最終決戦、江戸城の戦い
政虎・氏業と信長が戦っていた頃、関東では武田信玄率いる五万の軍勢が江戸城に襲い掛かっていた。本来であれば、碓氷峠を越えて箕輪城・江戸城・横浜城という順番で城を落とすことで、後顧の憂い無く上洛に専念できるはずだったのだが、業政の暗殺に失敗したため、甲斐から直接江戸城を攻めるという作戦に切り替えたわけだ。
武田軍五万の前に、江戸城はあっけなく落城。城主の上杉景邦(乙千代丸)は、横浜城へと逃亡した。江戸城を占領した信玄は、政虎の天下を潔しとしない者たちに対し、江戸城に集結するよう呼びかけた。すると、たちまちのうちに浪人・僧兵・山賊・盗賊・海賊どもが集結するのだった。その数、五万。
信玄は、小幡信貞・内藤昌豊・真田信綱に五万の兵を預けると、横浜城攻めを命じるのであった。
今まさに、信玄との最終決戦が始まろうとしていた。
永禄六年(1563年)6月23日 安芸国広島城
長府本能寺にて信長を打ち破った俺と政虎は、そのまま信長の逃亡先である広島城へと向かった。広島に着いた俺たちが見たものは、完全に焼け崩れた広島城の姿であった。
お市と一緒に降伏してきた秀吉に信長のことを尋ねたのだが、秀吉が言うには、信長は城と運命を共にしたとのこと。
政虎はひとこと『であるか』と呟くと、あとは何も言わなかった。
一瞬の沈黙の後、政虎は視線を関東の方角に向けた。
何かを探っている様子であったが、まさか関東の兵の動きまで探知できるというのか!
その俺の問いに対し、政虎はこう答えるのだった。
「日ノ本中の民の期待を一身に背負う今のわしなら出来るぞ。どうやら、江戸城は既に信玄の手に落ちたようだな。そして、武田軍は今まさに横浜城に向かって出撃したところか。よし、氏業よ。出来るだけ多くの兵を蒸気船に詰め込んで、横浜城へ向かうのだ。今度こそ、信玄坊主に引導を渡すとしよう」
「ははっ、承知いたしました」
九州に渡った兵士たちも、徐々に広島城へと集結しつつある。
後に残る兵の取りまとめは直江実綱に任せるとして、俺と政虎は出来るだけ多くの兵を蒸気船に乗せ、横浜城に向かって出航するのだった。
◇小幡信貞視点◇
時は永禄6年6月24日。
オレは、荒くれ者ども五万を率いて横浜城に到着した。
こいつらは、士気は高いが所詮寄せ集め。組織だった城攻めなど、出来るはずもない。
オレは、景清の太刀に怨霊の力を充填させ、その力を解放した。
「怨霊よ、我に力を与えたまえ。『狂戦士化』」
怨霊の力で生み出された恐れを知らぬ五万の狂戦士は、横浜城へ突撃した。
城からは、矢や鉄砲玉が引っ切り無しに飛んでくるが、身体に当たったぐらいで狂戦士は止まらない。
「なんだこいつら。おかしいぞ。銃撃を受けても止まらんではないか」
「身体は撃つな。頭を狙え」
いくら銃撃を受けようが攻撃の手を緩めぬ狂戦士どもに、城兵は大混乱していた。
さて、横浜城はいつまでこの攻撃に耐えられるかな。
横浜城を落として、最新の大砲・南蛮船を手に入れれば、ついに御屋形様念願の天下取りが始まる。
御屋形様の目指す、『強き物が弱き者を支配する世界』の実現は、すぐそこまで来ている。
人道などという訳の分からぬものに縛られる世界など、まっぴら御免だ。世界は、もっと単純であるべきだ。意見の相違があれば拳で戦い、敗者は勝者に従えば良いのである。
勝利を確信するオレであったが、海の方から大音響とともに飛来する何かが、そんなオレの目論見を打ち砕いた。
砲弾だ!海の方を見ると、二〇隻の巨大な南蛮船が、物凄い速度で横浜城に近づいて来るのを確認できた。
ばかな、早すぎる。
横浜港に接岸した南蛮船からは、続々と兵が吐き出され、兵たちはそのまま城外へと出撃した。
上杉軍一万余の先頭に立つのは、もしかして政虎か!
