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食べ物を分けてくれませんか、と俺は言った。
「食べ物、ですか」
女性は刹那逡巡したような表情を浮かべたあと、ごめんなさい、と頭を下げた。
「それは出来ません」
「で、出来ない……んですか」
「はい」
「あの、パンの1切れだけでも構わないんですけど。それも無理な感じですか」
「ごめんなさい。食べ物はあるのですけれど、外には持ち出せないんです」
「外には持ち出せない?」
「はい。ですから、よろしければ中の方へ」
女性はそのように言い、中へ入るよう促した。
嫌な予感が全身を貫いた。
この人――中へと誘き寄せるつもりなのか?
そのような疑念が生まれて、それは瞬く間に膨らんだ。
俺は先ほど妖精に化けたモンスターに騙されたばかりで疑心暗鬼になっていた。
「あ、い、いえ、結構です」
俺は慌てて首を振った。
「どうして? お困りなんでしょう?」
「そ、そうですけど」
「なら、どうぞ遠慮なさらずに」
女性は微笑んだ。
その美しさのせいなのか、それはとても妖しげに見えた。
――出ていけ
と、その時。
どこからともなく声がした。
「え? な、なにか?」
俺は女性に言った。
しかし女性は微笑むばかりで、何も言わない。
おかしい、と思った。
先ほどの声は男だった。
壮年男の、低い声。
この女性の声音ではなかった。
動悸はどんどんと早くなる。
おかしい。
ここは絶対に――おかしい場所だ。
「さあ、どうぞ」
女性が急かすように言った。
「け、結構です!」
俺は踵を返して走り出した。
もう、彼女が化け物にしか思えなかった。
時々振り返りながら、無我夢中で走り続けた。
▼
どのくらい走り回っただろうか。
気が付くと、舗装された道から完全に逸れてしまっていた。
まずいと思って元いた舗道を探したが、見つからなかった。
やがて辺りを暗闇が包み始めた。
俺はパニック状態に落ちかけていた。
どこかで獣の遠吠えがした。
モンスターの気配が増していく。
森の中はもう完全に暗闇に包まれている。
俺は闇雲に走り出した。
とにかく森から出たいと思った。
と、その時、足がずぼりと地面にめり込んだ。
そしてそのまま腰まで浸かり、さらに沈んでいった。
「うわあああああああ!」
俺は錯乱状態に陥り叫び声をあげた。
しかし、もがけばもがくほど、体は地面にのめり込んでいく。
沼地だ。
それも、底無し沼。
恐怖が全身を包み込んだ。
顔まで沈むと大量の泥土が口の中に侵入してきた。
俺は構わず叫び続けた。
確実に迫る死への恐怖で叫び続けた。
そしてやがて。
俺の身体は、頭の先まで沼地の奥へと完全に埋まっていった。
「あああああああああああ――ぁぁぁぁぁぁ……」
人気のない森の奥深く。
俺の叫び声は誰の耳に届くこともなく、静かに消えていった。
dead end