初陣前夜
弘治二年(1556年)4月
さて、横浜村の港湾施設であるが、俺は設計図であれば何とか書けるが、作り方はさっぱりなんだよね。しょうがないので、大工は氏康に紹介してもらい、父業政には普請奉行を派遣してもらうことにした。一応、火炎瓶に火縄銃、ついでにクロスボウも送ってほしいと伝えておいたが、こちらにどの程度回ってくるかな。あと、建築資材や石灰・亜炭も用意しなければならんな。小田原の商人に頼んで、横浜村まで運んでもらうとするか。
こうして、俺といつもの三人は、人と物が集まるのを待ってから横浜村へと出発した。
藤殿も、妻だからと言い張って、侍女の菖蒲と一緒に無理やり付いて来るのであった。
横浜村に着いた俺たちは、早速周辺の村から人足を集め、港の普請を開始した。
ほどなく、箕輪城から普請奉行の白川五郎光一と工兵隊50人も到着した。もちろん、シャベル・火炎瓶・火縄銃・クロスボウを携えてである。今の俺に一番必要なものを送ってくれるとは、さすが父上。
とりあえず、普請は専門家に任せるとして、金の管理や普請場の見回りなどは、俺と孫蔵・弥左衛門・平八郎の四人で手分けして行うことにした。
そんな感じで数日が経過したが、菖蒲が言うには、やはり間者が紛れ込んでいる気配がするとのこと。
せっかく金をかけて作ったものを破壊されるのも嫌なので、ここは人外の力の使いどころかな。ということで、早速怨霊神を呼び出して、不審者の動きを探知できないか確認したところ、自身の近くであれば可能とのこと。うむ、探知できるのは半径50メートルの範囲といったところか。
とりあえず、堀と土塁の完成を急がせるとして、夜は藤殿のために本作りをしつつ、探知の怨霊魔法を発動して怪しい動きをする者がいないかしばらく探ることにした。
それにしても、怨霊魔法と本作りの相性は良いね。リコールで本の内容を思い出し、身体強化でそれを書き写せば、あっという間に本の完成である。シンデレラに白雪姫、それから転生物でも書いてみるか。
そんな感じで数日過ごしていると、早速不審者とおぼしき者を発見した。
夜中に松明を持って工事現場を彷徨っているなんて、どう見ても不審者だよね。
建築資材に油をかけて松明の火をつけようとしていたので、身体強化の怨霊魔法を発動して後ろから羽交い絞めにすると、その不審者は『おめえ、あにしやがる』と声を上げた。
んー、ここら辺では聞かない言葉だね。
ここで、ピンとひらめいた俺は、
「房州弁か?里見の間者だな」
と、鎌を掛けてみた。
急に狼狽し出した不審者は、懐から何かを取り出して飲み込んだ。すると、白目をむいて、口から泡状の唾液をダラダラと流し、そのまま動かなくなった。
「うわー、毒を飲んだ?泡?死ぬ」
俺も、突然のことに慌てふためく。
前世の俺は就職氷河期世代である。就職試験に落ちた連中が死んでいくのは何度も見ており、死には耐性があるものと思っていた。それでも、目の前で人に死なれると慌ててしまうようだ。
やがて、騒ぎに気付いた孫蔵・弥左衛門・平八郎の三人組が駆け付け、しばらくして白川五郎と侍女の菖蒲も集まってきた。
工事現場に入り込んだ間者が、里見の手の者だということははっきりしたが、狙いがいまいちわからない。ただの嫌がらせか、それとも他に目的があるのか。
とりあえず、今夜は見張りを数名残し、詳細については翌日に話し合うこととした。
ちなみに、藤殿は『夫の一大事に惰眠を貪っていたなんて』と落ち込んでいたが、本を渡すと機嫌を直したようだ。まだ十一歳だからしょうがないよね。
◇里見義弘の見解◇
わしは里見義弘、安房・上総を領する里見家の次期当主である。近年は、北条家に対して防戦一方となっており、一刻も早い長尾景虎の関東侵攻を願う次第である。
