読心
カンナたちに声をかけた女性教師は、見た目は三十代ほどで長い黒髪を結い、銀縁の眼鏡をかけた人物だった。目をつり上げて口を真一文字にし、明らかに怒った様子で近寄ってくる。
「一体どうしたのですか? あなたたちは?」
女性教師は問いただすが、具体的に何に怒っているのかは言わずにいた。
「あの……どうしたというのは、どういう……?」
堪らず、キセキは聴き返した。女性教師はまずキセキをキッと睨み、それから一同を順に目を移しながら言った。
「なぜ廊下で喋りながら歩いていたのかということです。皆さんが歩く廊下なんですから、ノロノロ歩いていたら迷惑でしょう? 皆さんそう思ってるんですよ!?」
女性教師がカンナたちを叱っているその周囲では、他の生徒たちが気まずそうに苦笑しながら五人を避け、目を合わせないように歩いていた。自分たちに飛び火しないように、と言わんばかりに。
「あー、すみませんでした。気がつかなくて……」
「周りをきちんと見ていたらそうはならなかったでしょう。次から気をつけてください。それから、あなた」
「は、はい。僕ですか?」
突然、自分の名を呼ばれて視線を注がれたケンイチは、驚きながらも背筋をピンと伸ばした。
「あなたから見て廊下の右側にいましたよね? どうしてですか? 廊下は左側通行だといつも言っているでしょう。すれ違う人にぶつかったらどうするのですか?」
「あ、それはあたしがですね……」
コンは横から口を挟もうとした。元はといえば、コンがふざけてケンイチに抱きついたことがきっかけのことだったのだ。
しかし、女性教師は聞く耳持たずだった。
「あなたには聞いていません。言い訳は無用です。今後は気をつければいい話です。理解しましたか?」
「……はい、気をつけます」
「わかればよろしいのです。では行きなさい。授業に遅れますよ」
それだけ言うと、女性教師はカンナたちとは反対側へ歩き去っていった。
女性教師の姿が見えなくなってから、コンはなぜかキセキの背中に拳をめり込ませながら憤慨した。
「……あああもうムカつくわ〜! あのオバさん相変わらずねホントに!!」
「いてて、俺に当たるなって。気持ちは分かるけど」
「あの、先ほどの方は……?」
カンナは初対面の女性教師について尋ねた。コンの口ぶりからして、少なくとも彼女とキセキは教師のことを知っているようだった。
「さっきのは理科の五月って先生だ。理科の授業の他に生徒指導の仕事も兼任してるから、よく校内を回って生徒を注意してんだ」
「あれは注意っていうか難癖ってやつだよ。去年もそうだったけど、上から目線でマジ腹立つの」
コンは腕組みをしつつ頬を膨らませ、未だに怒りがおさまらない様子だった。
「いやでも、今回怒られたのはお前のせいが大きいんだからな。ちょっとは反省……」
「何? あいつの肩持つわけ? 信じらんない。サイテー」
ギロリとキセキを睨むコン。キセキは二度も睨まれたことで自信をなくしたのか、それ以上何も言えなかった。
「……まぁでも、ケンイチ君が余計に怒られたのはあたしのせいなのは事実だよね。ごめんね、ケンイチ君」
怒りも冷めてきたのか、急に冷静になったコンはケンイチに頭を下げる。しかしケンイチは首を横に振った。
「大丈夫だよ。気にしていないから。僕らも話しながら歩いてたのは良くなかったし」
「確かにそうだけどな。でも、なんかわかんないけど、あの言い方はモヤモヤすんだよな」
「モヤモヤ、ですか?」
「ああ。何かと言われれば、表現しづらいんだけど」
キセキは五月の言葉を思い返したが、モヤモヤの正体はわからなかったらしい。カンナも同様だった。
それから午後の始めの授業の時間まで時は流れた。カンナたちは移動教室のため再び廊下を歩いていたが、行き先はーーー理科室だった。
「あーもう、なんでこんな日に限って理科があるのかな!?」
不満タラタラで歩くのはコン。五月先生に怒られたその日にもう一度顔を合わせることになるのは、やはり気が重い。キセキやケンイチも同様だった。
「あるもんは仕方ないだろ。何事もなく終わるのを祈るほかないんじゃないか」
「他人事みたいに言って。あの人のことだから、きっとあたしのこと当ててくるわよ。ああ嫌だ嫌だ」
コンは嫌な想像を振り払うかのように頭をブンブンと振った。
そんな彼女の言葉が耳に入らないほど、カンナは考えていた。
(キセキさんの言っていたモヤモヤとはなんでしょう? 私も何か引っかかるような……。そういえば五月先生は、こんな風に仰ってましたね)
「神崎さん? 大丈夫?」
一言も喋らず、少し俯いて歩くカンナを心配したのか、ケンイチが声をかけた。カンナはハッとして答える。
「あ、いえ、大丈夫です。問題ありません」
「そう? それならいいけど。何か心配事とかあるなら、先生に聞いてみるのも手だよ?」
「そう……ですね。そうしてみます。ありがとうございます」
優しく助言をしたケンイチ。カンナは何か決心がついたらしかった。
その後、理科の授業を終えると、キセキたちは続々と教室へ帰って行く。
しかし、カンナは帰る準備をすると、教壇の方へ向かおうとしていた。
「神崎? どうしたんだ? 教室はこっちだぞ」
