温めますか?
「こちらは温めますか?」
「あっ、はい。温めて下さい」
営業スマイルでレジに置かれた商品に手を向けると、恥ずかしそうに眼鏡の内で目を逸らした彼女は小さな声で答えた。
……マジか?
俺は顔を引きつらせながら視線を落とす。
その先にあるのはカップ麺。
もちろん温める商品では断じてない。
じゃあ何故わざわざそんなことを聞いたのかって?
では目の前にいる20代半ばに見える女性のことを語るとしよう。
地方の大学に合格した俺が夜のコンビニバイトを始めたのは、今から半年前。
時間帯のせいか、地方都市ゆえの人口密度のせいか、お客の出入りは少なく見慣れた顔が多い。
夜な夜な18歳未満お断りな本を物色にくる、見るからに中学生らしきニキビが特徴的な少年。
ジャージ姿でイチャイチャしながらやってくるヤンキーカップル。
酒を買いに来るのだが、いつ見ても既に千鳥足のおっちゃん。
そんな顔ぶれの中に彼女はいた。
だいたい週に2、3回、21時くらいにコンビニにやって来る彼女は、スーツ姿で夜食を買っていく。
疲れた顔で自動ドアをくぐり、弁当やスイーツを時間をかけて眺めているうちに笑顔になっていくのが彼女のルーティンだ。
いくつかの候補をカゴにいれると、そこから第二ラウンドだ。
一日の予算を決めているのか、彼女の支払いは決まって600円を超えない。
スマホには電卓機能もあるのに、彼女は脳内で予算内での最高の組み合わせをシミュレートしているのだろう。
一度は棚に戻し、また手に取って別の商品を戻す。
ようやく決着がつくと帰ってから食べる幸せを想像しているのか、満面の笑みでレジにやって来る。
見ているだけでちょっとほっこりしてしまう。
それが彼女だった。
「これ、温めて下さい」
「こちらの商品ですね。少し封を切らせてもらいますね」
必ずメインの夜食と思われる商品の温めを頼む彼女だったが、最初は特別おかしいとは思わなかった。
弁当は大抵の人が温めて欲しいというし、惣菜パンも温めた方が美味しいものもある。
俺が「あれっ?」と思ったのはバイトから一ヶ月が過ぎた頃だった。
「これ、温めて下さい」
「はい、こちら……ですね?」
条件反射で返事をしたものの、商品を手にした俺は驚いた。
——蕎麦だ。
もちろん今のコンビニには温める前提の蕎麦も売っている。
だが彼女が指差したのは『ざるそば』と銘打たれたものだ。
もしかしたらこの地方では、ざるそばは温めるのかもしれない。
自分にそう言い聞かせて、レンジ内で爆発しないことを祈りながら10秒のボタンを押す。
カウントダウンが終わり、惨事を免れた商品を手に取れば微かに温かい。
彼女は嬉しそうに受け取るとコンビニを小走りで出ていった。
その日から彼女の猛攻が始まった。
ざるそば、冷やし中華、そーめんの麺類を制覇すると、続いてやってきたのはスイーツ。
意外に美味しそうに思えるものもあったが、ゼリーなどは見るも無惨な液体と化していた。
もちろん俺から温め拒否をした事はない。
つまりこれは俺と彼女、どちらが先に折れるかの勝負なのだ。
そしてとうとう今回選ばれたのはカップ麺だった。
せめて俺も『お湯が必要ですか』と聞くべきだった。
もちろんカップ麺にレンジで温める意味は無い。
むしろ包装や容器に悪影響を与えるだろう。
人肌の温度になったカップ麺を持つ彼女は、やはり嬉しそうにコンビニから出ていった。
そろそろ俺は負けを認めないといけない。
だが俺は考えた。
視点を変えてみたらどうだろうか?
もしかして彼女の目的が温めることではないとしたら……。
そう、俺は気づいてしまった。
もしあまり接点のない異性に興味を持ってもらいたかったら?
話しかければいい。自分に自信がある人はそう言うだろう。
だが彼女は恥ずかしがり屋だ。
眼鏡をかけているんだから間違いないだろう。
ではどうするか?
答えは人とは違った奇妙な行動をとるだ。
つまり彼女の『温め』は自分に興味を持って欲しい心の表れなのだ。
誰にって?
