脳筋は脳筋なりの務めを果たす
「地べたを這いずり回るドブネズミ達が来たようね。時間切れかしら」
床越しに振動を感じていると、アデルはさも楽しげな笑い声をあげた。
そしてカチリと、何故か鍵をかけている。
「国を壊したかったの」
何を考えているのか、
「でも、結局、中途半端になっちゃったわ」
独り言のようにしゃべりだす。
「腐った土壌からでも、若葉は芽吹くものねぇ……」
わからない。
アデルの考えている事が、全く理解できない。
当たり前だ。
私は彼女の事を何も知らない。
事情も知らない。
アレクセイ様の母親で、どんな親子関係だったのかほんのカケラくらいしか知らない。
わかる事は、私達の関係を壊そうとした事と、あの扉を開けて犯罪者達が部屋に入って来たら、私は終わるって事だ。
「息子は、まだ、貴女をお嬢様のままにしているようね。ロウ家と貴女には恨みはなかったのよ?身を挺して守ろうとした唯一の男に、一つくらい恩返しをしてもいいのかもしれないけど、ふふっ……」
足音に混じって、ドンっ、ドンっと、何かがぶつかる音が遠くの方から響いている。
次第に外から悲鳴も聞こえだし、何か様子がおかしいと感じていると、突然扉の横側の壁が破壊されて、一人の大柄な人物が姿を見せた。
「私の妻を、返せ」
地響きのように、底冷えのする声が耳に届く。
一生懸命に身じろぎをして、その人が登場した瞬間を見ていた。
かべっ、壁を剣で斬れるの!?
アレクセイ様が持つ特徴的な分厚いソードは、一般的な騎士は使用しない代物で、街中でも持ち歩かないものだ。
その鉄板のような剣で壁を破壊したことに驚いていた。
部屋に入って来たアレクセイ様が、部屋の隅に転がる私の姿を確認すると、母親に剣を向けるけど、
「あらぁ、どこかで見た事があると思えば、騎士団長様じゃない」
アレクセイ様の方が、顔が強張らせていた。
「妻を裏切るようなクズ男が、私より幸せになるなんてあり得ないのに、ヒーローごっこをしているのかしら?」
アデルの方は、息子に剣を向けられているというのに、それを悠然とした顔で、微笑みすら浮かべて見ている。
親子が見つめ合うこと数秒。
感情を捨て去った顔で、剣を振り上げたアレクセイ様。
それをさせてはダメだと、
「アレクセイ様、やめてください!」
張り上げた私の声を聞いて、アレクセイ様の腕はピタリと止まってくれた。
声が出てくれて良かった。
少しは薬の効果が薄れてくれたようだ。
「何故ですか、リリアーヌ様。私は戦場で多くの命を奪いました。この女も、その中の一人になるにすぎません。この女を生かしておいては、犠牲になる者が増えるだけです。それは、罪人であり、罪人の息子の私の役目でなければならないのです」
アレクセイ様自らが、母親を殺めてはダメだ。
アレクセイ様は、それを一生引きずる。
そして、アデルはそれを望んでいるのだ。
アレクセイ様を苦しませる為に。
「遠慮せずに、殺せばいいのに。そうしなければ、またその綺麗なお嬢さんをぐちゃぐちゃにしてやるわよ」
グッと、アレクセイ様の腕に力が入るのが分かったから、床に転がっている私は、もう一度声を張り上げるしかない。
「貴女はもう、黙っていてください。そして、正当な裁きを受けてください」
遅れて部屋に入ってきた騎士が、アデルを拘束し、連れて行く。
アデルが部屋を出て行くなり、私の元に駆け寄ってきたアレクセイ様は、険しい表情をしている。
「すぐに医者の元へお運びします」
私の方は、視線がアレクセイ様の肩口に縫いとめられていた。
布の上に血が滲んでいる。
「アレクセイ様、血が!」
「これは、任務中に負ったもので、少し傷口が開いただけなので気にしないでください。お嬢様は、お怪我は、どこか痛むところはありませんか?」
先程、妻と呼んでくれたのは聞き間違いだったのか。
いやいや、それよりも、アレクセイ様が任務中に襲撃されたというあの話は本当のようで、
「アレクセイ様こそすぐに手当を」
と言ったところで、自分が身動きがとれないから、未だ、床には横たわったままで、足に力が入らなくて立ち上がる事が出来なかった。
「ひぇっ」
「失礼します。不快でしょうが、少しだけ辛抱してください」
力強い腕が私を抱き、長い廊下を駆けていく。
いえ!
不快どころか、天にも昇る思いですから!
それなのに、私の赤面を気に留めた様子もなく、アレクセイ様は視線も向けずに険しい顔のまま無言だ。
この屋敷は、ザハール・ハーデン個人の所有物だったようだ。
その屋敷を多くの騎士が取り囲んでいた。
ロウ騎士団と共に、近衛騎士も来ていた事に驚いた。
「間も無く医師が到着しますので、このままお待ちください」
馬車の座席に寝かせてくれると、アレクセイ様は外に出る。
それを寂しいと感じつつ、狭い馬車の中で一人になったところで、これで一連の事は終わったのかと、そうだとしても何とも言えない苦い思いは残っていた。




