氏康との別れ
永禄二年(1559年)9月15日 相模国小田原城評定の間
評定の間に入った俺が見たのは、縄で縛られて床に転がされている氏康と、見下したような目で俺を見る氏政の姿であった。氏政の背後には、黒い炎が燃え上がっていた。
「よく来たな氏業よ。早速だが、死ね!」
氏政のかけ声とともに俺に斬りかかる使い走りであったが、俺も注意していたからね。
俺は、その攻撃をかわすと、使い走りを殴って気絶させたのだが、氏政もそれを予測していたらしく『ピー』と指笛を鳴らした。すると、すぐに氏政の護衛十数名が現れ、俺を取り囲んだ。しかも、ご丁寧なことに、護衛たちは怨霊の力で身体強化されているようであった。
「さて、氏業よ。ずっと城内に軟禁されていたおぬしには分からぬと思うが、おぬしの父である長野業政は長尾景虎に内通した。よって、人質であるおぬしを殺すことにしたのだが、父上がおぬしの処刑に反対されたのでな。仕方がないので、父上には隠居してもらい、おぬしの横浜城は私が頂くことにした。明日にも、横浜城は氏照率いる一万の軍勢に包囲されるであろうな。だから、おぬしは安心して死ぬが良い・・・」
氏政の言葉が終わる直前、俺は懐から生石灰を取り出して前方へ投げ、怨霊魔法ウインドストームを発動させた。
注意:生石灰は大変危険です。肌に触れれば炎症が生じ、吸い込めば呼吸困難になり、目に入れば失明する危険性があるので、決して人に向けて投げないで下さい。
怨霊魔法で拡散した生石灰が、氏政や護衛たちの目・喉・鼻に入り込む。すると、俺の周囲は阿鼻叫喚の地獄と化した。ちなみに、俺と氏康の周囲は風のバリアで囲ってあるので安全だよ。
「目っ、目がー」
「ぶへーっくしょん」
「ゲホゲホ、ゴホゴホ」
氏政とその護衛、ついでに評定衆も生石灰でゲホゲホ苦しんでいる。
とりあえず、周囲で苦しんでいる連中は片っ端から気絶させることにして、さて問題は氏政だ。こいつは、既に悪しき怨霊の力に飲み込まれているからな。怨霊神は、『氏政を生かしたところで、こやつが生み出すのは死と破壊と混沌だけじゃ。現におぬしも殺されかけたであろう。早う殺せ』などと言っている。俺に殺せるのか、この氏政を。しかし、今見逃したところで、次の機会があればまた俺の命を狙うのであろう。であれば、今殺すしかないのか。そうだな、俺を殺せるのは、殺される覚悟のある奴だけだ。
「氏政、覚悟。うおーーー」
俺は、周囲に転がっていた護衛の刀を奪い、氏政に斬りかかった。
「まて」
俺を制止する声が聞こえた。俺の振るう刀は、氏政の面前に突き刺さった。
その声の主は、氏康であった。
「何故、私を止めるのですか。この者は簒奪者ですぞ。例え親子といえど、殺さなければ殺される。それが戦国の世ではないのですか?それに、今の私は謀反人の息子です。氏康様の命令で簒奪者氏政を討ち取ったという形にしないと、私自身が殺されてしまうではありませんか」
「どんな愚か者であろうと、そやつは我が息子なのだ。殺されるのを黙って見ていることなどできん」
「では、氏政を一生地下牢に閉じ込めますか。それとも、私と一緒に横浜城に逃げて、景虎に助けを求めますか」
「いや、氏政を牢に放り込まないし、長尾景虎の手も借りぬ」
「じゃあ、一体どうするというんですか」
「長尾景虎の手は借りぬが、長野氏業の手は借りることとする」
えっ、これから敵になる俺の手を借りる?困惑する俺に対し、氏康は
「氏政を殺せぬ時点で、わしは大名失格。この上は潔く引退するだけだが、北条家の行く末は気がかりである。おそらく、氏政に長尾景虎の相手は務まらぬであろうな。そこで重要になるのがおぬしだ。おぬしは、景虎の傍で最善を尽くすのだ。それが、巡り巡って、北条家の利益に繋がるはずだ」
「私が長尾景虎の下で最善を尽くせば、北条家は滅びることになると思いますが・・・。氏康様のおっしゃる意味が分かりません」
俺の問いに対し、氏康は土下座をしてこう言うのであった。
「どうか、氏政を救ってやってくれ」
と。『ああ、そういうことですか』と納得する俺。
「ふふっ、理解できたようだな。おぬしは、頼まれれば嫌とは言えぬ、無類のお人好しだ。しかも、わしに対して少なからぬ恩義があろう。おぬしは、受けた恩は必死になって返そうとするはずだ、それが例え敵であったとしてもな」