政虎が何かを念じると、武田軍の狂戦士化はあっという間に解除されるのだった。
「うわー、いてえよぉー」
「もう駄目だ。逃げろー」
潰滅する武田軍を支えるため怨霊の力を発動するオレであったが、結局みかじりの戦いの時と同様、武田軍の崩壊を食い止めることは出来なかった。
「グフッ」
身体は怨霊の力に耐えきれず、オレは吐血した。
「もはや、横浜城攻めはこれまでだ。江戸城に引くぞ」
「修理亮殿(内藤昌豊)、まだ戦いはこれからだ。現に、政虎は目の前にいるではないか。政虎を討ち取れば我が軍の勝利・・・グフッ」
「もう信貞殿は限界だ。馬に縛り付けて江戸城に連れ帰るぞ」
「待ってくれ、源太左衛門尉殿(真田信綱)。オレはまだ戦える」
昌豊と信綱にがんじがらめに縛られたオレは、無理やり江戸城へと連れ戻されるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
永禄六年(1563年)6月24日 武蔵国横浜城
6月23日に蒸気船で広島城を出発した俺と政虎であったが、怨霊神に頼んで西風や海流を強めていたせいもあって、翌日には横浜城に到着するのだった。ちなみに、今回の蒸気船の速度は30ノット(時速55.56km)超えであった。まさに、科学技術万歳といったところだね。
俺たちが横浜港に着くや否や、政虎は蒸気船に乗っていた兵を率いて、武田軍に突撃するのだった。
「毘沙門天よ、我に力を与えたまえ。『軍神』」
政虎が『軍神』を発動すると、武田軍はあっという間に崩壊し、江戸城に向かって敗走した。
武田軍を追い払った俺たちは、横浜城内で今後の方針について話し合うこととした。
上杉景邦曰く、『未だ、江戸城には五万を超える武田軍が残っております。ここは、多少時間がかかっても、周辺諸国の大名から十数万の兵を集めた上で江戸城を包囲し、蒸気船による艦砲射撃で江戸城を直接攻撃するに如くはなし』と。
孫蔵・弥左衛門・平八郎も、この意見に賛同する。
「では、長野業政・宇都宮広綱・佐竹義昭・里見義堯・北条氏規らに、兵を率いて江戸城に集結するよう、書状を書くとするか」
一度はそう決まりかけるが、そんな俺たちの様子を見た横浜城の民たちが、俺にこう訴えるのであった。
「今まで、お殿様の救貧政策には大変世話になってきただよ」
「殿様が困っている今こそ、恩返しをする時だべ」
「おらたちが周辺諸国の村々を廻って、兵を集めてくるだよ」
「「「そうすべえ、そうすべえ」」」
そんな民の意見を聞いた俺は、『皆の者、感謝する』と礼を述べ、皆の力を借りることに決めたのだった。
そういう訳で、周辺諸国の大名には兵を率いて江戸城攻めに参戦するよう書状を出す一方、横浜城の民には俺の書いた檄文を持たせて、周辺諸国の村々を廻らせて兵を集めさせることにしたのだった。
ちなみに、檄文の内容はこのような物であった。
『上杉政虎は、重税・苦役・奴隷制度から民を解放する。民には、教育と医療を受ける権利を保障する。全ての民は、自身の望む生き方を選べるようになるが、権利を主張するなら義務を果たさねばならぬ。民よ、家畜の平穏に甘んじるのでなく、たとえ困難を伴うとしても、自身の力で自立して生きることを選ぶのだ。日ノ本の夜明けは近いぞ』
この檄文を見た横浜城の民は、喜び勇んで周辺諸国の村々を廻った。
檄文に賛同する者は数知れず、たちまちのうちに義勇兵十万余が集まった。
翌日6月25日、上杉政虎は横浜城の兵二万と義勇兵十万余を率いて江戸城へと進軍した。
一方、俺は蒸気船に乗り込んで海路から江戸城へと向かった。
此度は、戦国最後の大戦ということで、孫蔵・弥左衛門・平八郎も同行を願い出た。
俺は、それを許すのだった。
◇武田信玄視点◇
おかしい。どういうことだ。怨霊の力が弱まっている。