——俺!?
いやぁ、参った。
思惑通りに俺は彼女に興味を持ってしまったのだから。
改めて彼女のことをよく思い出してみる。
彼女は地味だ。
黒縁眼鏡に乗っかるような前髪に、後ろで一つに括られた黒い髪。
小柄な彼女は美人とは言い難いが、コロコロ変わる表情は小動物のような愛くるしさがある。
いや、妙に意識してしまったからか、俺の脳内では意外と美人に格上げだ。
さて、どうしたものか。
こっちからさりげなく話してあげるべきか、それとも知らない素振りでいるべきか。
俺は自分から話しかける勇気がない事を棚に上げて、妄想を膨らますのだった。
——三日後。
人の出入りも少なくなった頃、いつもよりも少し遅れて店内に彼女が入ってきた。
だが彼女は夜食を選んでいても笑顔にならない。……そう、落ち込んでいるという言葉がしっくりくる表情のままだった。
彼女は店内を二周ほど歩いたあと、俯いたままレジカウンターに新発売のクリームドリアにコーヒー牛乳を置いた。
バーコードを読み取り、いつもと同じ言葉をかけても良いのかと迷いつつも口を開く。
「こちらも……温め……ま……」
言葉が止まる。
だって彼女の頬からカウンターに一粒の涙が落ちたから。
初めて見る彼女の泣き顔。
鳩尾がキリキリと締め付けられる。
「あっ、あの。大丈夫ですか?」
「えっ? えっ?」
彼女は自分が泣いていることに今気付いたかのように、慌てて袖で涙を拭った。
「ご、ごめんなさい。最近残業続きで疲れていて、家に帰っても一人で誰も「おかえり」って言ってくれなくて……何のために働いてるんだろうって――っつ! わ、私、店員さんに何言ってるんだろ? ご、ごめんなさい」
無理した笑顔を作る彼女を見て、俺はようやく理解した。
俺の妄想はともかく、「温めて下さい」の意味をだ。
それは彼女の願望の表れなんだと。
一人暮らしをしているから俺にも分かる。
一人ってのは自由だし楽だ。
でも、辛い時、忙しい時、妙に寂しい時。もし誰かがそばにいてくれたら。
家に帰った時に「おかえりなさい」と言ってもらえたら。
朝出かける時に「いってらっしゃい」と言ってもらえたら。
いや、言葉なんかなくたっていい。
ほんのちょっと心を温めてくれる存在がいたら。
きっと彼女はレンジで温められた商品を手にする事で紛らわしていたんだ。
だから俺は自分を奮い立たせ勇気を振り絞った。
「あっ、あの――お、俺で良ければあなたを温めます!」
「あ、それは結構です」
即答だった。
初めての彼女からの温め拒否は俺の心を打ち砕いた。
そりゃそうだ。
行きつけのコンビニ店員に急にあなたを温めますと言われたらドン引きだ。
俺は恥ずかしさから「すいません」と後ろを向いた。
すると背後からくすくすと小さな笑い声が聞こえる。
彼女は俺の見事な勘違いを笑ってくれた。
「す、すいません。お、俺、なんていうか、思わず言葉が出たっていうか」
振り向いて謝ると、彼女はいつもの明るい笑顔を見せていた。
「私も急に泣いたのでおあいこって事で。じゃあ……一つお願いしてもいいですか?」
翌日の夜。
がらんとした店内の自動扉が開いた。
恥ずかしそうに入って来たのは彼女だ。
視線が交わると俺も妙に気恥ずかしくて、ポリポリと頬を掻いた。
いつものように店内を回り夜食を選ぶ彼女。
ようやく本日のメニューが決まったのか、苺牛乳とサンドイッチをレジの上に置いた。
バーコードを読み取りながら、俺は彼女のお願いを実行にうつした。
「お、おかえりなさい」
「あっ、た、ただいま」
他に客がいなくて良かったと本当に思う。
側から見れば店員と客での間抜けな会話だろうが、俺の顔は真っ赤だろう。
きっと目の前の彼女と同じように。
そして俺はいつものセリフを口にする。
「こちらも、温めますか?」
「はい、お願いします」
はにかみながら小さく笑う彼女は、苺牛乳を指差した。
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