黄色
とある日の朝。登校前に、カンナはいつものように支度をし、朝食を取ろうとしていた。大抵の場合はトーストが彼女の朝食の主食であったが、今日は違っていた。
「おはようございます、カンナ」
「おふぁようごあいあす、Y」
PCからのYの挨拶に、モゴモゴと返すカンナ。彼女の手元には、皮をむかれたみかんがあった。
「今日の朝食はそれですか。いつもはパンでしたね?」
「キセキさんに買っていただいたみかんジュースの味が忘れられなくて。普通のみかんも食べたら大好きになりました。それに、先日たくさん届きましたもの。傷まないうちに食べておきたいんです」
カンナの言葉の通り、前日の夜に自宅に荷物が届いていた。大きめのダンボールに入ったそれは、箱いっぱいのみかんであり、それ以外は何も入っていなかった。
差出人は知らない名前だったが、配送先はカンナの名前と住所で間違いはなかった。
「昨日も一度確認しましたが、あなたが送った物ではないんですね?」
「ええその通り。今回は、私の送った物ではありません。信じられないかもしれませんが」
これまでは、生活に必要な物はYが手配して送られてきていた。カンナがYの事を疑うのも仕方ない。しかし、隠す必要があるわけでもなさそうなので、どうやら嘘はないようだった。
「そうですか。まぁいいです。美味しいので」
カンナはそう言うと、再びみかんを口に運び出した。
「別に何を食べようと構いませんが、昼食までお腹が空かないようにしてくださいよ。それに、そろそろ行く時間でしょう。遅れないように」
Yとの通信を終え、カンナは学校へと向かった。しかし彼女の手には、まだみかんがひとつあった。どうやら、登校しながら食べるつもりらしい。
女子高生がひとりでみかんを食べながら歩く様は、なかなかにシュールな光景であろう。まさしくそんなカンナの姿を、道行く人々が数人は二度見していた。
「よ、おはようさん……」
カンナの背後から挨拶をしたキセキは、彼女の横に並んだ途端に声を落とした。
「おはようございます、どうかしましたか?」
「いや、朝からみかん食いながら歩くやつなんて、見たことなかったからさ。朝食かそれ?」
「ええ。家で食べてきましたが、まだ食べ足りなかったので、持ってきちゃいました。でも、ゴミはちゃんと持ち帰りますよ?」
そう言ってカンナは、むいた皮を見せた。キセキは苦笑いをしつつ、少し答えに困っていたようだった。
「まぁ、それも大事だけど。少しは人目を気にしたほうがいいかな……なんて」
「人目、ですか?」
「お節介かもしれないけどな。ま、あとは食べ過ぎて黄色くならないようにな」
「黄色く……?」
カンナはキセキの言葉に引っかかったが、学校に到着したためその疑問をぐっと飲み込んだ。
(黄色くならないように、とはどういう意味でしょう? まさか本当に黄色くなるわけはないと思いますが……。何かの例えなのでしょうか?)
授業を受けながら思案にくれるカンナ。その時間は生物の授業だった。
ぼんやりと話を聞くカンナの耳に、先生の声が入ってくる。
「黄色とは自然界においては警告色と言われ、危険を知らせる色です。蜂や魚、人が作った物では信号にも使われていますね。遠くから見ても、危険だと一目でわかるような色だからです」
(なるほど、黄色とは危険を知らせる色だったのですね。ということはキセキさんが言いたかったのは……)
授業が終わり、次の美術の時間になると、生徒たちは続々と準備をして教室を出ていく。
「クレハさん。次は美術の時間です。一緒に行きましょう」
「はっ、えっ? う、うちとですか?」
知り合ったばかりでそれほど交流もないカンナに声をかけられたクレハは、面食らってしどろもどろに答えた。
「ええ。嫌ですか?」
「い、いえとんでもない。ありがたいっす」
「それでは行きましょう。あ、荷物、お持ちしますよ」
「え、ええっ、そんな悪いっすよ」
「いいんです。遠慮なさらず」
困惑するクレハだったが、カンナは強引にクレハの分まで荷物を持ち、一緒に行こうと言ったにも関わらず先に行ってしまった。
美術室に到着し、授業が始まると、カンナとケンイチが同じ班に分けられた。頼まれたわけでもないのに、カンナはケンイチに尋ねた。
「ケンイチさん、教科書はお持ちですか? もしお忘れなら、見せてあげますが」
