三人目の婚約者/幕間 長野氏業と三人の妻たちの事情
近衛邸で、信玄への対策や上杉政権の方針について考えていた時のことだが、俺の下に一通の文が届けられた。そして、その文の差出人はというと、なんと近衛前久の妹、妙姫であった。
いったい何事と思い、その文を読んでみると、『かつて、在原業平は竜田川の水の流れが深紅に染まったと歌に詠みましたが、あなたの周りは敵兵の血で赤く染まっているのでしょうか』などという内容が書かれていた。なんか凄い手紙だな。でも、手紙をくれるぐらいだから、俺に興味があるということで、ケンカを売っている訳ではないよな。
そこで、『たしかに私は人を殺しますが、それはこの日ノ本を平和な強い国に創り変えるため。犠牲者は、敵・味方分け隔てなく、心にその死を刻みましょう』という返事を出すことにした。
すると、妙姫から『あなたの国を思い、人を思う気持ちは良く分かりましたが、私のことも同じように思っては頂けないでしょうか。かつて、在原業平が二条后(藤原高子、関白藤原基経の妹)を求めた時のように』という文が返ってきてしまった。
おーい、なんか雲行きが変わったぞ。このまま文のやり取りを続けるのはまずい気がするが、関白の妹を無視するわけにもいかんし、どうしたものか。
『私には将来を誓い合った婚約者がおります。この状況で、妙姫様と関わりを持てば、藤原基経が業平にしたように、私も前久様に髪を切られて出家させられることでしょう。ですので、妙姫様のお気持ちに応えることは出来ません』
この俺の文に対し、妙姫は
『では、婚約者の了解を得れば良いということですね』
という返事をくれたのだが、この後は俺がいくら文を出しても返事は来なかった。
まずい、どうしよう。
◇近衛妙視点◇
兄上(近衛前久)から、近衛家と上杉家を強き絆で結ぶため長野氏業を篭絡せよとの文が届いた。
本来は、わらわと政虎公が結婚すれば良いのだが、政虎公は生涯不犯を貫いている。養子の喜平次はまだ5歳で、もう一人の養子である上杉景邦は、既に喜平次の姉(清円院)との婚姻が決まっている。そこで、わらわの結婚相手として急遽浮上したのが、未だ結婚していない政虎公の軍師、長野氏業じゃ。わらわとしても、何の力も持たぬ東宮(皇太子)や貴族との婚姻などまっぴら御免じゃ。結婚するなら、やはり実際に富と権力を持ち、戦にも強い武士が一番じゃな。
長野氏業の祖先は、在原業平と聞く。
二条后が業平と恋に落ちたように、氏業もわらわを夢中にさせるのじゃ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんな中、近衛前久が京に戻ってきた。
なんでも、政虎が上洛して上杉政権を発足させたのを見たら、居ても立ってもいられなくなったのだそうだ。まあ、甲相駿越四国同盟を結んでいるし、天皇や将軍の命を受けて上洛している政虎にケンカを売るような大名はいないと思うから、前久が関東から抜けても大丈夫なのかな。とにかく、戻ってきてしまったものはしょうがない。
前久は、俺の顔を見るや否や、こう話しを切り出すのだった。
「妹の妙とは、仲良く文のやり取りをしているようじゃな。そちと妙が祝言を挙げれば、近衛家と上杉家の絆はさらに強まり、上杉政権もより盤石となろう」
「その件についてですが、もう決定事項なのでしょうか」
「ああ、政虎殿も大層喜んでおるぞ。・・・なんじゃ?まさか、藤原氏嫡流近衛家の姫との婚姻に不満があると申すか」
「いえ、そのようなことはございません。ただ、あまりに急でしたから・・・」
「それでは何も問題ないな。吉日を選んで祝言を挙げるとしよう」
そして、前久は妙姫の下へと向かうのだった。
どどど、どうしよう。
これって、どう考えても政虎と前久にはめられたことになるよね。
まあ、この時代であれば政略結婚など当たり前なのだろうが、俺にとってはそうではない。
百歩譲って、妙姫との結婚を認めるにしても、藤殿や菖蒲になんと説明すれば良いのか。
藤殿が怒って、菖蒲と一緒に怒鳴り込んでくるならまだ良い。
もし、藤殿が自ら身を引いたらどうなるのだろうか。
散々利用された挙句、正妻の座は奪われる。自分が邪魔な存在になったことを知った藤殿は、悲しみと絶望の果てに出家もしくは死を選ぶかもしれない。
うわー、駄目だ。藤殿、死ぬなー。
