第17話 脇役は思い出す<ガブリエル視点>
「……すまない」
俺の腕を掴んで身体を支えるように立ち、満月堂を出て公爵家の家紋の入った馬車に乗り込みながら、俺の『兄』が小さく言った。
身長が高く、細身ながらもしっかり鍛えてきたのだと解る肉体を持った男。ベンディック公爵家の跡取りとして育てられた彼の名前は、ルジェクといった。彼もまた、俺と同じ――父と同じ金色の髪の毛を持っている。
貴族として育った彼の身のこなしは、俺なんかとは全く違って上品だった。ただ、急にあつらえた間に合わせの義足が彼に合っていなかったのだろう、時折、歩き方にぎこちないブレが混じっている。とはいえ、それでも転倒などせずに歩けているのは体幹がしっかりしているからなのだろう。
「気にす……気にしないでください」
彼を馬車の座席に座らせると、俺はその向かい側に腰を下ろしてニヤリと笑った。「俺、本当に早くいい義足が手に入ればって思ってますから。で、とっとと王宮騎士団とか何やらに復帰して、公爵家の後を継いでください。で、俺の未来のどこかで色々と便宜を図ってもらえれば」
「便宜ね……。君はまだ子供だというのに、どこでそういう言葉を覚えてくるんだろうね」
ここ最近、自室にこもって出てこなかったというルジェクは、魔道具制作技師に会って話を聞いてから随分と明るくなった。俺が期待していた以上に、魔道具技師の腕はかなりのものだったし、若くて野心家だった。俺が――ベンディック公爵家が大金を支払うと知った技師は、精力的に今回のことに関わってくれている。
それを見たルジェクもまた、希望が出てきたのだろう。当然のことだが、俺以上に熱心に技師に話しかけ、正式に提携を結んだ。
「うーん、言葉遣いとかは伯父の影響っすかね」
俺は僅かに首を傾げつつそう返すと、ルジェクもまた首を傾げた。
「伯父? 君の伯父さんとやらはどんな人だ?」
「何て説明したらいいのか。とにかく、剣を振り回す熊。そんな感じというか」
「熊」
「あ、でも、最近、結婚したんですよ。さすがに結婚式の時は髭と髪の毛を切って人間に戻ってました」
「人間」
「まあ、いつまで人間でいるかどうかは解んないっす。気づいたらいつももじゃもじゃに戻るんで」
俺はそんな言葉を返しながら、俺を引き取って育ててくれた伯父のことを思い浮かべていた。
母の兄であるレオは、母が亡くなったと聞いてすぐに俺を迎えにきてくれた。それからはずっと一緒に暮らしていたが、彼の目的はただ一つ、『この子を早く独り立ちできるように力をつけさせる』ことだった。
平民の生活というのは本当に不安定で、食べるものにも事欠く毎日だ。だから、伯父はすぐに俺に剣を振ることを教えた。
レオは俺をダンジョンに連れて行き、荷物持ちという任務を与えつつ、彼が知っている戦い方を――攻撃魔術も含めて教えてくれた。そして気づけば、それなりにギルドの依頼をこなして金を稼ぐことができるようになった。
それに、剣術以外に教えてもらったこともある。
――いいか、女の子ってのは複雑なんだ。
レオの言葉を思い出す。
確かそれは冬になりかけの肌寒い夜のこと。レオが俺と一緒にダンジョンに潜り、珍しくアイテム回収に必死になって、疲れて休憩をしている時だった。
「複雑?」
俺がまだもっと身長が低くて、声も僅かに高かった時。そう首を傾げていると、一緒に焚火を見つめて地面に座っている熊がそう言ったのだ。
「おう。あれほど厄介な相手はいねえ。下手したら一生頭が上がらなくなるぞ」
レオはもじゃもじゃの顎髭を撫で、でかい図体を丸めて焚火に両手を伸ばして暖を取っている。灰褐色の髪の毛は鳥の巣のようで、彼の目元すら覆い隠してしまっていた。だからどんな表情でそんなことを言いだしたのか解らないが、いつになくその声に自信がなさそうなのが気になった。
「伯父さん、何かやらかした?」
「ああん? してねえし!」
噛みつくようなその返事を聞いて解る。
何かやったな、と。
まあ、下手に聞き出すなんてことはしない。話が長くなりそうだし面倒だから。ただ、伯父さんが高価で取引できそうなアイテムを必死に集めていることから、誰かにお詫びの品として渡すのかな、とは思いついたけど。
「……女ってのは難しい。強そうに見えて弱いし、弱そうに見えて強い。俺みたいな男は単純に頭の中ができているから、どうやっても理解できねえことがあるんだ。だから不用意な言葉を口にして、百倍になって返ってくる。それがマジいてえ。毎日が致命傷との戦いだ」
「へえ」
そこで、伯父さんが俺の気のない返事に気づいてまた声を張り上げた。
「お前も気を付けろよ!? 年頃になって惚れた女に嫌われないように、ちゃんと話聞いとけ!」
「いや、そんなことを言われても」
「マジだからな! 絶対、気になる女ができるんだから! お前は子供だから解らねえだろうけど!」
まあ、確かに解らなかった。
でも、あまりにも伯父さんが熱弁するものだから、仕方なくその話を聞いた。