「あ、うん。ありがとう。でもちゃんとあるから、大丈夫」
「そうですか? 足りない物があれば言ってくださいね?」
「うん、それも大丈夫……かな。ありがとう」
ケンイチも感謝の意を示しつつ、やや困惑していた。
やがて昼休みになると、いつもの屋上でコンも含めた五人は昼食を食べ合った。
「カンナさん、お昼はサンドウィッチとみかんなんだ。いいな、美味しそ〜」
「ええ。みかんだけでも良かったんですが、それだけではお腹が空きそうだったので」
「昼もみかんか……」
朝もみかんを食べていたのを目撃していたキセキは呆れぎみに呟いた。
「どうかしましたか、キセキさん?」
「いや、なんでもない」
キセキは誤魔化して食事を再開した。彼の今日の昼食はおにぎりだった。
「あ、キセキさん」
「何?」
「口元にご飯つぶがついています。取ってあげましょう」
カンナは手をキセキの口元へ差し出す。なぜかクレハはスマホのカメラを起動していた。
二人きりならともかく、周りにコンたちがいるこの場でのそれは、とてもではないがキセキには受け入れ難かった。
「い、いいよ。自分でやれるし」
「嫌ですか? そういえば私、サンドウィッチ食べて手が汚れてました。それでは、直接……」
カンナは近づけた。自分の手ではなく、唇をキセキの口元に―――。
「はっ!?」
「ストーップ!! カンナさんそれはダメだって。流石にまだ……」
コンは二人の間に割り込んでカンナを静止させた。
なぜか、クレハは残念そうだった。
「ああ……。いいとこだったのに」
「クレハさん?」
「な、なんでもないっす。へへ……」
ケンイチに名前を呼ばれ、クレハは我に返ったように言った。
「神崎、なんか今日変じゃないか?」
「変ですか?」
「うーん、確かにいつもと違うような」
「違いますけど、なんだか悪い感じもしないっすけどね」
カンナに気を遣われたケンイチとクレハも、感じたままに言った。
「今朝、みかんを食べながら登校していたら、キセキさんに黄色くならないように、と言われました。黄色といえば警告色だと思ったので、できるだけ人に優しくしようと考えたのです」
カンナの説明に、全員が完全な理解はできなかった。そのうちなんとなく理解してくると、思わず笑みがこぼれていた。
「は、はは。そういうことね」
「俺が言ったのは意味が違うんだよなぁ……。そう受け取ったのか」
「違うのですか? 授業ではそう教わりましたが」
「違う違う。みかん食ったくらいで危険な人には見えないし、ならないよ」
それを聞いたカンナはホッとしたような、安堵の表情を浮かべた。
「それなら良かったです。私はてっきり危険な人になってしまうのではないかと心配で。まさか、体が黄色くなるわけはありませんし」
「いや、それはなるよ」
「えっ?」
カンナの表情が曇った。続けて、ケンイチも口を挟む。
「うん。なるなる。みかんの食べ過ぎで、肌が黄色くなることもあるんだって」
カンナはコンとクレハにも目を移した。二人とも、うんうんと頷いている。キセキの言葉が嘘ではないと確信した。
「……明日から、食べるのは止めましょうか」
「極端だな。大丈夫だよ。食べ過ぎなきゃ」
「本当ですか?」
「嘘言ってどうするんだ。一日一個くらいなら問題ないだろ」
カンナは再び安堵の表情を浮かべた。
「ふふ、ありがとうございます。安心してみかんを食べられます」
「そりゃどうも。なんつーか、変わってるな、神崎は」
「そうでしょうか?」
当然ながら、自分が変わった人間などと最初から自覚している者はいない。カンナはきょとんとした表情で答えた。
「まぁ、確かに不思議な人だよね。そこがいいんだけど」
コンも面白がっているのか、笑いながら同調した。
「そうだな。言ってみれば、『勘違い体質』ってトコかな」
「勘違い体質?」
「俺が今作った言葉だけど。勘違いするだけじゃなく、他人に勘違いさせる体質、っていう意味の」
「言えてますね。でも、個性的でいいんじゃないっすか?」
「神崎さんらしいかもね。僕も悪くないと思う」
クレハとケンイチも、キセキの考えた異名にしっくりきていたようだった。
「勘違い体質……。なるほど、それが私の個性ですか」
カンナもその響きに悪い気はしなかったのか、笑みをこぼした。