「分かりました。氏政と北条家にとって、より良い結果をもたらすよう、最善を尽くします。だけど、あまり期待しないで下さい。私にも、出来ることと出来ないことが有りますからね」
と、氏康に念を押すのは忘れなかった。
「せっかくだから、こいつもくれてやる。もはや、わしには必要のないものだからな。手を出せ」
そう氏康が言うので、俺が手を出すと、何かエネルギーのようなものが体に満ちるのを感じた。これってもしかして、
「そうだ。わしの持つ異能の力を、おぬしにくれてやったのだ。これで、益々わしの言うことを聞かざるを得なくなったであろう」
こんな感じで、どんどん氏康に逆らえなくなっていく俺であった。
「それにしても・・・」
床に転がって気絶している氏政に向かって、俺はつぶやいた。
「別に、氏政の下で天下を取るのも悪くない、と思っていたんだけどな・・・。では氏康様、今まで大変お世話になりました。このご恩は生涯忘れません。さらば」
「ああ、次に会う時は、わしを海外に連れて行ってくれよな」
「承知致しました」
こうして、3年半に及ぶ氏康との楽しくも大変な日々は、幕を閉じたのであった。
◇北条氏康視点◇
ふふっ、行ってしまったか。
氏業を見送ったわしは、最後の力を振り絞って浄化の力を発動させた。
周囲の者から、生石灰が取り除かれていく。
「ううっ、ゲホゲホ」
どうやら、氏政が目を覚ましたようだ。
「氏政よ、遅い目覚めだな」
わしの発言に対し、『氏業はどこですか』と問う氏政。
「氏業は、今頃小田原を脱出して横浜に向かっている所ではないかな。そんなことより、お前は氏業の策にはまって殺されるところを、わしが土下座をして何とか見逃してもらったのだぞ。あまり、隠居の手を煩わせるな」
「完全武装した十数名の武士が、氏業ひとりに手も足も出なかったということですか。しかも、父上の土下座で我らの命を救って貰ったと・・・。とんだ、生き恥さらしではないですか」
項垂れる氏政に対し、わしはこう言ってやるのであった。
「乙千代丸と孫次郎はどこだ。わしらは、今から伊豆大島へ向かうとしよう。氏政よ、船を用意いたせ。それにしても、反射炉を見れば一目瞭然だが、数百年先の知識・技術を持つであろう氏業を敵に回すとはな。お前の度胸だけは認めてやるぞ。ハッハッハ」
「えっ、長尾景虎との戦いを手伝って頂けないのですか。いったい、私はどうすれば良いのですか」
ひとり困惑する氏政を残し、わしと乙千代丸と孫次郎は港へと向かうのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
◇北条氏政視点◇
「数百年先の知識・技術を持つであろう氏業を敵に回すとはな。お前の度胸だけは認めてやろう」
そう言い残して、父上は小田原城を去っていった。
父上の言い方だと、長尾景虎よりも氏業の方が敵に回すと厄介ということなのか?
私は、氏業を排除して、父上に目を覚ましてもらおう、そして父上に褒めていただこうと思っていただけなのに、まさかこんなことになろうとは・・・。
北条家当主としての責任やら義務が、私の肩にのしかかってくる。
もし、父上の言うことが真実であれば、我らは奴に対して時代遅れの戦法で戦うことになるではないか。これはまずい。
私は、すぐさま松田憲秀らを叩き起こすと、善後策を講じさせることにした。
武田家には奥信濃に兵を出してもらうとして、あとは氏照への援軍だが、玉縄城の北条綱成殿に頼むのが良いのだろうか。くそっ、考えることが多すぎる。父上は、こんな重圧に耐えながら北条家当主を務めていたというのか。
こうして、私は改めて父の偉大さを思い知らされるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
小田原からの脱出
小田原城を脱出した俺は、すぐさま孫蔵たちと合流した。
既に日は沈み、周囲は真っ暗であった。
本来なら、夜の移動など自殺行為であろうが、俺には怨霊魔法があるからね。
身体強化の怨霊魔法を発動すると、俺・孫蔵・弥左衛門・平八郎の視力は強化され、夜間でも移動可能となるのであった。
ちなみに、孫蔵たちは逃走に必要な馬だけでなく、生石灰も用意してくれていた。『逃走に必要かと思い、小田原城の工事現場からくすねておきました』とのこと。
俺は、改めて今までの経緯を孫蔵・弥左衛門・平八郎に説明し、横浜城に危機が迫っていることを話すと、速やかに横浜城へと向かうのであった。
