結婚を約束した女性がいたらしい
王都にある、伯爵家の屋敷に少しだけ寄ろうと考えていた。
お父様はいなくても、タウンハウスの管理を担っているお姉様がいる。
エクトルさんが護衛でついて来てくれているから、ちょうどいいと思っていた。
信頼できる人がすぐそばにいてくれているので、心配事はあっても安心して町中を歩いて帰れる。
城から遠ざかるにつれ、貴族の屋敷が立ち並ぶ区画に近付いて行く。
重厚な門の前に門番が立っている以外は、あまり人通りがない場所ではあった。
時折り家紋入りの馬車が横を走り抜けて行くくらいで、歩いてすれ違う人はいない。
そんな場所で、前方から思い詰めたような表情で近付いてくる女性がいた。
その女性は、一般的な平民の服装をしており、家庭的な雰囲気をもつ、大人しい感じの女性だった。
私よりは年上に見えて、どこか怯えたように辺りを窺っているようにも見える。
「ロウ伯爵家のリリアーヌ様でしょうか?」
私の前で立ち止まると、その女性が声をかけてきた。
警戒は怠らない。
「あなたは?」
自分が名乗らないのに、私もご丁寧に名を明かす必要はない。
「私は、アレクセイと結婚を約束した者です」
「はい?アレクセイ様と?それは、戦争前のことでしょうか?」
女性の衝撃の告白に、最初は動揺した。
「はい。アレクセイからプロポーズされて……子供もいます。それなのに、貴女と結婚することになって……」
俯きがちに喋る女性の顔は、あまり手入れされてない長い髪に、半分は隠れてしまっている。
服装からも、生活に苦労している様子は窺え知れた。
「子供まで……?貴女とアレクセイ様との間に?あり得ません!」
強い口調で断言した私に、女性は驚いた顔を向けた。
「そんな女性がいたならば、アレクセイ様は父に必ずその事を報告したはずです」
「あの、いえっ、驚くかもしれませんが、子供は、黙って私が一人で生んで……」
「この件は、我がロウ家の騎士団で調べさせてもらいます。貴女の連絡先を教えて下さい。今日のところはお引き取り下さい」
「え、あの、でも」
ともすれば地面に伏して泣き出しそうな内容だし、もちろん事実確認は必要だけど、そんな女性がいたのに黙って隠し通していられるほど、アレクセイ様は器用な人ではない!
「お嬢様、俺がこの女性を送ります」
音も立てずにロウ家の騎士が近付いてきていた。
エクトルさんの他に、何人か控えていたのは知っていたけど、この女性の身元を確認してもらえるから助かる。
女性の顔が真っ青になっているけど、こちらとしては乱暴なことはしないので、そこまで怯えないでほしい。
「では、お願いします。私は屋敷に戻って、報告しますので」
それからはもう、猛ダッシュで家に向かって、使用人達の出迎えの挨拶に答える余裕もなく、客間に駆け込んで自分の気持ちを落ち着かせる。
エクトルさんがすぐにアレクセイ様を屋敷に呼んでくれていたのか、私が家に入った5分後には、襲歩で馬を飛ばしてきたアレクセイ様も屋敷へと到着した。
部屋に入って来たアレクセイ様を、まずはソファーに座らせる。
私も向かいに座り、何があったのかと不安げな様子のアレクセイ様に、先程あった事を話し、
「アレクセイ様、心当たりはありますか?」
最後に事実確認を行っていた。
「私の信用がないが為に、お嬢様が信じられないのは当然かもしれませんが、事実無根です。そのような女性など知りません」
アレクセイ様は、話を聞いて狼狽していたけど、返答はハッキリと断言されていた。
アレクセイ様のことは、あまり疑っていなかった。
そんな女性の存在を隠し通せていたのなら、今頃は私のことをもっと手の平で転がしているはずだ。
「アレクセイ様の言葉を信じます」
それを伝えると、少しだけ安堵した様子を見せた。
「まったく、貴女達の関係をいいように利用されているわね。情けないわ、リリアーヌ。おイタをした男など、これからいくらでも躾ければいいのです。さっさと収まるところに収まりなさい」
「ソレーヌお姉様……」
涼やかな声を響かせながら、お姉様がエクトルさんを伴って部屋に入ってきた。
ソレーヌお姉様は伯爵家の次女で、お父様の部下、今はアレクセイ様の部下のエクトルさんと結婚されている。
「この度は、私が不甲斐ない為に、お嬢様に不快な思いをさせました」
アレクセイ様が立ち上がって、お姉様に頭を下げている。
「まったくよ。私の大事な妹を。でも、手紙の件といい、その女性の背後も調べないとね。アレクセイさん?本当に覚えはなくて?」
「誓って」
「あ、ソレーヌさん、報告いいですか?他の奴がその女に聞き取りをしましたが、団長が平騎士時代に遠征に行っている時でしたから、距離的にどう考えても子作りなんか無理ですよ」
エクトルさんの報告に、胸を撫で下ろしていた。
「そう。まぁ、その報告を信じるとしましょう。それで、例の一件は、アレクセイさんはちゃんと謝罪しまして?」
お姉様の問いに、アレクセイ様は答えた。
「はい。ただ、それで赦されたとは思っていません」
「いい心がけです。リリアーヌは、ちゃんと頭の一つでも踏みつけたのでしょうね?」
「踏み、えっ、いえ、そこまでは」
「甘いわ。この朴念仁には、それくらいして当然なのに。そもそも、エクトルが付いていながら、どうしてちゃんと手綱を握っておかなかったの」
お叱りの矛先は、今度は夫であるエクトルさんに向けられたものだけど、
「いや、そうは言いましてもね」
「貴方にもまだまだ教育が必要のようね」
「楽しみです」
当の本人はともすればニヤけているようにも見える、締まりのない顔をされている。
エクトルさんの方がお姉様よりも年上なのだけど、主導権はお姉様にあるようだ。
ちなみに、アレクセイ様よりもエクトルさんの方が年下だ。
「何か団長がピンポイントで狙われていませんか?戦場でも、何回か味方側から矢を射られましたよ」
「味方側から矢を射られた!?大丈夫だったのですか!?」
思わず立ち上がって、アレクセイ様の体を上から下まで観察してしまう。
「2~3本刺さった程度で、たいしたことはありません。もう、癒えた傷です」
「たいしたことないって……」
「恨み……ってよりは妬みの線なのでしょうが。今回は別の方向から攻撃をしかけられましたねぇ」
「いいわ。受けて立ちなさい。貴女達二人は、何事もなかったかのように手でも繋いで帰りなさい。見せつけてやりなさい。これは、伯爵家当主からの命令だとでも思いなさい。いいわね?アレクセイさん」
話はそれで終わりだとばかりに、返事もさせずにアレクセイ様と二人そろって屋敷から放り出されていた。