とにかく、藤殿に連絡しないと。孫蔵を呼んで横浜に行かせようとするが、上手く手紙が書けない。気ばかり焦って、頭が働かない。
突然、俺の部屋のふすまが開いた。
「いったい、何をしているのですか」
そこに現れたのは、横浜城にいるはずの藤殿であった。後ろには菖蒲の姿も見える。
「えーと、藤殿?それに菖蒲も。あの、その、どうして此処に・・・」
狼狽する俺に対し、藤殿は
「前久様に連れられて、京に来ました。妙姫様からも文を頂いているので、状況は把握しております。氏業様は、この時代の常識を受け入れられず思い悩んでいたのでしょうが、高貴な妻を娶るのはお家にとって重要なことです。お家の繁栄のため、妙姫様を正妻として下さい。まあ、確かに正妻の座を奪われるのは悔しいですけど、条件の良い妻が現れれば前の妻を捨てることなど普通のことです。わたくしと菖蒲も妻として認めていただけるなら、正妻の座は妙姫様に譲りましょう」
こう言って、俺と妙姫の婚姻を認めるのだった。
こうして、妙姫が第一夫人、藤殿が第二夫人、菖蒲が第三夫人に納まることとなった。
なお、菖蒲は政虎の養女となり、上杉菖蒲として俺と結婚することになったため、ここにおいて、近衛家・北条家(藤殿は氏康の養女です)・上杉家は、俺を通じてより固い絆で結ばれることになるのだった。
結婚騒動も終わって少し落ち着いたある日のこと、俺は直江実綱から呼び出しを受けた。
そんな訳で、指定場所である二条城の工事現場に赴いたのだが、そこで目にしたのは、俺を待ち受ける政虎の主要な家臣たちであった。
俺の目の前には、柿崎景家、小島弥太郎、本庄実乃、本庄繁長、北条高広、斎藤朝信、甘粕景持らが勢揃いしている。うーん、大迫力だね。
彼らが言うには、『政虎の軍師と名乗るからには、それなりの力を示せ』だそうだ。
ということで、俺は彼らと拳を交えて語り合うことになるのであった。さすが、脳筋集団。でも、こういう考え方は嫌いじゃないぜ、って感じかな。
一通り戦い終わった後は、皆と飲み食いして交流を深めるのだった。
まあ、俺は酒じゃなくて茶を飲んでいたけどね。
こんな感じで、一通りイベントをこなした俺は、早速今後の方針について政虎と綿密な打ち合わせをするのだった。
俺としては、出来るだけ近くで信玄を見張っていたいのだが、政虎の軍師という立場上、そうもいかないよな。ということで、俺の代わりに孫蔵・弥左衛門・平八郎を横浜城へ向かわせることにした。もちろん、俺の持つ知識を全て授けた上でね。
三人には、横浜城の大改修と蒸気機関の実用化を担当してもらうことにした。特に、外輪式蒸気船の開発が最優先となるかな。兵や物資の輸送において、これがあるとないとでは大違いだからね。あと、今後は鉱山開発も大々的に行っていく予定なので、湧水処理のためにも蒸気機関の実用化は急がないといかんな。
三人を横浜城へと送り出す一方、俺と政虎のコンビは畿内及びその周辺地域の支配を盤石なものとすべく、動き出すのだった。
そして、三年の月日が流れた。
第17章 完
幕間 長野氏業と三人の妻たちの事情
俺と妙姫・藤殿・菖蒲の結婚式が終わって、しばらく経ったある日のこと。
その日の俺は、何故か菖蒲に拉致され、近衛邸内の妙姫の部屋へと連れてこられた。
妙姫の部屋には藤殿もいて、二人はどうやらお茶会を開いているようであった。
妙姫は、藤殿の作ったどら焼きを、『美味じゃのう』と言いながら食べていた。
一方、藤殿の機嫌は大層悪かった。
藤殿は、俺の顔を見るや否や、こう切り出すのだった。
「氏業様、あなたに性欲は無いのですか?」
「いえ、人並みにあると思いますが・・・」
「では、どうしてわたくしたちを抱いていただけないのですか。わたくしは、氏業様の子を産みたいのです。わたくしには女性としての魅力が無いのではと、本気で悩んでいるのですよ」
と、藤殿はプンプン怒っている。
藤殿の後方で控える菖蒲も発言する。
「所詮、わたしは忍びですから、氏業様の妻としてふさわしくないのは承知しております。やはり、わたしが氏業様の子を望むなど、身の程知らずだったのですね」
そして、菖蒲の瞳から一粒の涙が流れる。
「ちょっと待った。二人とも、とても魅力的です。俺なんかにはもったいない結婚相手です。どうか、お怒りをお鎮め下さい」