あっ、そうだ。明日にも、横浜城は氏照率いる一万の軍勢に包囲されてしまうではないか。今、小田原城を出発して全速力で横浜城に向かったとしても、到着するのは明日の正午頃で、どうしても戦には間に合わない。俺の到着まで、横浜城は氏照の攻撃を撥ね返すことができるのか・・・。うーん、藤殿には負担をかけるが仕方あるまい。氏康に貰った力を加えれば、横浜まで届くか?とりゃー、怨霊魔法テレパシー発動。
『えー、藤殿聞こえますか。氏業です』
『えっ、氏業様!?声は聞こえど、姿は見えず。もしや、幽霊となってわたくしに話しかけておられるのでしょうか』
『いや、違います。私は生きています。1か月間連絡を取れず、藤殿を心配させたことはお詫びします』
『いえ、お詫びなんて不要です。氏業様がご無事で良かったです』
『それが、状況はあまり良くなくてですね、私は氏政に殺されそうになり、私を守ろうとした氏康様は、北条家当主の座を追われました。氏政率いる北条家にとって、今の私は不倶戴天の敵ということになります。横浜城も、明日の朝には氏照率いる一万の軍勢に包囲されることでしょう。藤殿には、私が戻るまで氏照の攻撃を撥ね返していただきたいのですが・・・』
ごにょごにょと口ごもる俺に対し、藤殿は間髪入れずこう答えるのであった。
『承知しました。明日は、城壁の上に鉄砲を並べて、義兄上(氏照)を迎え撃つことにいたしましょう。わたくしの命に代えても、横浜城は守り抜いて見せましょう』
そう言う藤殿に対し、『くれぐれも命は大事にして下さい』と伝えると、俺・孫蔵・弥左衛門・平八郎の四名は横浜城へと急ぐのであった。
俺たちは、横浜城に向かってひたすら夜道を進む。
(まあ、夜だから追手を差し向けるのも難しいだろうし、もし俺たちの逃走を阻止するなら、あらかじめ街道沿いに兵を配置しておくしかないんだけど、氏政の頭はそこまで回るまい)
などと思っていたのだが、俺の怨霊魔法は数キロ先の兵の動きを探知した。
街道沿いに小さな関があって、そこに十数名の兵が待機しているようであった。
しばらくすると、兵たちの動きが慌ただしくなった。
(まさか、こちらが探知された?向こうにも、怨霊魔法の使い手がいるということか)
とりあえず、孫蔵・弥左衛門・平八郎には俺が合図したら全速力で駆け出すよう伝えると、俺たちはそのまま街道を進む。すると、関所から兵が出てきて、俺たちの周囲を囲むのであった。その指揮官らしき者が俺たちの前に進み出て曰く、
「長野氏業一行だな。小田原城から逃げ出せたことには感心するが、その運もここまでのようだな。潔く死・・・」
「とりゃー生石灰、そしてウインドストーム」
またもや、周囲は阿鼻叫喚の地獄と化した。ちなみに、俺・孫蔵・弥左衛門・平八郎の周囲は風のバリアで囲ってあるので安全だよ。
「今だ、関所を突破するぞ」
生石灰で苦しむ兵士たちの横を全速力で通り過ぎる俺たちであったが、そんな俺たちの行く手を阻もうと、指揮官がせき込みながら立ち上がった。
「ゲホゲホ、ゴホゴホ(おのれ氏業、この卑怯者が。武士なら、正々堂々と勝負いたせ)」
「あれ、小幡信貞殿ではないですか。早く、きれいな水で目・鼻・喉を洗った方がいいですよ。ではまた」
「ゲホゲホ、ゴホゴホ(首を置いていけー)」
こんな感じで、俺たちは追っ手を振り切りながら、横浜城へと急ぐのであった。
◇藤の視点◇
氏業様からの念話を受け取った後、早速わたくしは白川五郎・正木時忠ら長野家の重臣たちと評定を始めるのでした。
北条家との戦いは、業政公が長尾景虎に加担した時点で不可避と皆も予測していたようで、すんなりと受け入れられるのでした。そして、明日は城壁の上に鉄砲を並べて、氏業様がお戻りになるまでなんとか時間稼ぎをすることと、氏政様の間者が妙な動きをしたら菖蒲配下の忍びが速やかに捕らえるという方針も、すぐに決まったのでした。
重臣たちは、『小田原から念話を飛ばせるとは、さすが神の加護を受けし者。というか、あの状況で処刑されずに小田原城を逃げ出せるとは、やはり殿は只人ではない』と氏業様のことを褒め称えるのでした。
明日は、わたくし一世一代の大勝負となることでしょう。この勝負に打ち勝った暁には、氏業様にたくさん褒めてもらうことにしましょう。
翌日の朝、日の出とともに横浜城は北条軍に包囲されました。