わしは、急激に力が失われていくのを、黙って見ていることしか出来なかった。
つい先ほど、横浜城攻めを命じた信貞・昌豊・信綱が、政虎に敗れて逃げ帰ってきた。
もはやこれまでか。いや、まだだ。怨霊の力を振り絞って甲斐に逃げ帰り、政虎ともう一戦するのだ。
しかし、この間にも怨霊の力は益々弱くなっている。
もしや、民の自立によって、この日ノ本が怨霊信仰から解放されたとでもいうのか。
ハッハッハ。こいつはおかしい。政虎は武士だというのに、武力を以って民を押さえつける統治方法を放棄したというのか。民を抑圧する武家などいらぬということか。
わしには、まだ欲しいものが沢山ある。そのためにも、自ら権益を放棄するような政虎を許すわけにはいかぬのだが、どうしたものか。
そんなわしの前に、小幡信貞が現れた。
信貞は、怨霊の力の酷使によって、身体中がひどい有様となっていた。
信貞は、わしに向かってこう言った。
「御屋形様、今まで大変お世話になりました。私が残兵を率いて上杉軍に突撃するので、御屋形様はその隙に甲斐までお逃げ下さい」
「待て、むやみに死ぬことは許さん」
「御屋形様に受けたご恩は、あの世に行っても忘れません。では、御免」
そして、信貞は五万の兵を率いて江戸城を出撃するのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
政虎は、十二万余の兵を率いて江戸城へと向かう。
そんな政虎の前に、信貞率いる武田軍五万の兵が立ちはだかった。
政虎は、武田軍に向けて矢を放った。武田軍は、矢など構うことなく突撃してくる。
「毘沙門天よ、我に力を与えたまえ。出でよ、『空堀』『土壁』」
武田軍の目の前に空堀と土壁が出現するが、信長軍に発揮されたものと比べると、規模において随分劣っているようであった。
「ふむ、やはり怨霊の力だけでなく、神の力も弱まっておるのか」
空堀や土壁を乗り越える武田軍に対し、政虎は銃撃を開始した。
次々と討ち取られる、武田軍の兵士たち。
にもかかわらず、武田軍は上杉軍に向かって前進するのを止めなかった。
そう、何としても信玄だけは逃がすという、武田軍の意地を感じさせた。
武田軍の被害は万を超えていたが、今なお戦意は旺盛であった。
しかし、信貞は焦りを感じていた。『このままでは、御屋形様が甲斐まで逃げ切れぬのではないか』と。後ろを見ると、蒸気船からの砲撃により、江戸城は炎上していた。
「もはやこれまでか」
信貞は、景清の太刀を手に取ると、自身の持つ怨霊の力の全てを解放した。
「怨霊よ、我に力を与えたまえ。出でよ、大巨人」
すると、戦場に転がっていた死体が、次々に信貞へ引き寄せられていった。
周囲の死体を全て吸収した信貞は、数十メートルの大巨人と化した。
敵味方関係なく拳を振り下ろし戦場を暴れまわる大巨人に対し、政虎は兵を逃がしつつ『浄化』を発動した。政虎の浄化の光は大巨人にダメージを与え、身体の一部を崩壊させたが、止めを刺すまでには至らず、大巨人の攻撃を防ぐ程度の力しか持たぬようであった。政虎に攻撃を撥ね返された大巨人は、攻撃目標を蒸気船に変更すると、江戸湾に向かって進撃を開始するのだった。
俺は、蒸気船二十隻を率いて江戸湾奥の江戸城へと向かう。
船上から西方面を見ると、今まさに上杉軍と武田軍の戦闘が開始したところであった。
では、俺も始めるとするか。
俺が、江戸城に向かって砲撃を開始すると、瞬く間に江戸城は炎上した。
これで、信玄を捕らえれば全国統一か。『想像していたよりも短期間で済んだけど、色々あったよな』などと感慨にふけるが、ちょっと待てよ。戦場が何かおかしい。
上杉軍と武田軍が戦っていた戦場に、突如数十メートルの大巨人が出現した。
なんだあれは?
