表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/62

第16章 西上作戦開始

主な登場人物

長野右京進氏業(17歳):本作品の主人公。本名は長野成氏。怨霊魔法の属性は風。

怨霊神業盛:主人公を長野氏業に転生させた張本人。


上杉政虎(31歳):山内上杉家第十六代当主。別名、越後の龍。


武田信玄(40歳):甲斐武田家第十九代当主。別名、甲斐の虎。

小幡信貞(21歳):長野氏業の甥。怨霊魔法の属性は雷。


織田信長(27歳):織田弾正忠家当主。戦国三英傑の一人。

松平家康(18歳):安祥松平家第九代当主。戦国三英傑の一人。

永禄三年(1560年)2月1日 相模国小田原城


 ほんの一年前までは越後一国の大名であった上杉政虎だが、小田原城の戦いに勝利することで関東全土を手中におさめ、今や名実ともに日ノ本最強の大大名となった。

 この勢いで甲斐に攻め込まれることを恐れた信玄は、政虎との同盟を画策。政虎としても、西上にあたって信玄に背後を衝かれることを恐れたため、ここに政虎と信玄の利害が一致し、上杉・武田に北条・今川も加えた甲相駿越四国同盟が成立する運びとなった。

 四国同盟に加え、近衛前久を古河城(茨城県古河市)に置くことで、さらに関東支配を盤石化させた政虎は、朝廷の仲介で本願寺との和睦にも成功。

 ここにおいて、政虎西上の準備は全て整ったのであった。


「殿、今川氏真様から救援要請が届いております」

 書面には、裏切者の松平家康と同盟相手の織田信長を討つために援軍を送って欲しい、といった内容が書かれていた。まさに、予想通りであった。

「氏業、大砲の製造と南蛮船建造は進んでおるか」

「はっ、職人たちに最優先で造らせております。大砲を積んだ南蛮船も、二〇隻就航可能です」

「よし、ものども出陣じゃ。まず、東海道を西に進み、遠江で信長・家康を討ち取るぞ。そうすれば、日和見大名どもは続々と我が軍門に下り、六角・三好などは戦わずに逃げ出すであろう。上洛後は惣無事令を発し、それに従わぬものは朝敵として討ち果たすのだ。これにて、戦国の世に終止符を打って見せようぞ」

「「「おおーっ」」」」

 こうして、上杉政虎率いる五万の軍勢と、二〇隻の南蛮船艦隊が出陣するのだった。


三方ヶ原の戦い


永禄三年(1560年)2月5日 駿河国駿府城


 駿府城に到着した上杉政虎は、早速家康に使者を出して、今川家への従属と信長討伐への参加を要求した。家康からすれば、到底認められぬ条件であったに違いない。考えるまでもなくこの要求は家康に拒否されたのだが、俺にとってもそれは狙い通りであった。

 やはり、信長と家康は勢力が小さいうちに討ち取っておいた方が、色々と安全だと思うのですよ。後に天下人となる信長と家康の危険性については政虎も重々承知していたため、家康に無理難題を押し付けてわざと暴発させる方針は、特に反対もなく実行に移されたのだった。

 そんな訳で、今川氏真の軍を吸収した上杉軍は、信長・家康連合軍を撃破すべく、東海道を西に進むのであった。


◇松平家康視点◇

 政虎の要求を断った私の下に、信長公から速やかに援軍を向かわせるとの連絡が入った。

 さすが信長公、話が早い。松平軍が上杉軍に敗れ去れば、次に襲われるのは織田家であることぐらい、承知ということだな。それにしても、上杉政虎は義将でむやみに人を殺さぬという評判であったが、我らに対する仕打ちは腑に落ちんな。何か理由があるのだろうか。

 ともかく、こうなってしまっては是非もなし。出来るだけ多くの兵を集めて、一人でも多くの敵を倒すまでだ。我が軍と織田軍が合わされば二万に届くか?一向門徒が戦に加われば、兵の数では互角になるだろうか。

 そんな私の皮算用を、現実が打ち砕いた。

 なに、本願寺と上杉政虎の間で和睦が成立したから、一向門徒は戦に参加できない、だと。

 頭を下げる本多正信に対し、私は次のように指示するのだった。

「もし、私が此度の戦で戦死したならば、本願寺に預けている竹千代を松平家当主に立てよ。本願寺という強力な後ろ盾を持つ竹千代であれば、上杉政虎も無下には扱えまい」と。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


永禄三年(1560年)2月10日 遠江国三方ヶ原


 東海道を西に進む上杉軍五万五千は、大した妨害を受けることなく遠江国浜松城付近に到着した。浜松城には、信長・家康連合軍二万が籠城していた。

 さて、ここで上杉軍が取れる作戦は二つ存在する。

 一つは、浜松城を包囲して持久戦に持ち込む作戦であるが、これは落城するまで時間がかかるかもしれない。

 もう一つは、信長・家康を浜松城から誘い出して、野戦で討ち取る作戦である。史実だと、家康は三方ヶ原に誘き出されたが、今回もそうなるとは限らないしな。

 なお、今回政虎は、まず史実通り三方ヶ原に誘き出す作戦を取り、もし出てこなければ浜松城を砲撃する作戦を取ることにしたのだった。

 上杉軍五万五千は、浜松城から3キロ北の欠下カケシタまで来ると、進路を北西に変えて三方ヶ原へと進む。上杉軍が三方ヶ原西端の祝田ホウダの坂を下り始めると、今こそ上杉軍を撃滅する絶好の好機ということで、信長・家康連合軍は浜松城を出撃するのだった。