間者からは定期的に報告が上がってくるが、その報告の中に、箕輪長野家の若君が小田原に来て元服し、武州横浜村に領地を与えられたというものがあった。
長野家の若君といえば、色々と珍しいものを開発して話題になっている奴だな。なにやら横浜村に砦のようなものを築いているそうだが、今なら攫ってくることも可能か。
あやつの頭脳は里見家のために使ってもらおう。父の前妻はやつの叔母(長野業政の妹)だから、縁もゆかりもないというわけではないしな。まあ、身代金を要求するのでも良いかなと思い、忍び数名に長野氏業を捕らえてくるよう命じるが、返り討ちにあったとのこと。
孔明やら麒麟児やらと噂されているぐらいだから智将だと思っていたが、意外と腕も立つのか。
今回の騒動は里見家の仕業だとばれてしまったことだし、さてどうしたものかと悩んでいると、正木時忠が水軍を率いて横浜村に攻め込むのはどうかと進言してきた。横浜村に常駐しているのは、武将数名と箕輪から来た人足五十人と村人だけである。そのほとんどが非戦闘員なのだから、正規兵で攻めれば楽勝であろう。
「正木時忠、二百の兵で横浜村に攻め込み、長野氏業を捕らえてくるがよい」
さて、氏業のお手並み拝見といこうか。
◇藤の見解◇
何という失態でしょうか。夜中に、氏業様が里見家の忍びと戦っていたというのに、わたくしは気付きもせずに朝まで眠っていたなんて。
氏業様は何も言いませんでしたが、妻として失格です。
そんなわたくしに、氏業様は本を下さいました。本を読んで喜んでいるような場合ではないのに、本がわたくしを呼ぶ・・・。
やっぱり本は面白いです。特に、この転生物というのでしょうか?未来人が現代に転生し、未来の料理で周囲の人々を幸せにして、ついでに戦乱の世も終わらせてしまうといったものです。
からあげに天ぷら、寿司など見たことも聞いたこともない料理が次々と出てくるなんて、氏業様は想像力の高い方なのですね。そして、未来の料理に必ず出てくる調味料として『醬油』があるのですが、味噌の上澄みをたまり醤油というのですか。もしかして、わたくしにもこれらの料理が作れるのではないでしょうか。美味しい料理で、氏業様の胃袋をがっちりつかむのです。早速、菖蒲と一緒に研究してみましょう。
翌朝、俺は孫蔵・弥左衛門・平八郎の三人と白川五郎、それに藤殿と菖蒲を集め、早速今後の方針について話し合いを始めることとした。
まず、菖蒲の調査によると、周辺の村から集めた人足が5人減ったとのこと。里見の間者は5人だけだったのか。まだ人足に紛れ込んでいるのか。そもそも、間者を紛れ込ませているのは里見家だけなのか。考え出すと切りがないな。
とりあえず、夜間に松明を焚いて見張りを置くことと、土塁を出来る限り高くすることは、すぐさま決定した。
後は・・・、里見家の目的は何なのだろうか。すると、白川五郎が口を開いた。
「それは、氏業様ご本人だと思われます」
えー、俺を攫うのが目的?まさかー、ここを破壊するのが目的じゃないの、と否定する俺に対し、『氏業様はご自身の価値を理解しておられない』と皆が口をそろえて言う。
「間違いなく、近いうちに里見が攻めて来るでしょう。私が敵の立場であれば、早朝に船で攻め寄せるでしょうが、氏業様はどう対処なされますか」
という白川五郎の問いに対し、俺は
「夜の見張りは4人配置し、子の刻(午前0時)に交代させ、敵が現れたら拍子木を打ち鳴らして周囲に知らせることとする。工兵は、いつでも戦えるよう、枕元に甲冑を置いて休ませるのはどうだ」