「すみません。私、先生にお尋ねしたいことがありますので、お先にどうぞ」
「わかった。そんじゃ、先に行ってるぞ」
キセキはカンナと五月先生を残し、理科室を後にした。
残されたカンナは、黒板の文字を消している五月先生の元へ向かうと、声をかけた。
「先生、少しお聞きしたいことがあります」
「あなたは……神崎さんでしたか。聞きたいこととは? 私の授業についてなら、お答えできる範囲で答えましょう」
五月先生は黒板消しを置き、カンナに向き直ってそう告げた。
「あの、授業のことではありませんが、先生についての質問です」
「私の? まぁ、それもお答えできる範囲で」
「ありがとうございます。では単刀直入に……」
カンナは一呼吸おいて、口を開いた。
「先生は、超能力を使えるのですか?」
一瞬の間が空いた。五月先生は何を聞かれたのかわからなかった様子だった。
「……はい? もう一度言っていただけますか?」
「超能力です。先生はそれが使えるのかなと思い、お尋ねしました」
真剣な表情で、同じ質問をするカンナ。五月先生は聞き間違いではなかったと確信したものの、完璧な答えは出なかった。
「……質問の意図が見えないのですが。なぜ私がそんな非科学的なモノを使えると……」
するとカンナは、午前中の出来事を思い出しながら答えた。
「今日の午前中に、私たちに注意なさったのは覚えていらっしゃいますか? その際、先生は『皆さんが迷惑に思っている』とおっしゃいました。でも他の生徒の方々は誰もそんなことは言っていませんでした。先生は超能力で他人の心を読み、そうおっしゃったのかなと」
五月先生はカンナの説明を聞くと、頭を抱えて項垂れた。呆れてものも言えないのか、はたまたどこか恥ずかしさを感じているようにも感じられた。
「……いいですか神崎さん。ひとつひとつ説明します。まず私は、あなたの考える超能力などは使えません。第一そんなものは信じてもいません。ではなぜあのような言い方をしたのかと言うと、癖でつい言ってしまった、というのが正しいでしょう」
「癖でつい、ですか?」
カンナは変わらず真剣な面持ちで聴き、尋ねた。五月先生は更に続ける。
「そうです。私は私の主張を強く見せたいがために、つい主語を大きくしてしまうようなのです。自覚していなかったわけではありませんが、あなたのように指摘してくれる人はいなかったので、今日までずっと改善してきませんでした。……その点は反省しないといけませんね」
五月先生は大きくため息をついた。本人なりに、後悔と反省の念はあるらしい。
「先生でも、反省することはあるのですね」
「そうですよ。残念ながら、完璧な人間などいませんからね。理解できたのなら、そろそろ教室に戻りなさい。次の授業に遅れますよ」
五月先生はこれ以上の質問は許さないというように、踵を返した。
「はい。……すみません、最後にもう一つだけお伝えしたいことが」
「なんですか? これが最後ですよ?」
五月先生は再びカンナに向き直って言った。
「ケンイチさんの件ですが、あの時は落とした教科書を拾うために廊下の右側に移動していました。その事は理解していただきたかったのです」
「……そうでしたか。頭ごなしに叱って申し訳なかったですね。報告ありがとう。では、私も次の授業がありますから、これにて。ああそれと、この事は他の人には言わないように」
そう言うと、五月先生の方から先に理科室を後にした。
その翌日、廊下を歩くカンナたち四人。その向こうから近づいてくるのは、五月先生だった。
「げっ、今日も会うなんてツイてないし……」
あからさまに嫌な顔をするコン。しかし、五月先生の反応は、昨日までとは少し違っていた。
「こんにちは。これから授業ですか? 頑張ってくださいね」
「あ、はい……」
予想外の声がけに、拍子抜けしたキセキ。その時、彼の首元に五月先生の視線が移る。
「霧山さん、襟が乱れていますよ。それから小早川さん。スカートが少し短いのではありませんか? ……私が、みっともないと思いますから、直してください」
「は、はぁ。すみません、気をつけます」
「はぁーい」
キセキは戸惑いながら自らの襟を正し、コンは気のない返事だけした。その後、五月先生はケンイチに声をかける。
「経堂さん。先日は事情もわからず、怒ってしまい申し訳ありません。今後はお互いに気をつけましょう」
「は、はい。わかりました……」
それだけ言い残し、五月先生はつかつかと去っていった。
「あーあ、今日も相変わらずね」
今回も、先生の姿が見えなくなってから、コンは呟いた。
「そうだな。だけど……」
「だけど、何?」
コンはキセキに、言葉の続きを促す。
「なんというか、モヤモヤはなくなったような気がする」
「何さ、モヤモヤって。あたしは全然違いがわかんない」
「俺も具体的にはよくわかんねーよ。ただなんとなくそんな感じがしただけだ」
一連のやりとりを、カンナは黙って見守っていた。五月先生が去った頃、彼女はふっと表情を緩ませたのだった。
「神崎さん、どうかした?」
またケンイチが、心配そうに尋ねる。
「いえ、なんでもありません。約束は、守らないといけませんからね」
カンナはケンイチに微笑み、ケンイチは怪訝な表情で首を傾げた。