その大巨人は、俺の方を向くと『氏業、殺す!』などと叫びながら、こちらに向かって進撃を開始した。
あれって、もしかして信貞か。最後の力で大巨人になるとは。本当に、信貞の我が身も顧みぬ勝利への執念には頭が下がるな。確かに、大巨人の一撃を受ければ蒸気船とて一溜まりもないと思うが、なんだか動きがぎこちないな。動くたびに、大巨人の身体が崩れているようにも見えるな。民の自立により怨霊の力が急速に弱まっているところで、無理やり大巨人を出現させたものだから、その身体にガタが来ているということか。これなら、倒せるかもしれない。
「目標は大巨人だ。大砲放てー」
ズドーン!!
『グオーッ!!』
砲弾が命中し、身体に穴の開いた大巨人は、もがき苦しんでいる。
「砲撃を続けよ。大巨人に集中砲火を浴びせるのだ」
ズドドドドーン!!
蒸気船から次々と放たれる砲弾により、大巨人は蜂の巣となった。そして、大巨人は断末魔の声を上げながら、崩れ去るのだった。
(よっしゃー!やはり、怨霊の力の弱点は科学技術なのだな。
ここで一首、『日ノ本の 眠りを覚ます 蒸気船 艦砲射撃で 怨霊退散』なんてね。
いやいや、下手な和歌を詠んでいる場合じゃない。とにかく、信貞の最期を確認しないと)
俺は、孫蔵・弥左衛門・平八郎と共に小舟で信貞の下へと向かうが、そこで目にしたのは、景清の太刀を杖代わりによろよろと立つ信貞だった。
「もはや、政虎様の天下は確定しました。全て終わったのです。信貞殿、速やかに政虎様に降伏して下さい」
「だまれ、氏業。オレと戦え」
「私と貴殿が戦う理由は、もはやありません」
「お前になくともオレにはある。黙って刀を抜け」
(だめだこりゃ。全然俺の言うことを聞いてくれない。しょうがないから、少しだけ戦いに付き合ってやるとするか。あとは、頃合いを見て太刀を奪い、そのまま捕まえれば良いかな)
そして、俺は腰から刀を抜くと、信貞に対して身構えるのであった。
◇小幡信貞視点◇
ふっ、これで良い。
目の前には、刀を構える氏業がいた。
オレは、六年の間共に戦ってきた景清の太刀に礼を述べた。
「今まで共に戦ってくれたことに感謝する。だが、あともう一度だけ、オレに付き合ってくれ」
景清の太刀は、鈍く光った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「「うおーーーっ」」
俺の刀と信貞の太刀が交錯する。
すると、信貞の太刀は折れ、俺の刀は信貞を袈裟懸けに切り裂いた。
信貞の身体から、血が噴き出した。
「うわー、信貞殿。最初から死ぬつもりだったのだな」
「フフッ、お前は勝者だぞ。そのような情けない顔をするな・・・。オレはな、ずっとお前に憧れていたんだ。常に正々堂々として、真っすぐなお前の姿にな。お前の姿は、オレにとって眩しすぎた。だから、お前を絶望で真っ黒に染めあげようとしたのだが、結局できなかったな。ゲホゲホ。この国の民は、怨霊の力に依存するのではなく、科学技術とやらの力を用いて自立する道を選んだわけか。だが、それもひと時のこと。所詮、人間などろくでもないものだ。人は欲深く、愚かなものだ。人から、憎しみ・妬みといった感情は、絶対に消えぬ。今は敗れ去ったとしても、怨霊は必ず復活するであろう」
そう言い残すと、小幡上総介信貞享年24歳、江戸城の戦いにて討死したのだった。
戦争:江戸城の戦い
年月日:永禄六年(1563年)六月二十二日~二十五日
場所:武蔵国江戸城
結果:上杉軍の勝利
上杉軍指導者・指揮官
上杉政虎、上杉景邦、長野氏業、藤井孫蔵、青柳弥左衛門、牛尾平八郎など
戦力:約120000+蒸気船20隻
戦死:数百名
武田軍指導者・指揮官
武田信玄、小幡信貞、内藤昌豊、真田信綱など
戦力:約100000
戦死:約30000
降伏・逃亡:約70000




