第18章 そして戦国の世は幕を下ろす
主な登場人物
長野上野介氏業(20歳):本作品の主人公。本名は長野成氏。怨霊魔法の属性は風。
怨霊神業盛:主人公を長野氏業に転生させた張本人。
藤井孫蔵忠安(20代後半):長野氏業の側近その1。石鹸担当。
青柳弥左衛門忠勝(20代後半):長野氏業の側近その2。ガラス担当。
牛尾平八郎忠教(20代後半):長野氏業の側近その3。硝石担当。
上杉政虎(34歳):山内上杉家第十六代当主。別名、越後の龍。
武田信玄(43歳):甲斐武田家第十九代当主。別名、甲斐の虎。
武田義信(26歳):武田信玄の嫡男。
小幡信貞(24歳):長野氏業の甥。怨霊魔法の属性は雷。
織田信長(30歳):織田弾正忠家当主。戦国三英傑の一人。
徳川家康(21歳):徳川家の始祖。戦国三英傑の一人。
永禄六年(1563年)5月 山城国二条城
上杉政権が成立して、3年が経過した。
この間、上杉家の支配領域は越後・関東・東海・畿内だけでなく、四国・中国・山陰にまで広がっていた。ちなみに、四国は徳川家康(最近松平から徳川に改姓した)、中国は織田信長、山陰は武田義信が担当ね。京では二条城も完成し、将軍足利義輝の安全確保にも抜かりはない。
急激に広がる領地を円滑に支配するため、細川藤孝、明智光秀ら優秀な武将や官僚を多数登用したため、日ノ本の求人倍率は上昇し、経済は活性化した。
その上、政虎は四国の別子銅山(愛媛県新居浜市)、山陰の石見銀山(島根県大田市)などの鉱山も手に入れたため、日ノ本の貨幣流通量は一気に増大。豊富な資金は、街道・港湾施設等のインフラ整備につぎ込まれたので、国内経済も海外貿易も益々発展するのだった。
そうそう、海外貿易といえば、以前北条氏康に南蛮船でインドネシアまで行って貰った(第15章参照)のだが、氏康は無事ジャガイモと甘藷を持ち帰ることに成功した。甘藷があれば、飢饉が起きても大丈夫。ということで、早速甘藷栽培を全国各地に広めることにした。もちろん、薩摩国に伝えるのも忘れなかったよ。おかげで、島津との外交ルートを秘密裏に開くことにも成功したのだった。こいつは、九州征伐時に有効活用させてもらうとしよう。
甘藷が食卓に上がるのはもう少し先になると思うが、これによって凶作年でも餓死者が出なくなると良いな。
寺社勢力に対しては、政虎は『信仰の自由は認めるが、政治への口出しは許さない』という政策を推し進めていた。政教分離さえ守られれば寺社のやり方に口出ししないことを、政虎の名の下で約束したのだが、これに文句を言ってきたのが比叡山である。ということで、史実の信長のように(前例として、六代将軍足利義教による比叡山焼き討ちもある)、比叡山を焼き討ちしてやったよ。すると、効果はてきめんで、本願寺・高野山らも政虎に従うようになるのだった。まあ、医師とか教師とか檀家制度とか、いろいろ収入源を提案して譲歩しているのだから、こちらの言うことも聞いてくれないと困るよね。
横浜城では、孫蔵・弥左衛門・平八郎によって、城の大改修と蒸気機関の実用化が成し遂げられた。外輪式蒸気船も、二〇隻就航可能となった。ちなみに、今回作った蒸気船は、全長60メートルで、大砲は左舷と右舷に十門ずつ設置し、定員は500名となっている。
大砲・鉄砲の大量生産も可能となり、それらは西国の戦場に続々と投入されていた。
全てが順調に進んでいる。
上杉政権は盤石で、天下統一も間近と誰もが思うところであるが、実は『政虎にとっての最大のチャンスは、同時に最大のピンチ』なのである。
これは、自分のチャンスが敵のピンチという意味ではない。
政虎のチャンスというのは、それが成し遂げられると困る人にとっては、何が何でも阻止しなければならないため、政虎にとって一番危険になるわけである。簡単に言うと、暗殺とか本能寺の変が発生することになる。
参考:『逆説の日本史7中世王権編P312~P313』(井沢元彦、小学館文庫)