いつか俺が好きになる女の子が世界のどこかにはいるはずだ、と。
だから、大切にしてあげたい思う女の子ができたら、何があっても全力で守ってやれ、と。
喧嘩をしたとしても、誤解を生んだまま終わらないようにちゃんと自分の考えを話せ。
おちろん、相手の話を聞いてやれ。それがどんな荒唐無稽なものであったとしても、その話をした相手の内面を見るきっかけになる。聞き流すことだけはするな、と言われたのだ。
そんなものか。
俺はその時、他人事のようにそう考えていた。
伯父さんと一緒に行動することが少なくなって、俺が一人でギルドの依頼を受けるようになってからコンラスで気になる出会いがあった。
エヴァンと名乗っているその人の横顔は、とても綺麗だと思った。
男装をしているが女の子であることは間違いなく、吊り上がった目は気の強さを印象付けている。事実、彼女に不用意に近づこうとする輩は簡単に追い払われていた。
本当に強い女の子だ、と思った。
ただ――どこか、寂しそうだな、とも感じた。
まっすぐに前を向いて、何かに挑むように歩いているというのに、その姿を見ていると……支えてやりたいと感じてしまったのだ。
――俺は元々、一人で生きていくつもりだったんだよ。
やはり、いつだったか伯父さんが言った。コンラスにある、小さな家の台所。そこでお茶を淹れながらレオは頷く。
「一人で生きていくってのは責任が伴わないから楽なんだよな」
「責任?」
その時も俺が首を傾げていると、彼は木のマグカップにお茶を注いで俺の前のテーブルに置いた。
「死ぬも生きるも自分の自由。何の荷物も持たない、楽な人生。でもな、他の誰かと一緒に生きるってのは責任が伴う。好きな女、子供、家族や友人。守りたいものが増えればその分、やらなくてはいけない義務も発生する。俺らみたいな庶民でもそうなんだから、貴族ともなればそりゃ大変よ。国王陛下だったらもっとやべえ」
「……うん」
そうかもなあ、と思いながら熱々のお茶を飲んで舌を焼け付かせる。お茶を淹れるのは下手な伯父さんである。
「だから俺は一人で生きてきた。今まではそうだった。面倒事はごめんだからな」
「うん」
「それでも、責任という荷物を持つ時が来た。惚れた女のために、少しは家事をするようになったし尽くそうと考えるようになった。恋は人間を変えるって本当なんだな! 近々俺は彼女に結婚を申し込む! 神よ、このいたいけな恋心を持つ男に祝福を!」
――何か始まった。
俺の目の前でちょっとした物語が始まりそうだったが、何とか笑って聞き流していた。
でも、エヴァンと出会ってからは伯父さんの気持ちが少し解る。
俺も荷物を持つ時が来たのかもしれないと腹の奥が重くなったからだ。
俺だって伯父さんみたいに、根無し草みたいな生活をするんだろうと思ってた。適当にギルドで仕事を請け負って、好き勝手に暮らす。色々な街を回って、見聞を広める。伯父さんから聞いたような冒険話を、今度は誰かに語るんだ。そう思っていたというのに、今は違うのだ。
エヴァンを――エヴェリーナ・リンドルースの隣に立って、一緒に戦いたいと思った。彼女の背中を守り、守られる。その心地よさを知ってしまったから、最初は一緒に逃げようと思ったんだ。
コンラスに俺を探しに来た公爵家の人間がやってきた時、エヴァンを誘って街の外に出ようと企んだ。だがそれはすぐに計画は破綻する。彼女が婚約者持ちで、コンラスを出て行くと知ったから、最初は諦めて現状を受け入れた。
芽生えていたほのかな恋心なんて、彼女から離れてしまえばすぐに消えてしまうだろう。それなのに魔術学校で再会したものだから、これは運命なんかじゃないのかと浮かれてしまった。
まあ、エヴァンの婚約者が王子殿下だと知って、さらに地の底に突き落とされたような感覚も知ったけれど。
でも結局、諦めきれなかった。
だから、時間さえあれば彼女と接触して――その話を聞いた。
伯父さんの言葉を思い出す。
話を聞いてやれ、と。それがどんな荒唐無稽な話であったとしても――。
「ガブリエル、君に話を聞いて欲しいことがあるんだ」
彼女が思いつめたように俺を見つめた時、俺は迷わず頷いた。彼女の母親という女性も、どこか浮世離れした人だったし、とんでもないことを言ってきたけれど。
俺は彼女を信じ、守ると決めたのだ。彼女の傍にいるために、何ができるのか。
どんなことでもやるつもりだった。
彼女のことが好きだから。彼女を手に入れたいと思ったから。
そして、エヴァンに俺のことも好きになって欲しかったから、何でもやろうと思った。そのためには、公爵家なんぞの跡取りとして勉強させられてる場合じゃねえ。早く、何とかしないといけないんだ。
俺はそう改めて考えながら、目の前の『兄』を見つめた。
俺なんかよりずっと鋭い目つきでこちらを観察している、ルジェク・ベンディック。俺はこの男を利用する。ただし、その見返りはきちんと返すつもりだった。




