご苦労様だねぇ。霧山くん」
どこか気取った口調の声の主は、三人の近くの机に腰かけて薄ら笑いを浮かべる男子生徒だった。
「持田か。褒めていただいてどうも」
持田と呼ばれた生徒は立ち上がり、キセキに近寄ると続けた。
「ま、でも僕ならもっと手早く完璧にやれるけどね。先生からも評価してもらってるし」
「あそ」
「何の用なの? あたしら、三人で楽しくおしゃべりしてたトコなんだけど」
持田に対しては、キセキだけでなくコンも不快感を隠そうとしなかった。
「これは申し訳ない。お邪魔だったようだね。それじゃ、失礼するよ」
そう言うと持田は、自席へと戻っていった。
「はいはい。……ちっ、相変わらず気に障る奴」
コンは普段見せないような態度で舌打ちまじりに小声で言い放った。
再び三人に戻ったその場の空気は、重く嫌な雰囲気となっていた。
「あの、今の方は?」
「ああ。持田って言ってな。中学から知ってるんだけど、とにかく自慢が多いし、どっか人を見下したような奴だから、あんまりよく思われてなくてな。正直、苦手だわ」
「あたしもあいつ好きじゃない。前にテストの点でマウント取られた時はマジムカついた」
「マウントを、取る……ですか?」
カンナは聞き慣れない言葉に反応した。
「そうそう。あいつの癖なのかね。誰かがつけたあだ名が『マウント持田』だったな」
「あたしも聞いた。ウケる〜。お笑い芸人かよって」
持田とは初対面のカンナを置いてけぼりに、キセキとコンの会話は続く。
「持田にテストの点でマウント取られたって、たまたまだろ? あいつがテストの順位で上位だったの見たことねぇし」
「そうだよ。大した実力もないの。たまに家の金持ち自慢も聞くけど、それも言うほどじゃないと思う。持田の家見たことあるけど、豪邸ってほどじゃなかったし」
「そうか。だったら言わせておけばいい。ただ見栄を張ってるだけだからな」
「そうだね。もうほっとこ」
二人の白熱した会話には、カンナの入る余地がなかった。
午前中の授業を終え、カンナは昼食も食べずに図書室へと向かう。調べたい言葉があったからだ。
(コンさんが仰っていた『マウントを取る』とは、どういう意味でしょうか。どこかに書いてあるでしょうか?)
カンナは書物を読みながら考える。しかし、探す答えは見つからない。
(まずはマウントとは何のことか知らないとわからないのでしょうか。マウントマウント……。山を意味する単語なのですね。では、山を取る……とは?)
そこまでたどり着いたところで、午後の授業開始が近づいたため、カンナは急いで教室へと戻った。
午後の授業も過ぎ、帰宅時間になった。キセキとコンは帰り支度をし、教室を出ようとしていたが、カンナは着席したままだった。
「カンナさん、帰らないの?」
「ちょっと用事があるので。今日は先に帰っていただけますか?」
「そうなの? わかった。先に行くね」
コンとキセキは、言われるがままに教室を後にした。
残ったカンナは、人がまばらになった教室で席を立った。その足で向かった先は、持田の元だった。
「あの、持田さん」
「か、神崎さん。何か僕にご用かな?」
突如として転校生の、しかも異性に話しかけられた持田は面食らった様子だった。
「少しお話したいことがありまして。よろしいですか?」
「あ、うん。大丈夫だよ。なんでもどうぞ」
持田は平静を装って言った。カンナは言われた通りに続けた。
「ありがとうございます。ではお聞きしたいのですが、持田さんがお金持ちだというのは本当なのですか?」
「あー……うん。そうだね。家は由緒正しい家系だし、資産もそれなりにあるようだし……」
持田の言葉にカンナは何か確信を得た様子で、さらに続けた。
「すごいですね。では、お山もお持ちなのですね?」
持田は一瞬固まり、言葉の意味を飲み込もうとしているようだった。だが理解できず、聞き返した。
「や、山?」
「そうです。お金持ちなら、持っていらっしゃると思いまして。別の方もそんな話をしていましたから」
あえてキセキとコンの名前は出さず、カンナは言った。
持田は言葉につまり、しどろもどろになっていた。
「えーと、誰がそんな話をしていたのかな……。そんな話をした覚えはないし……」
「どうかしましたか?」
「い、いやなんでも……。この話はまたの機会にしてもらえるかな……?」
持田は荷物をまとめると、強引に教室を後にしようとした。
その背中に、カンナは声をかける。
「今度、見せてください。その山を」
持田は一瞬立ちすくんだが、問いには答えずに教室を出ていってしまった。
その翌日。移動教室で教室を離れて戻ってきた後、キセキとコンはカンナと持田が話しているのを目撃する。持田はカンナに頭を下げた後、そそくさと去っていってしまった。
「カーンナさんっ。何かあったの?」
「持田さんが先日のことでお話したいと仰るもので」
「持田と? なんか謝ってたみたいだが、何の話をしたのか」
キセキは怪訝な表情で尋ねる。カンナは昨日の持田との会話を説明し始めた。
「ま、マウントを取るって、そういう意味じゃないぞ」
「違うのですか? マウントとは、山を表す単語だと調べましたが」
「そうじゃなく、俺達の言ったマウント取りってのは相手より優位に立とうとすることで、要するに自慢したがりってことなんだよ」
「なるほど。そういう意味でしたか」
キセキは丁寧に説明をする。カンナはひとまず理解したらしい。
「それで、持田は何で謝ってたの?」
「山は残念だけど持ってないから、見せることはできないと。騙したみたいでごめんなさいと」
「あ~、そういうことね。意外と素直な奴」
コンは苦笑いした。だがカンナは、純粋な笑顔を浮かべていた。
「でも、持田さんは悪い人じゃありませんでしたし、良かったです」
「悪い人じゃないって?」
「最初から嘘はつかなかったからです。ちゃんと本当のことを言っていただけましたし」
カンナの記憶の限り、持田は山を持っているかについては一度も肯定せず、言葉を濁していただけだった。
「そんなもんかねぇ。あいつがいい奴かどうかとはまた違うと思うが」
「でも、キセキさん仰っていたじゃないですか」
「俺が? 何を?」
「ちゃんと謝れる人って、いい人なんですよね?」
キセキは気まずそうにそっぽを向いた。コンは事情が分からず首を傾げ、カンナは満足げに微笑んだ。