□ 転生くの一伝 其の弐『禁断秘術』
油断した──自責の念と後悔だけが、脳内を支配する。
忍にとって……『卑怯』という単語は誉め言葉である。
何故ならば、闇を活きる忍にとって不意を突くというのは常套手段であり……極めて健全な方法なのだから。
念頭に置くべきは情報の入手──そして、それを持ち帰ることであり……間違っても敵と正々堂々と戦うなんてあってはならないのだ。
任務の成功だけを第一に考えるべきであり──立ち塞がる者がいたのならどんな手段を使ってでも排除せねばならない。
たとえ真っ当で誉められるやり方ではなくても、たとえ逃げのやり方であっても、たとえ姑息であっても……確率の高い取捨選択を常に迫られている忍にとって『卑怯』とは──生き残るための当然の手段である。
だからたとえ不意討ちを受けようとも、文句を言える立場ではないし……むしろ、称賛すべきものだと拙者は考える。
恥ずべきは慢心と油断を招いた己自身であり、それが死を招いたとしてもあまねく受け入れるべきである。
──だが、今回に限ってはそうはいかない。
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「………………かはっ…………………」
閑静な住宅街──最寄駅から徒歩三十分以上という立地の悪い安い借屋の、小窓から望めるのはいつも灰色の空で……隣接した廃棄場から漏れ出る機械音と小鳥の囀りが嫌に大きく耳に届く。
浮遊感に苛まれ、寝覚めの悪い朝を迎えるのはいつもの事だと思わず錯覚しそうになる。
いつも通り、狭い間取りの寂れた部屋の風景。
いつもと違うのは、その部屋の借り主を濡らす血溜まりのみ──なんて朦朧としている意識の中でもそんな事を考える余裕があるのは……果たして黄泉の国へと近づいているからだろうか。
傷は致命傷だった。
なんせ刀がどてっ腹を貫いているのだから。
医療術に通じていなくても理解できる。
臓器も分断され、体中の血液がとめどなく失われる──もって数分の命であることを。
「……………………ぐふっ…………」
飛びそうになる意識を、気力のみで覚醒させる。
就寝中も決して気は抜いていなかった──にも関わらず、拙者は何者かに、気配すら無かった何者かに襲撃されたのだ。
そして、襲撃者はまるで何も無かったかのように痕跡すら一切残さず、既に去った後だった。
残されたのは変哲もない刀のみ……貫かれ、動くことすらできなくなった拙者を地獄へと逃がさぬ楔であるよう象徴するかの如く。
考えるまでもなく……同業か、それに近い位置にいる者の所業であることは明白であり──拙者が何者かを知る誰かの仕業であり、何かしらの理由があって拙者を狙ったのは疑うべくもない事実──懸念すべきはその点だ。
──【いずれ巻き起こる大戦のため、一般人として表社会に潜伏せよ】──
考えるべき、その理由。
斯様なタイミングで拙者を狙った理由──大きな戦が起きるその時が近づいている──そうとしか考えられない。
俗世間に潜み二十数年……ここまでの恨みを買った覚えもなし。となれば必然──〈正体不明の敵〉が来訪してきたとしか考えられぬだろう。
拙者の正体を知る何者かが脅威を排除すべく動き出した──それは間違いない。
「………………………………………………………っ」
──意識を途切れさせぬための連続思考もそろそろ限界に近い……………悔しいが、今は未来の事を案じている刻ではない………何とか生き延びねばならない。
でなければ………この正体不明の恐るべき敵が野放しになってしまう。
〈忍〉達にすぐに危機を伝えねば──そして、もう一つの懸念事項についても思案しなければ……そのために拙者は死ぬわけにはいかないのだ。
迷っている暇は無し、秘伝のあの術を使う時がやってきたのだ。
残った僅かな力を腕に込め、深くこの身体沈んでいた刀の柄を両腕で握った。栓の役割をしていたこれを抜けば……堰をきるように血が溢れ出し、たちまち失血により数秒で命を落とすであろうことも、理解しながら。
「………ぁああああああああああああああっ!!!」
咆哮の大きさ比例するように、血は溢れ出す。
構うものか──もはやこれに賭けるしかないのだから。
「──ああああぁあぁああああっ………!!!」
永遠とも感じる長い無限の果てに、なんとか絶命することなく刀は部屋の片隅に鈍い金属音を建てて転がった。
もって数秒……思案する時間も血も足りない拙者は印を結び─────唱えた。
「……………………禁術………【TS(転生)の術】………」




