上杉政権樹立
戦後処理(三方ヶ原の戦い)
三方ヶ原で勝利を得た上杉軍は、空城となった浜松城を接収すると、東海道を西に進む。
その三日後、岡崎城に着いた俺たちが見たのは、白装束を身にまとって政虎を出迎える、信長と家康の姿であった。
岡崎城の城門は開け放たれており、戦う意思は感じ取れない。
政虎と上杉軍の主だった武将は、岡崎城大広間へと案内された。
上座に座る政虎に対し、信長・家康は下座で平伏した。
「この期に及んでは是非もなし。この度は、政虎様の情けにおすがりするより他はなし」
こう言って無条件降伏をする信長・家康であったが、政虎は両名の処刑をためらった。そして、念話で俺にこう訴えた。
『のう氏業よ。三方ヶ原の戦いにおいて比類なき働きを見せた両名を処刑するのは、我が国にとって大きな損失といえるのではないか。それに、今川家が三河で悪政を敷いていたのは確かであるし、信長も今川義元に攻め込まれたのを迎え撃っただけだしな』
(おっと、政虎も念話を使えたのか。でも、俺も使えるし、今や日ノ本中の民の期待を背負う政虎が念話を使えるのは当然か)
などと思い直し、俺も政虎に念話を飛ばした。
『信長・家康を生かしておくのはあまりに危険です。私としては処刑することをお勧めしますが、私の知る歴史と今の歴史にずれが生じているのも確かです。力を与えなければ、大した問題にならない可能性もありますが・・・』
『うーん』と悩む俺と政虎。
そんな俺たちの下に、武田信玄から一通の書状が届いた。
内容は、信長・家康の助命を求めるというものであった。
同盟相手である信玄の頼みであれば、聞かないわけにはいかんか。
ということで、信長には尾張半国、家康には三河半国を安堵し、信長・家康両名は上杉家家臣として、上洛軍に加わることになるのだった。
上杉政権樹立
信長と家康の軍を吸収した上杉軍六万は、さらに東海道を西に進む。
その頃には、信玄も美濃攻めを開始していたが、その戦いの最中に元々体調の悪かった美濃国守斎藤義龍が病死し、稲葉山城は落城。義龍の嫡男龍興は京方面へ逃亡したため、ほどなくして美濃国は武田家のものとなった。
美濃国関ヶ原で合流した上杉・武田両軍は、総勢八万に達した。
その威勢を見た周囲の大名は、次々と上杉軍に加わった。
六角・三好両軍も、この勢いに抗うことはできず、結局大した戦闘もないまま、永禄三年三月一日、上杉政虎は総勢十万の兵を率いて入京するのであった。
「おおーっ、よくぞ来てくれた」
第十三代将軍足利義輝は、将軍館に上杉政虎を招き入れると、政虎を上座に座らせた上で、自身は下座に座り、『政虎は自身の後継者である。今後は政虎の命令を将軍の命令として聞くように』と宣言するのであった。
こうして、天下人上杉政虎が誕生した。
政虎は、天下の実権を握るや否や、諸国に対して惣無事令を発令した。すなわち、大名間の私的な領土紛争を禁止し、紛争は上杉政権の設けた調停機関で解決することを求めたのである。言い換えると、領土紛争を自力(戦争)で解決するのでなく、裁判で解決しろと言ったわけだ。ただ、『言うは易く行うは難し』である。惣無事令に逆らう大名は、沢山出てくるんだろうな。天下静謐が保たれるか否かは、違反者を確実に成敗できるかどうかにかかっている。天下統一事業は、まだ始まったばかりだ。俺は、改めて気を引き締めるのであった。
◇慶寿院(足利義輝生母、関白近衛前久の叔母)視点◇
何ということでしょう。
我が子義輝が、上杉政虎を後継者に指名するとは。
このままでは、将軍家は上杉政虎に乗っ取られ、わらわに従う者たちは皆没落することでしょう。
義輝の計画は、何としてでも阻止しないと。
幸いなことに、わらわには義輝以外にも子がいます。
いざとなれば、義輝を隠居させて覚慶(足利義昭)を新将軍にすることも考えないといけませんね。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その三週間後の永禄三年三月二十一日、上杉政虎は将軍足利義輝の介添えによって、従三位参議に任じられた。同時に、上杉家の主だった将に対しても任官の沙汰があり、位が授けられた。
ちなみに、俺に与えられたのは従五位下上野介であった。
「長野右京進在原氏業、従五位下に叙し、上野介に任ず」
「ははーっ」
俺が平伏すると、周囲は白い光で覆われた。
あれっ、この一面真っ白な世界ってどこかで見たような気が・・・。そうだ、おれが戦国時代に呼び出された時に見た、あの世界だ。
その白い世界には、俺が良く知る一人の人物が立っていた。
そう、もう一人の俺である長野業盛ね。
俺に向かって、業盛は
「成氏(主人公の本名)よ、良くやった。おぬしの働きのおかげで、箕輪長野家の滅亡という歴史を変えることができた。そして、我が無念も晴れ、御霊となることもできた。本当に感謝する」
と、礼を述べるのだった。
「では、これで私も未来へ帰れるということですね」
「ああ、そうだな。我の持つ御霊の力全てを用いて、おぬしを未来に転移させて見せよう」
と業盛は答えた。それにしても、この七年間は死にそうになったり、戦争が嫌で嫌でたまらなくて逃げ出したくなったりもしたけど、色々勉強できて人間的にも成長できたのかな。その点においては業盛に感謝しないと、なんてことを思ったりした。
「そろそろ、別れの時間じゃな」
そう呟く業盛に対し、俺は
「藤殿と菖蒲を幸せにしてあげてください」
と頼むのだった。
「おう、任せるがよい」
その言葉を聞くと同時に、俺の意識は闇の中へと沈んでいった。




