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前編

「夕焼け企画」参加作品

 西の大陸に『やつら』が現れてから、島国の西端に位置するこの町の空は、常に赤い炎に照らされていた

 それはさながら、消えない夕焼けのようだった。


 やつらは宇宙から飛来したとも、海底から浮上していたとも、地底から這い出たとも言われているが、実際の感覚としては『気付いたら既にそこにいた』という表現が最も近い。

 始まりは海岸沿いの町の小さな不審火だった。

 名も無い田舎町で起きた新聞にも載らない小さな火災。しかしその数日後には、大規模な火災が大陸の各所で同時多発的に起きるようになる。街頭のライブカメラが、火災現場を走り回る複数の生物の影を捉えた事で、この火災が偶然の一致ではなく、まるでSF映画のような未知の生物によるものだと判明された。


 乗用車程の大きさのその生物は、全身が黒い鱗状の皮膚で覆われていた。華奢な体躯と長い四本の脚、頭部はその全身とは不釣り合いなほど小さく、太く長い首の先で常に不快な呻き声を発している。それに反し細長くしなやかな尾は自由自在に動き回り、尾の先にある魚の口のような形状の器官から、炎を纏った可燃性の粘液を排出した。

 粘液は長時間燃え続けた。時には数ヶ月燃え続ける事もあった。

 消えない炎が大陸を徐々に覆い尽くしていく。だから海を隔てたこの島でも、もう半年以上もの間、西の空が赤く染まって見えていた。


 学者はこの生物に長ったらしく覚え難い学名を付けた。それが自らに課せられた唯一最大の責務であるかのように。

 しかし名前の意味などに無頓着な一般大衆は、その形状から便宜的にそいつを『竜』と呼んだ。



   ◯



 アラームの音が鳴る。

 ヨルヒは布団から起き上がると、顔を洗い、10分以上かけて丁寧に髭を剃る。そして白米を丸めただけの簡素な食事を済ませると、有事前は仕事着だった白いYシャツの上に防刃ベストを羽織り、市から支給された散弾銃を片手に、家を出る。


 終わらない夕焼けが空を染め続けてから約半年。

 炎に蹂躙される西の大陸から海を隔てたこの島国では、今のところ竜の上陸は認められていない。しかし、大陸を焼き尽くし更なる生息地を求めた竜は、いずれ海流に乗りこの島へと流れつくだろう。人々はいつか来る不安に怯え、パニックによる暴動が各地で勃発していた。

 一部の公務員には狩猟用散弾銃とスラッグ弾が支給された。交代制で行われる地域パトロールにおいて、万が一流れ着いた竜を発見した場合、可及的速やかにその脅威を排除するためだ。


 外の空気はいつも通りぬるく澱んでいた。


 西の空は赤く燃え、何らかの有害物質を含む薬品臭を纏った風が、集合住宅の間を吹き抜けていく。ヨルヒは気休め程度に、2枚重ねた不織布マスクのノーズフィットを調整した。


 外を歩く者は殆どいない。

 いるとすればヨルヒのような地域パトロールを命ぜられた地方公務員か、市民を煽動しようとする活動家か、純粋に頭のイカれてしまった者達だ。

 経済活動は緩やかに停滞の一途を辿り、回復の見通しは立っていない。誰もが支給された白米をお湯で伸ばして舐めながら、事態の終息を待ち望んでいる。しかしそれがほぼ絶望的である事も、誰もが薄々感じていた。


 アパートを振り返ると、隣の部屋のベランダに半裸の少年がしゃがみ込んでこちらを見ていた。小学校の中学年くらいだろうか。その肋骨が浮き出た胸部や腹部には、遠目でもわかるほどに赤黒い痣が浮き出ている。

 ここ数ヶ月、隣室から壁を突き破るほどの怒鳴り声と喘ぎ声、そしてくぐもった子供の呻き声が聞こえていた。

 誰もが不安で、その不安を別の何かで塗りつぶしたかった。だから彼らも、自分よりも弱いものを力で服従させたり、セックスの快感に溺れたりしながら、枯渇寸前の脳内麻薬を搾り出している。


 そんな貧相な争いがこの街の至る所で、舞広がる火の粉のように赤く燻っている。竜が上陸しようがしまいが、発火の時は近いのかもしれない。


 規定ルートをとぼとぼと歩き、顔を合わせた同僚と挨拶を交わし、公園の片隅で少女を強姦していた髭面の男に銃口を突き付け、再び規定ルートをとぼとぼと歩く。

 何かで不安を塗り潰したいのはヨルヒも同じだった。恍惚の表情を浮かべる男の顔面に銃口を向け、その表情が恐怖に歪む瞬間を見る時、ヨルヒは自分の不安が鮮血のような赤で塗り潰されるのを実感する。だからこそ、公務員という立場だけで課せられた地域パトロールという危険な責務を、今まで文句一つ言わずにこなして来た。


