第18話 ヒロインは女神様に会う<エリカ視点2>
「アル様」
あたしはそう呟いた後、ふらふらとそちらに歩きだして――ハッとして振り返った。残念、もういない……。
あたしはさっき見た、エヴェリーナ・リンドルースの強張った表情を思い出していた。整った顔立ちに冷ややかな瞳という組み合わせは、やっぱり男装しているとはいえ悪役に相応しい。
視線を図書室の中に戻すと、アル様は本棚の傍で困惑したように立ち尽くしてこちらを見つめているのが解る。その様子から、彼女と『何かあった』のは間違いないと思う。ケンカだろうか。ゲームの中では不仲だったアル様と悪役令嬢。もしかしたら、ここで何か修羅場みたいなものがあったのだろうか。
――あああ、見たかった!
あたしはその場で両手を胸の前で組んで少しだけ神様を恨んだ。
色々なイベントを見逃している気がする。あたしはこの世界の主人公として、必要なルートを進めているんだろうか? 大丈夫よね?
あたしは気合を入れ直し、ゆっくりとアルフレート殿下の方に足を進める。ちょうど、そっちの本棚に用事があるんですよー、という雰囲気をまといながら。
アル様の近くにいたロベルト先生が、小さくため息をついて頭を乱暴に掻き、図書準備室の方へ歩き出すのを横目で見つつ、その準備室から姿を見せた人物に気づいて声を上げそうになった。
――ラウラ先生!?
そう、ラスボスである彼女がそこにいたのだけれど。
でも。
――顔にあるはずの傷がない!
っていうか、あの中二病みたいな長い前髪はどこにいったの!? 切ったの!?
あたしが混乱したのも仕方ないだろう。顔にある火傷の痕を隠すための長い前髪は存在せず、遠目では全く傷跡なんて見えないくらい綺麗にお化粧をした大人の女性がそこにはいた。地味な服装なのはゲーム通りだけど、それ以外は全然違う。落ち着いた雰囲気と、優し気な目元が印象的な控えめな女性がそこにはいて。
がつん、とあたしは気づいたら本棚に顔面からぶつかっていて、悲鳴を上げることもなくその場にしゃがみ込んでいた。
……びっくりして前見てなかった。
あああああ。
「……その、大丈夫かな?」
あたしが顔を両手で覆って痛みに悶えていると、頭上から困惑したような涼やかな声が降ってきた。
あああああ。これ、めっちゃ聞き覚えあるう! ゲームで何度も何度も聞いた声だ!
あたしはぐらぐらする頭を押さえつつ、勢いよく立ち上がり、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「大丈夫です!」
「そ、そう……」
そうして、彼――アルフレート殿下は綺麗な形の眉根を寄せ、あたしを見つめている。美形で物腰が柔らかくて、完璧な王子様像がここにある。心配そうな瞳の色、そして……意味ありげな表情。
来た来た来た、これよこれ! やっと待ちに待っていたイベントってやつじゃない!?
あたしという存在を覚えてもらわなきゃ!
「……君、聖女候補だってね?」
もう覚えられてたああああ!
もうこれ、あたしの勝利なのでは!? 恋が始まるのでは!?
「そうです! 魔力量にだけは自信があります!」
あたしがぐい、と顔を上げて叫ぶと、背後からラウラ先生の「図書室では静かに」という声が飛んできた。あああ、いいところに邪魔が! いや、むしろ恋に障害はつきもの。邪魔が入ってなんぼである。これがつり橋効果ってやつか? 違う? まあいいや、よしこい、ここでアル様が楽しそうに笑ってくれたら――。
と、思ったのに。
「そう。頑張ってね」
アル様は静かに言って、あたしの横をすり抜けて図書室を出て行ってしまった。ちょっと待って、あたしのこの熱く滾る想いはどこに向かえばいいの? イベントは? アル様と仲良くなるために何かイベントがあるんじゃないの?