俺の言葉を聞いた藤殿は、すぐさま機嫌を直した。一方の菖蒲は、すました顔をしている。二人とも演技していやがったな。妙姫は、そんな俺たちの様子を興味深そうに眺めていた。
そして、藤殿は『それでは、何も問題ありませんね。早速子作りを始めましょう』などと切り出すのであった。
まあ、この時代であれば常識的な考え方なのだろうが、未来の価値観を持つ俺にとっては違和感しかない。というか、怨霊神の無念を晴らせば未来に帰れることがはっきりした今、この時代の女性と下手に関係を持って、未練を残しながら戦国の世を去るのは絶対に避けたい。ついでに言うと、本作品はあくまでも人道物語であって、恋愛要素は別の作品に回したいということだ。
そんな訳で、俺は床に全身を投げ出すと、皆にこう言うのであった。
「皆さん、俺が未来人であることは御承知でしょう。この身体は業盛のものです。俺は、箕輪長野家の滅亡を救うため、業盛にこの時代に呼び出されている存在です。いつ、未来に帰るか分からない人間が、皆様と関係を持つことなどできません」と。
言い忘れていたけど、晴れて妻となった妙姫にも俺の事情は説明済みだよ。
藤殿と菖蒲は、そんな俺を見ながら『やはり、噂通り男性がお好みなのでしょうか』などと、ヒソヒソ話をしている。
「なんなんですか。そんな噂が流れているのですか?」
憤慨する俺に対し、妙姫はこう言い放った。
「ああ、氏業様と政虎様が恋仲という噂なら、わらわも聞いておるぞ。天下人とその軍師の仲が良すぎると、もっぱらの評判じゃ」
ガーン・・・。そんな噂が流れているなんて。ショックを受ける俺であったが、藤殿はさらに攻撃を続けた。
「そういう噂なら、氏康様とも流れていましたよ」
さらにガーン・・・。昔からそんな噂が流れていたのかよ。知らぬは当人ばかりなり、ということか。
「そんな噂など、わたくしたちと子作りすればすぐ吹き飛びます。まだ、何か思い悩むことがあるのですか?」
「俺は、いずれこの時代を去るのですから、出来るだけ身軽にしていたい。この時代に対する執着を少しでも減らしたいのです」
孔子だって、『執着するな(論語子罕第九の四)』と言っていたではないか。
それに、『愛』とか『恋』って相手への執着なのだから、下手すると怨霊が発生してしまうではないか(能『井筒』参照。『井筒』は『在原業平』とその妻『紀有常の娘』の愛の物語だが、井沢元彦はその著書『逆説の日本史8』で、ここにも怨霊鎮魂が存在すると記述している)。
妙姫はどら焼きを食べながら、俺に向かってこう言った。
「意気地なしじゃな」
三度目のガーン・・・。妙姫に意気地なしと言われてしまった。
ショックだけど、こればかりは引くことができない。
「もう、煮るなり焼くなり好きにしろー」
そう開き直る俺を見た三人は、隅の方で何やら話し合いを始めた。
ごにょごにょごにょ・・・。
「才能のある方なのに、男女のことになると途端に臆病になられる・・・」
「自分が傷つきたくないだけでは・・・」
「ただの責任逃れじゃよ・・・」
「でも、あまり追い詰めるとまた御病気になるかも・・・」
「我らは運命共同体じゃからな。それに、政虎様の軍師という身分は、やはり魅力があるのう・・・」
「氏業様のお子であれば、大名になれます・・・」
「やはり、ある程度の妥協は必要ですか・・・」
話し合いの終わった三人は俺の方に向き、こう切り出すのであった。
「それでは、三年の猶予を差し上げます。三年後には菖蒲も三十歳ですから、このあたりが限度でしょう。それまでに、氏業様は覚悟を決めて下さい」
「わかりました。三年で、この戦国の世を終わりにして見せましょう。あとは、この身体の本当の持ち主である業盛と上手くやってください。せっかくなので、皆さんには自分の知る限りの書物と料理・菓子の作り方を提供しましょう」
「本や料理法のことは嬉しいですが、面と向かって三年間わたくしたちに手を出さないと宣言されるのも、複雑な気がします」
「ほう、三年で戦国の世を終わらせると申すか。子作りより天下統一の方が簡単とは、さすが政虎様の軍師は言うことが違うのう」
「あのー、あまり三十路言わないで下さい。これでも、気にしておりますので」
こうして、俺は三年以内に戦国の世を終わらせる羽目に追い込まれるのであった。