 規定ルートの巡回を終えると、市役所で米と調味料と少しの野菜を受け取って、アパートに帰る。


 隣の部屋の少年はまだベランダに締め出されていた。その虚な目を見ないようにしながら、ヨルヒは部屋へと戻った。



   ◯



 隣の部屋の少年が、夜中に部屋を抜け出している事に気付いたのは、それから数日後の深夜だった。


 ヨルヒは窓際のデスクで散弾銃の手入れをしていた。デスクの隅には埃を被った怪獣のフィギュアが置かれてる。小さい頃から怪獣の映画を好んで見ていたヨルヒは、この国の現状を憂いながらも、頭の隅では充足感を覚えていた。映画の中で怪獣と戦う正義の戦士達に自分を重ねながら、相棒の銃身を自分の顔が映るほどに磨き上げる。

 窓を開けて、変わってしまった西の夜空を眺める。窓越しに見るそれは、映画のワンシーンのようにも映った。


 ふと、小さな影がフラフラとした足取りで、向こうの市道に向かって駆けていくのが見えた。趣味で購入していたスコープで覗くと、それは隣の部屋に住む少年だった。

 ヨルヒは何か引っかかるものを感じながらも、その晩は布団に入った。

 しかしその翌日も、さらに翌日も、情事を終えた母親と間男が寝静まると、少年は決まって部屋を抜け出し、数十分後には再び部屋へと戻ってきた。


 大人の殆どが不要不急の外出を控え、街ですら死んだように眠るーーそんな深海に堆積した泥のような宵闇へ、ふらふらと消えていく少年の後ろ姿は、明らかに異様だった。


 不信感を持ったヨルヒは、少年が消えたある夜、アパートの駐車場で少年の帰りを待つ事にした。少年の身の安全を守るためにも、夜間の不要な外出は控えるべきだ。そう指導し、促すのが正しい大人の姿だろう。

 生垣の隙間に、念のため散弾銃を忍ばせる。溜息の後に見上げた西の空は、夜の侵食に抗うように赤くちらついていた。

 西の海に面したこの街は、おそらく最初に竜の被害に遭うだろう。有事の前は愛すべき観光資源だったこの海だが、今では厄災を運ぶ呪いの架け橋でしかない。願わくば荒れ狂う波が、今まさに海上を漂っているかもしれない竜を捕え、いつまでも殺し続けてほしい。


 小さな足音が聞こえ、ヨルヒは駐車場の先の道路に目を凝らした。赤い西火を背負いながら、少年がトボトボと歩いてくるのが見えた。

 ヨルヒは生垣にしまった散弾銃の位置を確認すると、背筋を伸ばして少年を見る。少年はヨルヒの存在に気付くと一瞬足を止めるが、俯き視線を逸らすと、再びアパートに向かって歩き始めた。

 

 少年がヨルヒの前を横切ろうとする。


「君、待ちたまえ」


 ヨルヒは少年を呼び止める。ずっと黙っていたため、最初の一声は上擦ってしまった。

 少年は立ち止まる。

 そして、横目でヨルヒを見る。


「こんな時間に、どこに行ってたんだい?」


 出来るだけ優しく、恐怖感を与えないように気をつけながら、ヨルヒは少年に尋ねた。最近は、他人を威圧したり、事務的に要件を伝える目的でしか声を発していなかったため、自分の猫なで声に違和感を覚える。


「散歩‥‥」


 短く少年は返した。


「夜の街は危険が多い。上陸した竜に襲われるかもしれない。不用意に出歩かないほうがいいよ」


「うん」


 少年は頷く。しかしヨルヒの言葉は、少年の心に何一つ届いていないと感じた。


「自分は公務員で、この街のパトロールを任されているからね。この街の安全を守る義務がある。隣の部屋に住む君の安全だって、例外じゃない」


 ヨルヒは笑う。映画で観た正義の戦士達のように、白い歯を剥き出しにして笑った。不自然な笑いにはなってないだろうか。

 

 少年は上目遣いでヨルヒをマジマジと見つめると、力無い微笑みを返した。ヨルヒは無意識に、その目から目を逸らした。


「ありがとうございます」


 それはヨルヒの厚意を肯定する言葉。

 しかしその裏に明らかな落胆が含まれているような気がして、ヨルヒは胸は掻き乱された。 



後編に続きます。

(2023年11月1日19時 投稿予約)

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― 新着の感想 ―
[良い点] 企画参加ありがとうございます! おお、これは……! タイトルから壮大なファンタジーかと思ったらハードボイルドなローファン? 続きが気になりますね。 (*゜∀゜)*。_。)*゜∀゜)*。_…
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