本能寺の乱
永禄6年6月1日、満を持して、九州征伐が開始された。
上杉政虎は、二万の兵と、蒸気船二十隻を従え、最初の目的地である信長の居城『広島城』へと向かう。そこで、徳川家康率いる四国勢・武田義信率いる山陰勢と合流してから、九州攻めを開始する手はずとなっている。
永禄6年6月18日、広島城には政虎の2万、信長の3万、家康の2万、義信の2万を合わせた総勢10万の兵が集結していた。早速、政虎は軍議を開くと、家康軍・義信軍は筑前・筑後方面から、政虎軍・信長軍は豊前・豊後方面から侵攻することに決めたのだった。
ちなみに、蒸気船艦隊は政虎・信長軍に並走して進むことになった。
信長・家康は、信玄からの密書を政虎に提出した。
内容は、『九州征伐時に信長・家康が謀反を起こし、政虎を騙し討ちにする。その隙に、信玄が関東を制圧する。その後は、三名で天下を三分しよう』というものであった。
義信は、『父が申し訳ありません』と、ひたすら恐縮している。
「今、天下は政虎様の下で一つにまとまろうとしている。にもかかわらず、いたずらに乱を起こして民に負担を強いらせようとするなど、信玄は本当に自分のことしか考えていない、私利私欲の人間だな」
信玄を非難する信長と家康。さらに恐縮する義信。
「この手紙を証拠として突きつけたとしても、信玄は偽手紙と主張して、白を切るかもしれんな。やはり、信玄を処分するにしても、兵を挙げさせてからの方が良いであろう。皆は、このまま九州に上陸し、信玄が兵を挙げたら大返しをして、全軍関東へ向かうこととする。以上異存はないな」
「「「ははっ」」」
信長・家康・義信は平伏した。
そういう訳で、まず家康・義信軍が筑前・筑後方面に向かうべく、船で九州に上陸した。
その際、義信は『どうか、父の命だけは助けて下さい』と政虎に願い、政虎も『努力する』ことを約束したので、義信は安心して九州征伐に向かうのだった。
一方、政虎は信玄が安心して兵を挙げられるよう、信長軍の九州上陸を遅らせた上で、敢えて政虎の防備を手薄にした。政虎は、九州征伐軍を後方から指揮するという名目で、最近信長が再建した長府(山口県下関市)の寺に入ることになった。
「して、その寺の名は何と申す」
「長府『本能寺』にございます」
(本能寺だと!!)
俺は戦慄した。信長が席を外すや否や、俺は政虎に念話で語り掛けた。
『政虎様、まずいです。信長の裏切り確定です』
心の中で騒ぎまくる俺であったが、それに対する政虎は至って冷静であった。
『信長は、天下統一を目前にしながら、本能寺の変で明智光秀に討たれております。今回、明智光秀の役割を信長本人が担うということなのでしょうが、その・・・。政虎様、随分冷静ですね。もしかして、こうなることを予測していましたか?』
『うむ、前々からこうなる予感はあった。確認するが、上杉政権の政策は如何にして創り上げたのか?』
『信長・秀吉の政策に加えて、徳川幕府や明治政府の良いとこ取りをしております』
『つまり、信長がやりたかったこと全てを、我らが先んじて成し遂げてしまったわけだ。信長からすれば、本来これらはわしがやるはずだったと、不平・不満を持つのも仕方のないことではないか』
『そうかもしれませんね』
『だがな、他の時間線のことは知らぬが、今回天下人として選ばれたのはこのわしじゃ。信長など、多数いる大名の一人にすぎぬ。そなたも心配ばかりせず、少しは時代に選ばれし者、時代の追い風を受けし者の強さを信用したらどうだ』
『そうですね。私はこの後蒸気船艦隊を率いて南に進みますが、信長が反旗を翻したら念話でお呼び下さい。すぐに船を反転させ、本能寺に向かいましょう』
そして、俺は蒸気船に乗り込むと、瀬戸内海を南に進むのであった。
ちなみに、怨霊神業盛を呼び出して信長について聞いてみたのだが、怨霊神も悪しき気配を感じなかったとのこと。
『我でも悪しき力を探知できぬとすれば、信長は余程力の制御に長けておるのであろう。それとも、自身が成し遂げるはずの業績を奪われた恨みを晴らさんという、執念のなせるわざか』
なんてことを、怨霊神は口にするのであった。
◇織田信長視点◇
時は永禄6年6月22日。
家康・義信は既に九州に上陸し、筑前・筑後方面に向かって進んでいた。
政虎は二万の兵を二手に分け、一万五千を豊前・豊後方面に向かわせると、残りの五千とともに長府本能寺に入った。
そして、我が軍三万は関門海峡の本州側で船が集まるのを待っていた。
伝令から、関門海峡を渡る船の準備ができたとの報告を受けた。
では、わしの戦いを始めるとするか。