「うわあああん、ベスベス、ちょっと責任者呼んできてえぇぇぇ!」
「退室」
あたしが図書室の奥で叫んでいると、笑顔なのに氷点下の空気を纏ったラウラ先生が背後に立って、何の抵抗もできないまま図書室を追い出されてしまっていた。
うそお。
「やっぱ、レベルが足りないのかなあ。アル様が素っ気ない気がするよ」
「解んないニャリよ」
あたしが地を這うようなテンションでのろのろと歩きつつ、頭上で羽ばたくエリザベスに恨み言を呟いていると、のほほんとした声が降ってきた。そんな、他人事みたいに言わなくてもいいじゃない? ベスベスはあたしのお助けキャラなんだから。
あたしは放課後、エリザベスと一緒に学校を出て買い物に向かっている途中だ。あたし以外にはエリザベスの姿が見えていないから、独り言を呟きながら歩いている変人――じゃなかった、美少女がいると周りには思われているだろう。変な目で見てくる人もいるけれど気にしない。
あたしたちの向かっている先は満月堂。ゲームの中で存在した、アイテムショップである。そこで買えるのはガチャ券とか回復薬とか衣装とか武器や防具といったものがあったけれど、課金アイテムの中にはレベル上げに有効な経験値アップのアクセサリーも存在していた。
もう、それに頼るしかない。
だってあたし、頑張っているというのにまだレベル12なのだ。レベルがもっと上がったら新しいスキルがたくさん使えるようになるのに、このペースじゃいつになったら強くなれるのか解らない。ラスボスと戦う辺りでは、最低でもレベル50以上になってないときついはずだ。
それなのに。
「残念ながら、そういった魔道具はないですね」
意気揚々と開けた満月堂の扉の向こう側で、見覚えのあるキャラクターの店主が申し訳なさそうに返してきて、あたしは「ほえ」と変な声を上げた。
「え? いや、あの。頑張ってお小遣いを溜めてきたから、その」
お金を持ってなさそうに見えたのかな、と首を傾げて曖昧に笑うと、店主は困り顔をさらに強めて首を横に振った。
「いえ、金額の問題ではありません。本当にそういった魔道具はないのです」
そこで彼は少しだけ考えこんだ後、躊躇いつつもこう続けた。「変な魔道具を造れそうな腕のいい職人は知っていますが、最近、とある貴族の方に引き抜かれたというか……専属契約を結ばれてしまったので、今更新しい仕事を受けるのは無理でしょうねえ」
「えええ……」
あたしは肩を落としながらため息をつく。
何もかも上手くいかない。どうして? 何が原因なの?
あたしがふらふらと満月堂の外に出ると、目に入ってきたのが教会である。ああ、そう言えば女神様に祈れば少しだけ経験値入るんだっけ。
そんなことを考えながら、開け放たれた教会の扉の中を覗き込む。運よく誰の姿もないので、あたしはエリザベスと一緒に祭壇の前に立って床に膝を突いて祈りを捧げる。
「女神アイ様。どうか、迷える者たちに道を照らし出してください」
ハッピーエンドへ続く道を教えてください。
ちょっとだけズルしてもいいから、ラスボスに勝てるくらいの経験値をください。
ついでにアル様とも仲良くなりたいです。
そんなことを目を閉じながら祈っていると、しゃらん、と鈴の音が頭上に響いた。
――来たァ!
あたしはガバっと顔を上げて何もなかったはずの頭上を見た。
誰もいないはずの教会の中、光り輝く女性の姿がそこにあるのに気付いたあたしは、ほお、と小さく感嘆の息を吐いた。
ゲーム通りだ。
やっと会えた。
女神アイ様。愛の女神。あたしの――ヒロインに与えられる道しるべは、彼女の指先によって作られる。
見た目は二十歳くらいの美女。真っ白な長い髪の毛、白い睫毛。髪の毛の一部に可愛らしい赤い紐と鈴がつけられていて、シンプルながらも美しいドレスに身を包んだ彼女は正に神々しいという言葉が似つかわしい。実際、色々なところが光り輝いているし。
これまで、神殿で聖女候補として訓練している時ですら会えなかった。
まあ、仕方ないよね。レベルが低いと女神アイ様は目の前に姿を見せてくれない。でも、あたしだって一応少しずつレベルが上がっている。よかった、きっとあたしは正しい道を進んでる。
「女神様」
あたしは思い切って宙に浮かんだままの彼女に向かって声をかける。
アイ様は穏やかに微笑んだまま、あたしを見下ろしている。何だか、彫刻のように美しい……とか考えながら言葉を選んだ。
「教えてください。あたしは悪役令嬢に勝って、ラスボスに勝てますか? この世界が闇に包まれることなく、幸せに暮らしていけますか?」
少しだけ沈黙があった。
でも、彼女は微笑んだままの唇の形で、語りかけてきた。
「まだ、危険な要因は残っています」
「それは何ですか!? エヴェリーナですか、ラスボスのラウラ先生ですか!?」
「もちろん、その二人もそうですが」
「そうですが!?」
「アルフレートに気を付けなさい」
「アル様に?」
あたしはそこで、女神アイ様の言葉に首を傾げることになる。アル様に気を付けるって何を? 彼はヒロインの味方。あたしのヒーロー。
「彼は違う道を進もうとしています。何が起こるか予測ができない道です」
「別の道って」
そこで、女神様はふとその視線を上に向けた。そこには教会の天井があるだけなのに、どこか遠い場所を見ているような目つきだった。
やがて彼女は小さく言った。
「……関わりすぎました。申し訳ございません」
「え?」
あたしが思わず困惑の声を上げると、女神アイ様はあたしに視線を戻し、穏やかに微笑んだ。
そして、しゃらん、という鈴の音を残してその場から消えた。
「どういうこと?」
あたしは傍でふよふよと浮かんだままのエリザベスに声をかけると、妙に人間臭い仕草で肩を竦めた猫が「女神様の考えてることは解んないニャリ」と笑う。うん、あたしは君が考えていることが解らないよ? もうちょっと役に立ってくれてもよくない?
まあとりあえず、女神様に祈ったから経験値もらえたからいいか。
あたしは自分の目の前に表示された『レベルアップしました』という文字に満足して教会を出る。そうして浮かれていたせいか、アル様に気を付けろと言った女神様の言葉を思い出したのは、とんでもない危機に陥ってからのことだった。