四国・中国・山陰を制した政虎が、九州征伐まで達成してしまえば、もはや武田幕府成立の芽は無くなってしまうのである。
ここで動かねば、天下は政虎の物となってしまう。
こう考えた信玄は、政虎が九州征伐に向かった隙を突いて兵を挙げる、というか挙げざるを得なくなる訳だ。
信玄は、同時に信長・家康にも謀反を起こさせて、政虎を襲撃させるという策を巡らすのであろうな。
俺が先に戻った時間線(第16章エピローグ)ではこのような流れであったが、今回はどうだろうか。
信玄が動かないのが一番楽で良いのだけれど、そうはならないよな。
とりあえず、政虎に九州征伐を進言した上で、信長・家康には敢えて信玄の策に乗るよう指示を出すとするかな。そうすれば、信玄も安心して兵を挙げるであろう。俺たちは、九州征伐の兵を大返しさせ、横浜城攻略でもたついている信玄を、外輪式蒸気船による艦砲射撃で討ち取るという寸法だね。
慶寿院(足利義輝母)は妙姫に監視させているから、義輝暗殺については回避できると思う。それに、義輝のいる二条城には、兵も忍びもたくさんいるしね。
父業政の落雷死も、箕輪城に避雷針をつけたことで回避できるだろう。
策がことごとく失敗しても、信玄としては兵を挙げざるを得ない状況に追い込まれている。
そして、中途半端な状態で兵を挙げたところで、本腰を入れた横浜城攻略などできるはずあるまい。
信玄さえ倒せば、政虎の敵はこの国からいなくなるのである。
それでは、上杉政虎による天下統一の総仕上げ『九州征伐』を始めるとするか。
此度の遠征の名目は島津の惣無事令違反であるが、島津の違反はあくまでも振りに過ぎない。真の目的は、信玄を誘き出すことにある。島津とは甘藷栽培の件で友好関係を築いているから、島津貴久もこの策に乗ってくれた訳だ。
この俺の策に死角など無い・・・。無いよな。
◇武田信玄視点◇
わしは追い詰められていた。
政虎の天下統一は、一歩一歩着実に進められている。
既に中国・四国・山陰は平定され、今度は九州征伐に取り掛かるという。
これが成功してしまえば、わしの天下取りの夢が潰えてしまう。
最早、わしには兵を挙げる以外の選択肢はないのだ。
わしは、政虎の力を削ぐため、色々と策を弄してみたが、悉く阻止されている。
まず、政虎と氏業を離すため、信貞に業政を暗殺するよう命じたのだが、いくら箕輪城に雷を落としても、人的被害も建物の損傷も発生しなかった。雷の力は、全て屋根の上にある槍に吸収されるのだそうだ。試行錯誤を重ねたが、逆に信貞の命の方が危険になったため、この計画は中止となった。
将軍暗殺についても、慶寿院との連携がうまくいかず、頓挫した状態だ。
上手くいっているのは、信長・家康が色よい返事を返してきたことぐらいか。もちろん、奴らを全面的に信じているわけではないが、家康はともかく、あの野心家で目立ちたがり屋の信長が政虎に大人しく従うはずあるまい、と思うのはわしだけではないはずだ。
政虎が九州に渡ると同時に、わしは関東に兵を出すとしよう。
目指すは、横浜城だ。
そこで、最新の南蛮船と大砲を手にすれば、天下はわしのものとなるであろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇織田信長視点◇
政虎様から九州征伐の命が下ったため、遠征に先立って、わしは居城の広島城にて連歌会を催すこととした。
わしが読んだ発句は、
『手の平に あめが下しる 五月かな』
であった。
時は、永禄6年5月28日。ちょうど梅雨時期でもあるため、僧侶・歌人たちは何事もなく、穏やかに連歌を続けるのであった。
連歌師の里村紹巴は、『長尾家(平氏)出身の政虎様の手の中に天下があるといった意味ですかな』などと言っておったが、政虎は上杉家の名跡を継いでいるから藤原氏だぞ。
そして、ここでいう平氏が誰を指すかなど、言うまでもあるまい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




