進撃の綱成
永禄三年(1560年)1月1日 相模国笠懸山城
年が明けて永禄三年正月を迎えた。
この間、景虎は鎌倉で正式に関東管領に就任して、上杉政虎と改名した。
俺は、この三カ月間笠懸山でずっと城作りに励んでいたのだが、先日ついに城が完成したため、政虎はこの城で年賀の挨拶を受けることとなった。ちなみに、秀吉はこの城を石垣山城または一夜城と呼んでいたが、この時間線では単純に笠懸山城と呼ばれているよ。
いやー、笠懸山城の大広間は、政虎に味方する土豪・国人衆で一杯になっているね。
せっかくなので、北条家の皆様にもこの笠懸山城をお披露目しようということで、正月という一年で最初の日に周囲の木を伐採し、一夜で城を築いたように見せるのだった。
◇北条氏政視点◇
「くそっ、どうしてこうなった」
横浜城など捻り潰して、今頃は政虎を関東から追い出していたはずなのに。
それに、小田原城に籠城すれば、敵の方から先に兵糧が尽きて、撤退に追い込まれるのではなかったのか。それなのに、先に兵糧が尽きるのは我が方だとは・・・。
上杉政虎は義将というが、民を小田原城に追い込んで兵糧攻めをするなど、とんだ鬼畜ではないか。
突然、兵たちから悲嘆の声が上がった。
「いったい何事だ」
建物の外で私が見たのは、笠懸山にそびえる巨城であった。
弟の氏照と松田憲秀は、絶望のあまり両膝と両肘を地べたに突き、俯いていた。
いったいどうすれば良いのだ。兵糧が尽きる前に上杉軍に突撃すれば良いのか。そんな混乱する私の前に、北条綱成が現れた。
「玉砕は上に立つ者のすることではありません。降伏するにしても、武力の行使によって、出来るだけ有利な条件を整えてから、行われるべきです。幸い、今日は北風が強く、鉄砲を使うには不向きな日にございます。某が決死隊を率いてあの城に夜襲をかけますゆえ、殿は我が戦果を以って上杉政虎との交渉に臨んで下され」
こう言う綱成に対し、私は『死ぬことは許さん』と叫ぶが、綱成は『士は己を知る者のために死す(史記、刺客伝)と言います。今こそ、氏綱様、氏康様の恩に報いる時。某が、あの政虎に一太刀浴びせてご覧に入れましょう。殿、御免』という言葉を残して、私の前から消えるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇北条氏康視点◇
伊豆大島に来てから三カ月半が経過した。
その間、氏政の様子を密かに探っていたが、今や小田原城は完全に包囲され、兵糧は尽き、落城も時間の問題とのこと。
このままでは、氏政だけでなく北条家そのものが消滅してしまうではないか。
もはや見ていられん。
「乙千代丸、孫次郎はおるか。すぐ出発するぞ。目指すは小田原城だ」
わしは、乙千代丸と孫次郎を連れて、小田原城を包囲する政虎の下へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
永禄三年(1560年)1月1日夜 相模国笠懸山城
笠懸山城を氏政にお披露目したその日の夜のこと、不穏な気配を感じた俺は城の外へ飛び出した。
強い北風が吹き荒ぶ笠懸山。そこでは、既に臨戦態勢を整えた政虎が数百の兵とともに何かを待ちかまえているのだった。
「政虎様も感じましたか」
「ああ、恐らく夜襲だな。少数の兵が闇に紛れて城に近づいておるな。まあ、無駄とは思うが、奴らが現れるのと同時に包囲して、投降を促してみるか」
「では、私も迎撃の準備をいたしましょう」
俺は、数百の兵とともに森の中に潜む。
間もなく、敵と思われる兵百余りが松明を片手に現れた。
上杉軍の兵から奪った甲冑を身に着けていたから、ここまで来られたということか。この臭いは、・・・石油か?火炎瓶で笠懸山城を燃やそうというのか。
「取り囲めーっ」
政虎が合図するのと同時に上杉軍一千が現れ、敵兵を包囲するが、敵もそのことは予測していたのであろう。北条軍百余りは無言で上杉軍に斬りかかるのであった。
「何としてでも上杉軍を突破し、城に火をかけるのだ」
敵の指揮官は北条綱成であった。
「綱成殿、既に大勢は決しております。一人でも多くの兵を救うため、速やかに投降して下さい。貴殿はこんなところで死ぬ人ではありません」
そんな俺の言葉に対し、綱成は『うるさい』とひとこと言うと、政虎目指して突撃するのであった。
北条軍の決死隊は次々に命を落とし、もはや生きているのは綱成ひとりとなった。
再度の降伏勧告を拒否した綱成に対して、もはや説得不能と悟った政虎は、せめてとばかりに自ら槍を取って綱成にとどめを刺すのであった。
「どうか、氏政様の命はお助け下され」
こう言い残すと、北条綱成享年四十六歳、息絶えたのだった。
◇北条氏政視点◇
あの地黄八幡が死んだだと。
北条綱成の戦死が伝えられると、小田原城の士気は益々低下した。
私の指示を求める家臣たち。
私はいったいどうすれば良いのだ・・・。そうだ、武田だ。信玄公にご出馬いただければ、その隙に城内に兵糧を運び込むのも可能ではないか。小幡信貞はどこだ。
信貞は、カラスを用いて城外と連絡を取り合っていた。
「信貞、信玄公と連絡を取りたい。武田軍に上杉軍を牽制してもらい、その隙に城内に兵糧を運び込むのだ。出来るな」
すると、信貞は呆れたような顔をして私にこう言うのであった。
「御屋形様は既に北条家を見限り、上杉家との和睦に動いております。まさか、氏政様がここまで使えないとは思っていなかったと、大層お怒りのご様子です」
「何だと。信玄公は、同盟相手の北条家を、義理の息子であるこの私を見捨てるというのか」
「そもそも、同盟とは利害関係が一致しているときに成り立つものです。もはや何の役にも立たぬ北条家に、御屋形様が義理立てする理由などありません」
全てを言い終えた信貞は、私の前から姿を消した。
後ろから、私の指示を仰ぐため、家臣たちが殺到する。
(もうやめてくれ。結局、私は北条家当主が務まるような器ではなかったのだ)
私は自室に逃げ込み、膝を抱え込んだ。絶望感が私の心を包み込むのと同時に、怨霊の力が私の中から溢れ出した。
「殿、出てきてください」
「何だ、殿の部屋が土壁で覆われている」
「うわっ、周囲から数えきれない数の泥人形が湧き出てきたぞ」
「こいつら攻撃してくるぞ。敵わん、逃げろー」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