 もちろん、それを探知できぬ政虎ではない。

 上杉軍はすぐさま祝田ホウダの坂を上ると、鶴翼の陣を敷いて信長・家康連合軍を待ち受けるのだった。


◇織田信長視点◇

 浜松城を出撃して三方ヶ原に到着した我らが見たのは、鶴翼の陣を敷いて我らが到着するのを待ち受ける上杉軍の姿であった。

 しまった、敵は既に祝田の坂を上りきっていたのか。

 ここにおいては是非もなし。

 今は、一人でも多くの敵を討ち取るまでだ。

 わしは、家康に魚鱗の陣を敷くよう命じると、周囲の兵を引き連れ、上杉軍に突撃するのであった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 上杉軍本隊に向かって信長が突撃してくるのを見た政虎は、信長・家康連合軍の背後を取るべく、左翼と右翼に指示を出す。

 左翼と右翼は前進するが、家康が邪魔をして思うように進めない。

「ほう、家康は意外とやるではないか。では、こちらも本気を出すとするか」

 政虎は、柿崎景家と直江実綱にそれぞれ千五百の兵を任せると、左翼と右翼の攻撃を迎え撃っている石川数正隊と酒井忠次隊の側面を突かせるのであった。

「この攻撃を持ちこたえるとは。まだ十八歳と聞いておるが、家康とは古今無双の名将と言うべきではないか」

 政虎がさらに三千の兵を最前線へ送ると、さすがの家康も上杉軍の攻撃を支えきれず、石川数正隊と酒井忠次隊は徐々に後退するのであった。

「よし、柿崎景家と直江実綱は家康の背後を取ったか。今こそ総攻撃の時ぞ。ものども、突撃せよ」

 政虎は、毘沙門天に祈りを上げ『軍神』を発動した。

 上杉軍の士気が最高潮に達する。

 今や、信長と家康の命は風前の灯火であった。

 

◇松平家康視点◇

 万事休す、か。

 信長・家康連合軍は、上杉軍に完全に包囲されていた。

 この期に及んでは、潔く討死するより他はなし。

 上杉軍に突撃しようとする家康は、この時ある言葉を思い出していた。

 『死生命無く死中生有り』

 かつて、駿府において長野氏業に教わった言葉であった。

 待てよ。今、上杉軍全軍が総攻撃に参加しているということは、政虎本陣の守備が手薄になっていることを意味するのではないか。というか、あれこれ考えている暇などないわ。

 早速、信長の下に行き政虎本陣の敵中突破を主張すると、信長は『神速』を発動させ、白炎燃え上がる政虎本陣に突撃するのであった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 軍配を持ちながら床几に座る政虎は、神の力を放つ何者かが物凄い速度で近付きつつあるのを感じていた。

 政虎の傍で待機している俺にも、その気配をはっきりと感じ取ることができた。

(第四次川中島の戦いじゃないんだから勘弁してくれ。しかも、今回は政虎役が信長で、信玄役が政虎だと!!)

 単騎で政虎本陣に飛び込んだ信長は、周囲の護衛を蹴散らすや否や、刀で政虎に斬りかかった。

 それを軍配で受ける政虎。

 俺が信長の馬を槍で叩くと、馬は後ろ足で立ち、前足を空中で振り回しながら『ヒヒーン』といななき、西に向かって逃げ去るのであった。

 その隙を縫って、家康とその護衛の兵も戦場からの離脱に成功した。

「政虎様、敵の大将も逃げ出したことですし、信長・家康軍の残兵には降伏勧告を行うとしましょう」

「ああ、そうだな。これ以上戦死者を出すのは無意味だからな」

 こうして、信長と家康を討ち取ることは出来なかったものの、三方ヶ原の戦いは、上杉軍の大勝利に終わるのであった。


◇武田信玄視点◇

 遠江国三方ヶ原にて、上杉政虎率いる五万五千の軍勢が、信長・家康連合軍二万を完膚なきまでに叩きのめした。

 この報を受けた時、わしは『時代の追い風を受けし者には小細工など通用しない』ことを悟った。『上杉政虎こそ、この戦乱の世に終止符を打つことのできる唯一の人間』、日ノ本中の民の期待を一身に背負う政虎は、このまま上洛して天下を取るのであろう、わしはそう確信した。

 この期に及んでは致し方なし。今回は政虎に譲るが、所詮天下は持ち回りよ。今は政虎のやり方を学び、奴が隙を見せたその瞬間に、わしが天下を奪い取って見せよう。

 そのためにも、武田家の領土を増やした上で、奴の敵となり得る勢力は残しておかないといかんな。

 上杉軍は東海道を進軍中だから、武田軍が攻めるとすれば東山道沿いの美濃であろうか。

 あと、信長・家康の助命もしないといかんな。

 今、奴らに恩を売っておけば、わしが政虎に反旗を翻す際に奴らが味方になる確率も、ぐっと上がるであろう。 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

戦争:三方ヶ原の戦い

年月日:永禄三年(1560年)二月十日

場所:遠江国三方ヶ原

結果:上杉軍の勝利


上杉軍指導者・指揮官

上杉政虎、直江実綱、柿崎景家、今川氏真、長野氏業など

戦力:約55000

戦死:約500


信長・家康連合軍指導者・指揮官

織田信長、松平家康、石川数正、酒井忠次など

戦力:約20000

戦死:約5000(平手汎秀、夏目吉信、鈴木久三郎など)

降伏:約10000

逃亡:約5000

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