早速、部下に臭水を持ってこさせ、ここにある船を全て焼き払うよう命じた。
戸惑う部下に対し、わしは『さっさとやれ』と怒鳴りつけた。
関門海峡にある船の全てが炎上した。
それを見た九州側にいる政虎軍一万五千が騒いでいるようだが、知ったことか。
わしは、我が軍三万に命令を下した。
『敵は本能寺にあり』と。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
信長軍三万は、進路を北東に変更し、長府本能寺に滞在する主君上杉政虎を急襲するが、それを読んでいた政虎は、念話で氏業に合図を送るとともに、五千の兵を本能寺前に展開させて信長が攻め寄せるのを待つのだった。
信長は、三万の軍勢を政虎軍五千に突撃させる一方、自身は空中に数えきれないほどの炎の矢を作り出すと、それを政虎軍や本能寺に向けて放つのであった。
「怨霊よ、我に力を与えたまえ。燃え盛れ『炎の矢』」
一方、政虎は土魔法で巨大な堀や土壁を作り、さらに万を超える泥人形を呼び出すことで、信長軍の攻撃を防ぐのだった。
「毘沙門天よ、我に力を与えたまえ。出でよ『土壁』『空堀』『泥人形』」
信長軍は空堀と土壁に阻まれ、政虎の下まで辿り着くことができない。その上、数万のゴーレムに襲い掛かられて、身動きのとれぬ状態になっていた。しかし、信長の炎の矢は土壁を越え、本能寺に降り注いだ。本能寺は、たちまち炎上した。
それを見てニヤリと笑う信長であったが、しばらく経っても何も起きないことに苛立ち始めた。
そんな信長に対し、政虎は『これをお探しかな』と言って、導火線に火をつけた火薬壷を信長軍に投げつけるのだった。
火薬壷は爆発し、信長軍の兵百余りが吹き飛んだ。
「なぜ、それが分かった。火薬で、お前ら全員吹き飛ばすはずだったのに」
叫ぶ信長の背後には、黒炎が燃え上がっていた。
「わしの探知は日ノ本一だぞ。寺の内部にある危険物を探知するなど、わしにとって造作もないことよ・・・。のう信長よ、わしがそんなに憎いか」
「ああ、憎いな。お前らのやっていることは、全てわしの頭の中にあったものだ。本来、わしがやるはずだったのだ。それを、お前らが横取りしたのだ。憎い、政虎と氏業が憎いぞ」
「そうか・・・。わしと共に、日ノ本を平和で強い国に創り上げる気はないということか。残念だが、仕方あるまい。それに、そろそろ時間切れじゃな」
「何だと!!」
信長が声を上げると同時に、何かが信長軍に向かって飛んできた。
ズドーン!!
・・ドカーン!!
蒸気船の大砲から次々と弾丸が放たれ、被弾した信長軍の兵士たちは肉塊と化した。
「そんな馬鹿な。梅雨季の日ノ本は北風が卓越しているはずなのに、早すぎる」
たちまち、潰走しはじめる信長軍。
「あれこそが、我が軍の秘密兵器、外輪式蒸気船だ。あれは、風ではなく蒸気の力で自由に動くことができるのだ。わしは、日ノ本を統一した後、蒸気船で海外に進出し、不義を働く者に対して義の鉄槌を下すのだ」
そう言って、政虎は胸を張るのだった。
蒸気船からは、なおも砲撃が続く。
信長軍三万は完全に崩壊した。
信長は叫んだ。
「天はこの信長を地上に生まれさせながら、何故政虎・氏業まで生まれさせたのだ・・・。グフッ」
血を吐く信長。
落馬寸前のところを秀吉に助けられた信長は、そのまま居城の広島城へと逃走するのだった。
広島城に到着した時、信長に従う兵はわずか数百であった。
これでは戦にならぬ。そう悟った信長は、秀吉を呼ぶと、妹のお市を連れて政虎に降伏するよう命じるのであった。
秀吉は、『某も最後までお供します』と言い張るが、信長は
「お前が優秀なことは、誰よりもわしがよう知っておる。お前は、ここで死んで良い人間ではない。お前の才は、これからの日ノ本のために役立てるのじゃ。分かったらさっさと行け」
と言って、秀吉とお市を城から追い出すのだった。
「では、わしも逝くとするか」
信長は広島城に火を放った。
炎上する広島城の一番高い場所で、信長は敦盛を舞うのであった。
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば夢幻の如くなり」
こうして、信長は炎上する広島城と共に滅び去った。享年三十歳。
戦争:本能寺の乱
年月日:永禄六年(1563年)六月二十二日
場所:長門国長府本能寺
結果:上杉軍の勝利
上杉軍指導者・指揮官
上杉政虎、直江実綱、長野氏業など
戦力:5000+蒸気船20隻
戦死:若干名
織田軍指導者・指揮官
織田信長、柴田勝家、木下秀吉など
戦力:約30000
戦死:約5000
逃亡:約25000