と答えた。実際、いつ攻めてくるのかわからない敵を待ち伏せするのは無理なので、拍子木を鳴らしてこちらは迎え撃つ態勢が整っていることを示すのも良いのではないか。これで退いてくたらベストな展開だが、なおも攻め寄せてくるというのであれば、火縄銃とクロスボウをお見舞いしてくれよう。敵が混乱したら、火炎瓶で船を燃やし、シャベルで敵兵を叩いて海に突き落してやるというのはどうかな。
一生懸命土塁を高くしているから、敵が攻め込むとしたら、入り口の門を破るか、船着場から侵入するか、入り江の内側に回り込んで土塁の低い部分から攻め込むしかないんだよね。あくまで敵の目的が俺を捕まえることだというなら、あえて船着場に面した土塁の上で名乗りを上げて敵をおびき寄せれば、火縄銃やクロスボウで敵を一網打尽にできるのかな。
あとは、横浜村の村民にも一緒に戦ってもらうこととするか。まさか、敵に攻め込まれているのに、俺たちに協力しないわけはあるまい。
こんな感じで敵の迎撃方法について話し合っていると、
「随分と楽しそうな話をしておるの。どれ、我もおぬしを手伝ってやるとしよう」
と怨霊神業盛も話に加わってきた。なにやら、怨霊は争いごとを大層好むそうで、敵が叩きのめされる様を見たいそうだ。
そこで、敵が近づいてきたら俺に知らせるよう頼むことにした。
とりあえず、藤殿の護衛は菖蒲に任せるとして、敵の迎撃方法を決めた俺たちは、早速工事を再開した。
工事は急がせないといけないが、敵を迎え撃つときに疲労困憊では本末転倒なので、周辺の村から集める人足を増やして、工兵隊の連中は適度に休ませることとした。
ちなみに、横浜村の協力はすぐ得られたよ。まあ、この時代の人間は皆武装しているし、自分の村は自分たちで守るという考え方が一般的だからね。
そうそう、武器も確認しないといかんな、ということで早速火縄銃やクロスボウを調べてみると、火縄銃が十挺、クロスボウが四十台あった。うーん、火縄銃は通常のもので、ライフリングもミニエー弾もないけど、まあしょうがないよね。火炎瓶は、陶器の瓶に軽油を詰めて木の栓で封をしているけど、すぐ布の栓に交換できるよう瓶に布でも巻き付けておくか。
そんな感じで、数日が経過した。
俺は、いつものように夜中に起きて決裁書類を確認していたが、やはり菜種油の明かり(灯明)は暗いね。早めに石油ランプを作らないといかんなと思っていると、怨霊神業盛が『何者かが横浜村に近づいてきておるぞ。おそらく里見軍だ』と話しかけてきた。
ついに来たか。俺は、すぐに家を飛び出し、土塁の上に上る。外は、既に東の空が白み始めており、間もなく日の出を迎える刻限であった。
まだ暗くて見えにくかったが、目を凝らすと南方海上に小さい船らしきものを確認できた。しばらく見ていると、船影はどんどん増えていく。敵襲だ。見張りと一緒に拍子木を打ち鳴らして兵を集め、白川五郎には二十の兵をつけて正門の守備に回し、残りは外海に面した船着場に配置して、敵を迎え撃つことにした。入り江の内側に回り込む船があれば、ここの兵を分けて対応することにしよう。味方の兵には、火縄銃とクロスボウをいつでも撃てるよう準備させ、俺たちは敵が接近するのを待ち受けるのであった。
◇ 正木時忠の見解
夜中に勝山湾を出発した里見水軍は、北極星の位置で方角を確認しながら、横浜村へと向かう。夜明けとともに横浜村へ攻め込む予定であったが、土塁の内側からは拍子木の音が聞こえ、既に迎撃態勢が取られているように見受けられる。
奇襲には失敗したが、二倍以上の兵を持つ我々に長野軍が勝てるはずあるまい。
横浜村の入り口には五十の兵を回し、残りの百五十は土塁の低い部分から内部に侵入させて、さっさと氏業を攫ってくることとするか。