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北条氏政の憂鬱

弘治二年(1556年)5月


 いくさの後始末を全て氏康に丸投げした俺であったが、横浜村の土木工事を手伝ったり、怪我人を治療したり、いくさで手柄を立てた者に感状を書くなど、意外とやることは多かった。先のいくさで降伏した連中は、今さら里見家に戻っても居場所がないし、火傷を治療してもらった恩を返したいということで、長野家の工兵隊に組み込まれることとなった。これで兵の数が百に増えたし、横浜村の開発も進むぞ。

 そんな感じで数日過ごしていると、氏康から『急いで小田原に来るように』との書状が届いた。

 横浜村は白川五郎に任せ、俺はいつもの三人と藤殿・菖蒲を連れて小田原へと向かう。

 小田原城にも随分慣れたものだと思いながら藤殿と一緒に登城すると、なんだか俺の扱いが随分と良くなっている気がするなあ。城で会う人全員が、俺に声をかけてくれるぞ。

 本丸の大広間では、氏康が上機嫌で待ち構えていた。そして俺の顔を見るなり、『挨拶など良いからさっさと来い』と言って呼び寄せる。

「此度のいくさでは大活躍だったそうだな。なにやら、不思議な武器で敵の船を破壊したと聞いているが、後で詳しく聞かせてもらおうか。いずれにせよ、三浦半島を荒らし回っていた里見水軍に打撃を与えることができたのは、おぬしが敵を引き付けてくれたおかげじゃ。礼を言うぞ。」

 そう言って、氏康は俺に金銀の入った袋と太刀を渡した。今回の恩賞だそうだ。あと、里見家から分捕った小早舟も三隻もらえることになった。これで、宇久須(西伊豆町宇久須)から珪石を運んだらどうかと氏康に言われたので、早速そうさせてもらうとするか。

「なにやら、藤に本をくれてやったそうだな。わしにも本を書いてくれんか。そうだな、和漢の古典が良いかな。なに、ただで書けとは言わん。礼なら弾むぞ」

 と氏康が言うので、論語・孟子や古事記・万葉集などの本も書くことになってしまった。

藤殿も、隣で物欲しそうな顔をしている。余計な仕事が増えてしまったぞ。

「それにしても、そなた一人で敵十数人を蹴散らしたというではないか。初陣なのに随分と肝が据わっているな」

「私には、氏康様もよく知る例の力がありますから、精神的に余裕があったのですよ」

 と言うと、氏康は『ああ、例の異能か』と納得したようであった。

 まあそれもあるけど、前世の公務員時代は税金の徴収や福祉の仕事をしていたから、荒事には慣れているんだよね。何をされても手出しできない公務員と違って、今は武器で敵を攻撃することもできるから、安心感が違うね。 

 話を本筋に戻そう。氏康からは色々と頼み事をされたけど、その中には『氏政の所へ顔を出して、相談相手になってほしい』というものもあった。なにやら、以前俺が示した鉱山から金銀が採れたので、その使い道について俺の意見を聞きたいそうだ。

 とりあえず、俺一人で氏政の所へ行くことにしたのだが、藤殿を連れて行かなかったのは、彼女に嫌な思いをさせたくなかったからだ。多分、新参の俺は氏政の側近に良く思われていないからな・・・。


北条氏政の憂鬱


 うーん、氏政か。

 俺の氏政の印象は、まず小田原評定なんだよね、などと思いつつ氏政の下に行くと、予想通り議論ばかりで何も決まっていない様子であった。ちなみに、ここにいるのは氏政の弟たちと、草創七手家老(大道寺・多目・荒木・山中・荒川・在竹・松田)の連中である。まあ、予想通りの面々といえる。

 俺は下座で平伏して氏政に挨拶すると、周囲からは『英雄様のご登場だ』などといった声が上がる。もちろん、好意のこもった視線もないことはないが、俺にとって居心地の悪い状況は変わりない。

