親の教えと冷や酒は、後になってから効くんだってさ
創作論、かもしれない。
母は物書きになりそこねた人だった。
本邦で一番有名な文学賞(ネット大賞、ではない)を輩出している文芸誌で、何度か賞に選ばれていた。
母と同時期に入選していた人の一人は、文壇の大物になっていらっしゃる。
「なんで小説書くの止めたの?」
「お前たちが生まれたから」
嗚呼母よ、産まれてきちゃってごめんなさい。
でもこの手のセリフは、たとえそれが事実でも、子どもさんに言わないであげてね、世のお母様たち。
歪みますのよ、それなりに。
まあ、こんな話をすると友人たちからは「作文とか、教えてもらったの?」なんて訊かれることがある。
作文? 小学校三年生以降は、嫌なので見せませんでしたよ。
だって批評されてしまうもん。
ただ、二点ほど、文章の書き方を教えてもらったような気がする。
「遠足に行って、とっても楽しかったです」
小学校一年の時だ。
これを目にした母が言った。
「お前の『楽しい』と読む人の『楽しい』は同じじゃない。誰が読んでも『ああ、本当に遠足に行って、楽しかったんだね』と思ってもらえるような文を書くように」
個人の感情は、単なる感情表現では伝わらないこともあると、初めて知った。
では、どうすれば良いのか。
淡々と、事実を書けば良いと母は言った。
天候や風景を、ありのままに。
一つひとつの文章は、短くて良いから。
もう一点は、視点についてだった。
作文は基本一人称である。
なので、自分から見た他人を書くのは良いが、他人が見ているものを自分の視点で書くと、読む人が混乱するからヤメレ。
更に。
もしも小説を書くならば、一人称ではなく、三人称で書けと母は明言した。
だいぶあとになって、母はヘミングウェイを好んで読んでいたことを知った。
つぶされる蟻のシーンが、その後の主人公の運命を示唆しているというような技法を、会得していたのかもしれない。
まだ純心無垢だった小学生の頃に、母から受けた文章の書き方は、それなりに沁み込んだ。
私の作品は三人称で地の文が多く、無駄な風景描写と相まって、読みにくいものが少なくない。
でも。
それは。
それは、私のせいじゃないんだあぁぁ(小声)
ちなみに現在は、一人称の作品も、ぽちぽち書けるようになりました。
もう少し文書修行をするために、今年はアメリカ文学でも、読んでみようかと思っている。
誤字報告はいつも助かっております。
敢えてひらがなで書くこともあります。
参考文献
高取清「Hemingway文学における文体分析」文教学院大学外国語学部紀要、2007
※高取の親戚の方ではないです。