第10話 ラスボスは叫ぶ<ラウラ視点>
「お姉さまっ!」
アリーツェの悲鳴じみた声が響くのを感じた瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
それは炎魔術。しかも攻撃魔術の術式であり、一部が間違って構成されていた。
通常、術式が間違っていればまともに発動はしない。でも、アリーツェの組み上げた術式は初級魔術としては間違っていたが、上級魔術としては正しかった。
アリーツェは魔力量が多かったのも運が悪かった。
小さな手のひらの中から放たれた攻撃魔術は凄まじい勢いで膨れ上がり、行き先を探して縦横無尽にわたしの部屋の中を駆け巡る。
咄嗟にわたしはアリーツェの上に覆いかぶさるようにして倒れこんだ。だってわたしは彼女の姉だもの。妹を守るのは当然のことだったし自然に身体が動いた。
そしてわたしたちの身体は炎に襲われたのだった。
「ラウラ、あなたがついていながら何てことをしてくれたの?」
わたしがベッドの上で目を覚ましてから少し経って、お母様が姿を見せた。
体中が痛くて熱い。喉の奥がひり付いて声も出せない。ベッドに横になっているのに、どこか深いところに落ちていくような感覚に襲われながら、わたしはお母様の顔を見つめる。
痛いの。
助けて。
そう言いたかったのに、声にならない。
そしてお母様に手を伸ばして欲しかったのに、頭を撫でて欲しかったのに、お母様の反応はわたしの望んだものではなかった。
「アリーツェがあなたの教科書に興味を持ったって聞いたわ。どうして触らせたの。どうしてあの子が読める場所に置いたの。こんな『事故』が起きたのは、あなたのせいよ」
――わたしのせい? わたしが悪いの? どうして?
わたしはこの春から、バルターク魔術学校に通うことになっている。
事前の手続きを済ませ、教科書を受け取ってきて自分の部屋に置いていた。入学する前に予習をしておきたかったから、読むだけでも――と思って机の上に置いていた。
まさか、わたしが外出中に妹のアリーツェが部屋に入り込んで、勝手に魔術を使おうとするなんて誰が考える?
アリーツェはまだ十歳で、何にでも興味を持つ天真爛漫な少女だった。
基本的に正式に習っていない魔術を使うのは禁止されている。あの子もそれを知っているはずだ。
でもどうして、勝手に攻撃魔術を使おうとしたの?
わたしが部屋に戻ってきて、あの子の手の中に魔術書があった時、本当に驚いた。しかも、たどたどしく呪文を唱えながら――わたしが「やめて!」と叫んでいるのに気付きながらも術式を完成させたのは何故?
――あの子はどこにいるの。
――アリーツェ。どうしてあんなことをしたの。
混乱する頭を持て余しながら、気を失うように眠りにつく。目が覚めて、眠る。ただそれだけを繰り返し、やがてわたしはベッドから降りることができるようになった。
鏡を見て自分の怪我を確認した瞬間の絶望を、毎日のように思い出す。わたしの左頬は火傷によって酷いことになっていた。顔だけじゃなく、腕も足も、喉も肩も一生残る傷跡ができていた。
腕のいい医者が来てくれたと後で知った。だから、このくらいで済んだのだ、と。見た目だけは痛々しい傷が残ったけれど、生活には支障はないはずだ、と。
でも、貴族令嬢としてはもう終わりだった。
わたしは『傷物』となったのだ。
わたしには幼い頃に決められた婚約者がいた。幼馴染として一緒に育ち、雷属性の魔力が強く、幼い頃から剣術を習っていてその腕前はかなりのものだった。将来は王宮にて騎士になれるのでは――と言われている少年。
わたしは彼を――ラデク・ルバーシュ伯爵令息を陰ながら支えていけるよう、彼の婚約者として相応しくなれるよう、必死に勉強をしてきたつもりだった。
でも、気が付いたら婚約者という立場から外されていた。
「ごめん、ラウラ」
同い年だけど大人びている顔立ち、少しだけたれ目だから優しく見える彼の茶色の瞳。柔らかいふわふわしたこげ茶色の髪の毛も、何もかも素敵に思えていた。
でも、彼は肩を落としながら続けたのだ。
「君との婚約は解消されて、僕は……アリーツェと婚約することになった」
「え?」
わたしは顔の傷を隠すために、薄絹のベールを頭からかぶって彼の前に立っていた。傷を隠すために喉元や両腕を隠すドレスしか着れなくなったわたしに、彼は同情の色を浮かべた瞳をこちらに向け、頭を下げた。
「ごめん、解って欲しい。君はもう、社交の場には出たくないだろう? 君の両親もそう言っていた。君が僕との婚約を解消して、身を引きたいと言っていると」
もちろん、わたしはそんなことは言っていない。
怪我のことはまだ心の整理がついていないし、もしかしたら――治療魔術が得意な人がいれば、その人に頼めば……なんてことも考えていたのに。
どうして。
どうして?