 氏政は、『早くこっちに来い』と言って俺を呼び寄せるが、この点は父親とそっくりだね。

「金の使い方についてだが、強力な軍隊を作るか、巨大な城を作るかで意見が割れている。氏業殿も忌憚なく意見を述べてくれ」

 と言うので、俺は

「朝廷と幕府に献金するのはどうでしょうか。高い官位で敵の上に立つのも良いですし、公方様から直々に関東管領職をいただいて、上杉憲政の正当性や関東を攻める大義名分を奪うのも良いかもしれません。もしくは、上杉憲政を小田原に引き取り、氏政様の弟君を養子に出して跡を継がせて、上杉家の名跡を乗っ取るという手法もありますが、いかがでしょうか」

 と提案すると、早速多くの者が反対をした。

 そもそも、畿内の腐敗した政治が嫌で関東まで来たのに、また朝廷や幕府と手を結ぶのか、というのが反対の理由だそうだ。

 朝廷や幕府とはある程度距離を置き、関東の政治には関わらせないことがこの地の安定につながるという考えは、信長のやり方を知る後世の人から見ると時代錯誤に見えるね。

 それに、後奈良天皇の崩御が来年9月だから、早めに大喪の礼とか即位式に向けた準備をしておく必要があるんだよね。

 まあ言うことは言ったし、後は氏政が決めることだと思ってこの場を去ろうとするが、俺の意見に関心を持った者も何人かいて、詳しい話を聞かせてほしいと引き止められてしまった。

 結局、強力な軍隊を作る大石氏照の『軍隊派』、巨大な城を作る松田憲秀の『巨城派』、そして俺の『外交派』に分裂してしまった。こりゃ、氏政も大変だね。


弘治二年(1556年)6月


 何か行動するたびに仕事が増えるな、などと思いつつ、俺は小田原で本を書いたり、新しい灰吹法を試したり、氏康からもらった恩賞を皆で山分けしたり、宇久須の珪石を箕輪城に輸送したりして過ごしていた。ちなみに、紙は紙屋甚六から購入してみたよ。

 それ以外では、乙千代丸(北条氏邦)や松田孫次郎(康郷)、大道寺政繁などと北条家の外交方針について議論していたのだが、氏康に頼まれていた本が完成したので、早速菖蒲を使いに出して氏康の所へ向かうことにした。

 氏康は、ささっと本に目を通すと、隣にいた幻庵翁に本を渡し、俺の方を向いて話し始めた。

「おぬしがこの前の戦いで使った火炎瓶だが、火災を起こすだけでなく、水兵に怪我を負わせて戦闘力を奪えるのが良いな。単純な作りをしているが、中の油がよくわからん。金は出すから、北条家に融通してくれんか」

 うーん、軍事機密を晒してしまったのは失敗だったか。でも、下手をすればいくさで死んでいたところだし、むしろこの機会に相良油田(静岡県牧之原市)を開発して、大量の軽質油を備蓄する方が良いかな。そうだ、そうしよう。

 ということで、油は臭水を精製したものであって、遠江東部の相良で臭水が採れることを氏康に伝えた。

「臭水は今川領で採れるのか。であれば、義元殿に手紙を書いてやるから、おぬしは相良に行き、臭水を掘ってくるが良い」

 なにやら、また仕事が増えてしまった。まさか嫌とも言えないので、

「ははっ、謹んでお受けいたします」

 と返事をした。まあ、しょうがないよね。

「あと、武田晴信殿がおぬしに興味を持っているようだから、今川家の用が済んだら甲斐にも寄って帰ってくるがよい」

 えー、今川義元の次は武田晴信かよ。あまり偉い人に会いたくないなあ、腹が痛くなるし、なんてことを思っていたが、氏康がとんでもないことを俺にささやいた。

「わしは、義元殿と晴信殿の背後にも炎を見たぞ」

 それってつまり、今川義元と武田晴信も怨霊魔法を使えるということかな。

「まあ、ちょっとした旅行だと思って、楽しんでくるとよいぞ」

 だそうだ。

 一方、幻庵爺さんは、古事記や万葉集を見て唸っていた。

 まあ、これらの本が書かれて八百年以上の時が流れ、もはやまともに読めなくなっていたのだから、いきなり現代語訳された古事記や万葉集が出てくればそれは驚くよね。『かなり意訳がされていて、わしには真贋がわからん』と幻庵爺さんが言うので、今川家にいる権大納言三条西実澄(実枝)に見せて、本の評価をしてもらうことになった。評価が高ければ、小田原本としてこれらの本を売り出すのも良いのではないか、だってさ。


第4章 完

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