北条軍を率いるのは、わたくしの義兄(姉:比左の夫)にあたる氏照様です。
氏照様曰く、『氏業は小田原城で処刑された。横浜城に籠る将兵は、速やかに城を明け渡すように』と。
「義妹のそなたを無下にはしない」
そう言う氏照様に対し、わたくしは銃口を向けてこう言うのでした。
「氏業様の生死が確認できるまで、城を明け渡すことはいたしません」
すると、氏照様はのろしを上げて、何事かが起こるのを待っておりましたが、何も起きない様子を見て途端に慌てだすのでした。
「氏照様は、この者たちをお待ちですか?」
縛り上げられた間者たちが城門の上に現れると、氏照様はさらに狼狽して、周囲の者とあれこれ話し合った挙句、兵を残したまま自らは本陣に引くのでした。
(ふう、とりあえずこの場は乗り切りました。あとは、氏業様のお戻りを待つだけです。氏業様、早く帰ってきて、わたくしに無事な姿を見せて下さい)
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺たちが横浜近郊にたどり着いたのは、翌日の昼頃であった。
うーん、横浜城は既に包囲されているが、城壁の上で鉄砲隊が攻撃態勢を取っているということは、まだ城は落ちていないということだな。というか、藤殿も城壁の上にいるではないか。何て無茶をするお人だ。一刻も早く横浜城に入城しないと、藤殿が危ない。
「さて、この北条軍一万の中を突っ切らないと横浜城に入城できないのだが、どうしたものかな・・・」
俺はこう呟きながら、周囲の様子を窺う。
「我らが道を切り開くので、氏業様はその後を進んで下さい」
そう言いながら刀を抜く孫蔵たちに対し、俺は
「そんなことする必要ないよ。見るがよい、あの気の抜けた兵たちの顔を。おそらく、城主不在の城を拾いに行く程度にしか思っておらぬのでないかな。であれば、真っすぐ進んで、正面から入城すれば良いではないか」
と言って、そのまま進み始めるのであった。
慌てて付いてくる孫蔵たち。
「氏政様からの伝令である。道をあけよ」
俺は、そう言いながら真っすぐ北条軍の中を進む。
そして、横浜城の城門前に辿りつくと、
「長野右京進氏業である。門を開けよ」
と、声を上げた。城門はすぐさま開いた。
城内に入るや否や、藤殿が俺に抱き付いてきた。彼女は、泣きながら俺にこう言うのであった。
「氏業様、あなたのいない1か月間、すごく怖かった。怖かったのです、もう二度と会えないんじゃないかと思って。でも、こうして無事に会えて、本当に良かったのです」
なおも涙を流す藤殿に対し、俺は
「心配をかけて本当にごめん」
と謝るのであった。
藤殿が泣き止むのを待ってから、俺は後ろに控える菖蒲・家臣並びに兵士たちの方を向き、自身の考えを皆に伝えるため、声を上げた。
「皆も聞いている通り、氏政は不当な手段で氏康様から北条家当主の座を奪い、それを自らのものとした。すなわち、氏政は簒奪者であり、氏政こそが悪である。簒奪者に対して兵を挙げる我らは、正義の軍である。ものども、簒奪者氏政に、正義の鉄槌を下してやろうではないか」
その俺の発言に対し、皆は
「「「おおーっ。我ら、どこまでも殿についていきますぞ」」」
と応えるのであった。
◇大石氏照視点◇
「やられた」
兄上の伝令と称する三人の供を連れた身分の高そうな若い武士が横浜城に入城したとの報告を受けた時、瞬時に理解した。そいつらが、氏業一行だということを。
「馬鹿者。その若い武士が長野氏業本人だ。くそっ、兄上も小幡信貞も何をしている」
その時、横浜城から歓声が上がった。
すぐさま家臣たちを引き連れて城門に向かうと、その城壁の上にいたのはまさしく長野氏業であった。
「この謀反人め。ちょろちょろと逃げ回って恥ずかしくないのか。武士の誇りを少しでも持っているなら、城を出て私と一騎打ちをするがよい」
「最初に氏康様と私に刃を向けたのは、そちらではありませんか。私は、氏政の下で天下を取っても良いと思っていたのですぞ。そんなあなた方には、これを馳走いたしましょう。ものども、放てーっ」
ダダダダーン
周囲の兵たちが銃弾に倒れていく。
「おのれ、氏業め。一気に横浜城を攻め落とすのだ!!」
こうして、横浜城を巡る戦いの幕が切って落とされたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第13章 完