わたしはただ無言で彼を見つめていて、彼の視線はずっと宙を彷徨ったままだった。
結局、彼はわたしに何度も謝罪の言葉を投げつけて、わたしがそれを受け取ることもできずに茫然としているというのに、全てが終わったとばかりに帰っていってしまった。
そして気が付いたら、ラデクの隣にはアリーツェが笑顔で立つようになっていた。
お母様もお父様も、そしてわたしの怪我の原因となったアリーツェも、わたしの存在をなかったかのように日常の生活に戻っていってしまった。わたしだけを苦痛の中に放置して。
「ごめんなさい、お姉さま……」
一度、アリーツェは強張った表情でわたしに泣きながら謝罪をしてくれた。わたしは何も言えなかった。「気にしない」とも、「大丈夫よ」とも口にできなかった。
だって、あなたのせいなんだもの。
そんな思いが胸の中に生まれていたから、一度口を開けば恨み言しか出てこないと解っていた。
でも、お父様もお母様も妹の謝罪を受け入れないわたしを咎めた。性格もその顔のように醜いのだな、と言ったのはお父様だ。お母様も、震えるアリーツェを抱きしめて、憎々し気にわたしを睨んでいた。
わたしが暗い表情でいるのも目に入れたくなかったのだろう。笑顔で会話できないなら、食事の場にこないように言われた。アリーツェにも近づかないようにと命令された。
わたしはそれを受け入れることしかできなかった。
だって、わたしは憎悪という感情を知ってしまったから。一度吐き出したら最後、壊滅的なまでに家族の関係を壊してしまうだろうと予感していたから。
これまで、わたしたちは何の変哲もない幸せな家族だったのに。
どうしてこうなったの?
わたしがこの世界のどこかにいるはずの神様を恨んだ瞬間、お母様の腕の中にいたアリーツェが小さく笑ったのが見えた。
それからしばらくして、アリーツェがずっと、ラデクのことを好きだったのだと使用人たちの噂話で聞いた。大切な姉の婚約者だから諦めて祝福しようとしていたらしいのだ、と。
幼くて無邪気な初恋。
とても美化されたその噂話は、わたしの心を切り裂くのに充分な力を持っていた。
あの攻撃魔術は……狙って使ったのかもしれない?
