11話
9月8日、文学フリマ大阪12に出店します。
サークル名…未完系。
ブース…うー23
言葉の力、という物がある。
最近になって、私はそれを強く実感した。
私は家の中で「かか」と呼ばれている。夫からも息子からも娘からも。言葉が遅かった息子が、二歳を過ぎてようやく私のことを呼んだのが「かか」だったので、以来八年、私は「かか」として生きてきた。
「かか」という呼ばれ方は気に入っている。あの小さな息子が、「ママ」でも「おかあさん」でもなく「かか」とハッキリ呼んでくれた瞬間を、今でもしっかりと覚えている。
日本語の呼称というのは年少の者に合わせることがある、と聞いたことがある。その方が幼いものを混乱させないからか、その辺りはわからないのだが、とにかく私も自分のことを家の中では「かか」と呼んでいる。
しかし、「かか」はどうもエレガントさに欠けてしまう。そう考えてみると確かにマダム・レースは自分のことを「かか」とは言わないだろう。
「かか」という呼び名が嫌なわけではない。むしろ気に入っている。
だがしかし、「かか」のままでいると、どうにも動きが「かか」なのだ。「かか」はいつでも忙しくていつでも落ち着きなく走り回っている。疲れた、親しみやすい、よく癇癪を起こす、そういう人なのだ。
親しみやすいのはよいことだが、疲れたり癇癪を起こしたりする のはいただけない。
ということでとりあえず自称だけでも「おかあさん」と言ってみることにする。漢字でもカタカナでもない。ひらがなの「おかあさん」。外ではもちろん「私」だ。それだけのことでなんとなく時間にゆとりが生まれ、優しい気持ちでいられる気がするのだ。
言葉の力はきっとある。
「かか」であり「おかあさん」である私に使いこなすことはできるのだろうか。
マダム・レースは微笑んで、「沈黙は金という言葉もありますよ」と教えてくれた。まったく、言葉の世界は奥が深い。
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