仮面舞踏会
「ねっ、行きましょうよ!ずっと貴女にお礼がしたいと思っていたのよ!」
朝からお嬢様に誘われているのは仮面舞踏会への参加についてだ。
昨夜はもう遅いからと詳細を省かれてお休みされたけど、今から二週間後に開催される仮面舞踏会に私と一緒に行くと、お嬢様は張り切っていらっしゃる。
ちなみに、お嬢様が言ったお礼がしたいとは、初めて出会った頃の事を仰っているのだとは思うけど……
「いえいえ、いくらお嬢様のお誘いでも、私のような華のない者がそのような場所へは……」
「貞淑な妻としてずっと過ごしていた貴女には、息抜きが必要よ!」
レジーナお嬢様は結婚の経緯をご存知だし、飯炊係の一件も話してある。
慎ましやかには生きてきたつもりだけど、貴族社会の一般的な貞淑な妻とは程遠いとは思っている。
私がいくらお断りをしたところで、愛くるしいレジーナお嬢様を止める事などできなかった。
だから、きっちり二週間後。
「シンシア、サラ、手伝ってちょうだい」
「「はい、お嬢様」」
レジーナお嬢様が監督をする中、シンシアさんとサラさんに押さえつけられて身包みを剥がされていた。
護身術の心得はあるのに、シンシアさんに要所を抑えられると、身動きがとれない。
やはり彼女は戦闘侍女さんなのだと確信した瞬間だ。
「さぁ、今からこれを貴女に着てもらうわ」
「お嬢様、私には無理です……」
涙目になりながら、お嬢様が用意してくれたドレスを見た。
それは、とてもとても素敵なものだった。
いったい、いつから用意されていたドレスなのか。
光沢のあるダークパープルの下地に黒いレース生地が重ねられて、何とも言えない艶やかさを兼ね揃えた大人の気品あるドレスだ。
昨日今日で作れる物ではない。
だから、尚のこと私に似合うわけがない。
「ぎゃうっ」
サラさんに笑顔でコルセットを締められると、レジーナお嬢様が私にドレスを着せようとされたので、そんな事はさせられないと、そこでとうとう観念して自分で袖を通した。
サラさんに髪のセットとメイクを施されている横で、レジーナお嬢様も準備が終えられていた。
「さぁ、最後の仕上げはこれよ!」
レジーナお嬢様が差し出してきたのは、鼻から上を覆う仮面だ。
黒を基調として、シルバーで模様が描かれている。
これなら私の顔が見えないだろうから、もう、お嬢様の付き添いのつもりで参加するのだと思うことにした。
慣れないドレスに苦戦しながら馬車に乗り、陽が沈みかけた道を進んで行く。
ご機嫌な様子で向かいに座るお嬢様を見れば、いつもなら明るい気持ちになるものだけど、無情にも馬車は会場前に到着していた。
レジーナお嬢様の斜め後ろを歩きながら、会場へと足を進める。
そこは、黄金色が目立ち、煌びやかさに目がチカチカしそうな場所ではあった。
高い天井からいくつも下がった豪華なシャンデリアが、仮面を付けた人達を照らしている。
仮面仮面。
どこを向いても仮面が目立つ。
誰が誰かもわからないし、どうせ知っている人なんかいないと思いきや、ふと顔を向けると、視線がある一点に縫い止められた。
えっ、あれって、アレクセイ様!?
仮面をつけていても分かる、あの逞しい体つき。
数人の同僚らしき人達と一緒にいる。
この、人がごった返す会場ですぐにアレクセイ様を見つけられる自分が悲しくなる。
まだまだあの方を忘れられそうにないのかと。
誰かに誘われて渋々参加したのか、誰も自分に近付くなオーラを出しているから、女性たちは興味があっても様子を窺って声をかけられないでいる。
それが、遠く離れていてもわかる。
きっとあの仮面の下には、気難しげに顰めた顔が隠されている。
昔から、女性に話しかけられても一歩引いて対応していた方だ。
いつも淡々と対応されるものだから、大抵の女性は三度目で話しかけるのをやめる。
普段から険しい表情を見せることが多いけど、時折り見せる綻んだ表情がとっても可愛いのだと、長年、姿を見かけては隠れて観察していただなんて、絶対に知られたくないことだ。
何が言いたいのかと言うと、アレクセイ様は異性に対してはさほど興味を示さない方だった。
まさかこんな場所に参加されるとは思わなかったけど、今は英雄であるアレクセイ様が、社交の場に引っ張り出されるのは当然のことなのかもしれない。
すぐに帰ってしまうのかなと眺め続けていると、不意にアレクセイ様の視線が私の方に向けられて、また、バチっと音がしそうなほどに見つめ合っていた。
いや、こんな距離で見つめ合うなど、私の気のせいだ。
と、思っていたのに、えっ、真っ直ぐにこっちに向かってくる!?
いや、な、なんで?
他には見向きもしないで、どうして私のところに真っ直ぐに来るの!?
広い会場の端と端、豆粒ほどにしか見えない私がわかるはずがないし、仮面で顔の大部分を覆っているのに。
いや、自意識過剰だ。
私じゃなくて、誰か他の人の所に行くつもりだ。
そう思って周りをキョロキョロしても、人が多すぎて誰がターゲットかわからない。
一人でオロオロしている私の所に、脇目も振らずにアレクセイ様が近付いてくるなど、誰が予想できるものか。
とうとう目の前に立ったアレクセイ様は、落ち着いたブラウンの瞳で私見下ろしていた。
私のことを誰だかわかっていないのに。
その証拠に、
「お嬢さん」
低音の声に呼ばれて、びくりと肩が動く。
「は、はいっ」
また上擦った声をあげてしまった。
アレクセイ様の声に弱いらしい。
「よければ、私と踊っていただけませんか?」
「是非、お願いします!」
「えっ」
アレクセイ様の言葉を理解する前にいきなり背後からドーンと押されて、身構える前にアレクセイ様の腕の中に抱きとめられていた。
間近に感じる体温に、鼓動は一気に跳ね上がり、口から何かが飛び出そうになる。
私の腕が、服の上からでもわかる硬く鍛えられた体に触れていた。
いい匂いもする気がする。
お願いしますと私の背中を押したのは、あろう事かレジーナお嬢様だ。
突然の展開に、顔をトマトのように真っ赤にしながら振り返ると、小さく手を振っているレジーナ様の姿が見えていた。