わたしを傷物にするために、初級の攻撃魔術を使おうとした? そしてそれを、あの子は後悔していないんだろうということも、その後の行動から理解してしまった。
わたしはバルターク魔術学校に通い、宿舎で生活を始めた。頑張って勉強に打ち込み、それなりに好成績を残したけれど、家族の誰もそれを褒めてはくれなかった。
仕事を見つけ、家を出て行くと告げた時、やっとお母様が笑ってくれた。
「本当によかったわ」
そう言ったお母様の顔は、どこか化け物じみて思えた。
それからはずっと暗闇の中を歩いている気分だった。
でも、わたしは暗闇は好きだ。醜悪なものを隠してくれるから居心地がいい。
自分の醜さも誰にも見られない。安心して呼吸していられる。
ずっとそれが続くのだと思っていた。
綺麗なものを見ると、胸の奥が焦げていく。誰かに対する憎悪が生まれる。
わたしがどんなに望んでも手に入らなかったものが、誰かの手の中にはあるのだ。世の中というのは不公平だ。それが当然なのかもしれない。
全部全部、暗闇に呑まれてしまえばいいのに。
見えなければいいのに。
そう呪いのように呟き続ける。
わたしはバルターク魔術学校の司書として生活していたけれど、妹とラデクの結婚式には呼ばれなかった。呼ばれなくてよかったと心の底から思う。幸せそうな二人の顔を見たら、殺したくなるだろう。
ずっとわたしは誰かを恨みつつ、嫉みつつ生きていくのだろう。仕方ない、それがわたしなのだから。
でも。
「ほらぁ、だから言ったでしょ? あなた、化粧したら美女になれるって!」
と、わたしの両肩を背後から抑え込んで笑うロベルト先生の声が聞こえるけれど、それはどこか現実味がなかった。
図書準備室はわたしが綺麗に片づけているから、机や棚の中身も整然としている。その机の前にあった椅子の上に座らされ、無理やり化粧をされたわたしは目の前にあれほど憎んだ鏡を差し出されて茫然としていた。
だって、鏡の中のわたしは完全に別人であったから。
怪我をして随分と時間が経った。
引き攣れていた傷は、何度も重ねてかけてもらった治療魔術での効果でかなり目立たなくなったものの、痣となってはっきりと残っている。これはどんなに時間が経っても薄くなることはないだろうと言われている。
でも、ロベルト先生が――さっき、図書室で見かけた男装の少女から受け取った化粧品を使い、その痣を消してくれた。
「凄いわぁ。っていうか、化粧するのに必要なものは全部入ってるじゃなーい? この化粧水もいいし、ファンデもいいし、この口紅も伸びがいいわあ。これ、いくらで売ってるのか知らないけど、買いよ、買い!」
と上機嫌で色々言いながら、彼はわたしを変身させてくれたのだ。
記憶でしか残っていない、怪我をする前のわたしがそこにいた。化粧をしているとは思えないくらい自然な白い肌、色気を感じさせるアイライン、控えめな口紅の赤い色。
邪魔な前髪を手で押え、泣きそうな気分を必死に殺して唇を噛む。
彼は身じろぎ一つしないわたしを放置したまま、自分の化粧も進めていった。そして、さっきよりも美人に化けた彼は拳を握りしめながら叫んだ。
「今夜は飲みにいって男を引っかけてくるわよ! あなたも来なさい! アタシがいい店を紹介してあげるから!」
「……え? ……え?」
ただぼんやりと首を傾げることしかできないわたしを、ロベルト先生は無理やり椅子から立たせて続けた。
「こんな美女がいたら、餌にできるわ! あなた、アタシたちのナンパに付き合いなさいよ!」
「え? ナンパ? アタシたち?」
「そう、アタシの友達をたくさん呼んで大騒ぎしましょ!」
ロベルト先生はニヤリと笑ってわたしの肩をばんばん叩く。そして、彼はそこで不満げにわたしの服装を見下ろして首を横に振った。
「まあ、その前にその服装は何とかしなきゃね! もうちょっと華やかな服装に着替えましょ!」
「え? え?」
わたしが困惑しているというのに、ロベルト先生は止まらない。わたしの腕を引いて、図書準備室から出て行こうとする。
ちょっと待って。
本当に待って。
何が起きてるの?
わたしの腕を引っ張って廊下を歩くロベルト先生の背中に声をかける。
「待ってください、ロベルト先生! わたし、まだ行くなんて一言も!」
「ローラって呼んでちょーだいって言ったでしょ!?」
「でも先生!」
「飲み屋で気に入った男がいたら、酔い潰させて既成事実に持って行くのよ!? 頑張りましょー!」
「え? え? いやー!」
廊下にはわたしの叫び声が響いたけれど、ロベルト先生の迫力が凄すぎて誰も遠巻きにしてこちらに近寄ってこない。
嘘でしょ? 誰か、嘘だって言って!
でも結局、わたしはその後、ロベルト先生の友達に囲まれることになった。類は友を呼ぶという言葉があるけれど、それは事実だったとだけ誰かに泣きつきたかった。




