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永禄の大飢饉(一年目)

永禄元年(1558年)10月上旬 武蔵国横浜城


 蒸気機関の模型や反射炉を造ったり、怨霊魔法の訓練(風の操作をしていると、鎌鼬のような真空波も出せるようになったので、俺はウィンドカッターと名付けたよ)などをして過ごしていると、いつの間にか季節は秋になっていた。楽しい収穫の季節である。

 今年は空梅雨で雨が少なかったせいか、米の作柄はやや不良といったところか。まあ、このまま無事収穫できれば、飢饉も起こらず何も問題ないのだが、史実だとこの後何度も暴風雨に襲われるらしいんだよね。そんなわけで、怨霊気象衛星で日本の南方海上を注意して見ていたのだが、マリアナ諸島の東海上で台風が発生しており、それ以外にも台風に成長しうる積乱雲が次々と生まれている様子が見て取れた。

 まずいな。太平洋高気圧は日本の東南東に位置しているから、高気圧の西縁を台風が進んだとすれば、日本に直撃してしまうではないか。今のペースで進めば、日本上陸は1週間後といったところか。それまでに何とかせねば。

 ということで、家臣たちには稲の早刈りに備えるよう言い残すと、俺は小田原の氏康の下へと急ぐのであった。


 それにしても、『来る度に小田原城の城壁が立派になっていくな』などと思いつつ、俺は 緊急事態ということで、無理を言って氏康に面会の時間を取ってもらい、1週間後に野分(台風)が日本を直撃して大雨と土砂災害が発生する危険性を訴えたのだが、氏康はそのことに懐疑的であった。

「本当に大雨が降って、洪水や地滑りが発生するのだろうか。もし、おぬしの言う通り早刈りをして大雨が降らなかったら、米の品質が低下してわしらは大損害ではないか」

 そう渋る氏康に対し、俺は

「もし大雨や土砂災害が発生しなければ、早刈りした稲を私が通常の二倍の価格で買い取りましょう」

 と言って早刈りを促すと、氏康は『おぬしにそこまで負担させるわけにはいかん』と言う一方、黙って話を聞いていた氏政は、

「氏業がそこまで言うのなら、早刈りしてみてはいかがでしょうか。別に品質が多少落ちたところで食べられぬわけではないし、本当に大洪水が発生して稲が流されたら、そちらの方が大損害ですぞ」

 と言って、俺の案に賛成するのであった。

(なんだこいつ。普段は俺の案に否定的なくせに、今回に限ってはやけに好意的だな)

 俺は氏政の態度を不審に思ったものの、俺にとっても都合が良いので、氏政の猛烈な後押しを得て稲の早刈りは実行されることになったのであった。

 俺は、氏康や氏政に刈り取った稲を高台で保管するよう指示をしてから、横浜に帰ってすぐさま稲刈りを始めるのであった。


 俺が氏康に稲の早刈りを提案してから一週間後、台風は駿河・遠江(静岡県)付近に上陸した。

 台風は、勢力をさほど落とすことなく日本列島を縦断し、静岡・関東甲信越・東北地方に甚大な被害をもたらした。各地で洪水・土砂災害が相次ぎ、東日本の農作物は潰滅したかと思われたが、唯一北条領では稲の早刈りが徹底されたため、被害は最小限に抑えられたのであった。

 そして、稲の早刈りを主張し実行した長野氏業は、神の加護を受けし者として、益々崇拝されるようになるのであった。


◇北条氏政視点◇

 長野氏業が稲の早刈りをすべしと言い出した時、私は奴の評判を落とす好機だと思った。

 大雨が降らなければ、奴に大量の稲を2倍の価格で売り付けて破産させれば良いし、雨が降ったところで大した被害が出なければ、大騒ぎをして我々を振り回した罪を追求すれば良いと思っていた。

 しかし、東日本各地で洪水・土砂災害が発生し、東日本の農作物は潰滅状態となってしまった。稲の早刈りを強いたのは氏業と大々的に宣伝したことが、逆効果になってしまったではないか。

 今や、北条家で最も頼りになるのは長野氏業というのが、皆の一致する意見である。くそっ、奴に何か弱点は無いのか?

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


永禄元年まとめ


永禄元年(1558年)12月下旬 武蔵国横浜城


 こうして、俺は永禄元年の飢饉を最小限の被害で乗り切ったわけだが、その後は飢饉の国に米を高値で売って儲けたり、反射炉で鉄砲を作ったりして過ごしていると、ついに年末を迎えることとなった。

 そこで、この辺りで永禄元年の出来事をまとめてみたいと思う。

 

 北条家については、関東平定目前といったところかな。実際、関東で北条家と敵対しているのは里見家だけだからね。もし、俺に里見攻めを任せてくれるのであれば、青銅砲を提供しても良いと思っていただけに、ちょっと残念かな。

 まあ、永禄元年に起きた出来事の中で一番重要なことといえば、やはり最小限の被害で飢饉を乗り切ったことであろうか。大量の食糧を持つ北条家に対し、関東の土豪・国人衆は今まで以上に従順となり、友好的な大名も増えていくのであった。


 畿内では、表面上は将軍と三好長慶が仲良く連立政権を組んでいるように見えた。しかし、将軍は地方大名の争いに介入して自らの権威を高めようとする一方、三好は将軍が好き勝手に動くのを止めさせるべく将軍の政治活動に制限をかけたため、徐々に両者の関係は悪化するのであった。


 一方、五月に上洛を果たした越後の長尾景虎は、事実上の関東管領として関東の国人衆に対する調略を始めたのであったが、飢饉がすべてをひっくり返した。関東では、食糧目当てに北条家に従う土豪・国人が続出する一方、越後は飢饉による食糧不足で外征どころではなくなってしまったのである。

 もし、ここで景虎が史実通り食糧を奪うための関東遠征を繰り返したとしたら、景虎の神の力は失われて戦が強いだけの凡将と化し、上野国は泥沼の戦いで荒廃することになるであろう。さて、この後景虎はいったいどう動くのであろうか・・・。

 

 続いて、今川家を見てみよう。十月の台風は今川領を直撃したため、今川家の食糧事情は東日本でも最悪な状態となっていた。もちろん、北条家からも支援米を送っていたのだが、それだけでは到底足りず、三河から食料を強奪したため、三河における今川家への不平・不満は爆発寸前となっていた。

 そこで、新たな食糧の強奪先として尾張を定め、速やかに尾張へ攻め込めるよう外征の準備を急ぐのであった。


 最後に織田家であるが、東は今川家、北は斎藤家、西は北畠家と、周囲全てが敵という四面楚歌の状態であった。もちろん、信長自身は武田晴信との同盟を模索したり、将軍の権威を用いた周辺諸国との和議を画策するなど、現状を打破するために色々と動いていたのだが、対今川家に関しては義元に尾張の国人衆を切り崩されるなど、全てにおいて後手に回っていた。

 そこで、今川家に寝返った武将に対しては、欺瞞工作で今川家に始末させるなどの対策を講じたのだが、彼らは本来信長の味方になるはずの武将たちである。こうして、信長は今川義元の手により次々と味方を失い、ますます窮地へと追い込まれていくのであった。


◇小幡信貞視点◇

 尾張・三河の調査も一通り終わったため、報告及び御屋形様の指示を仰ぐべく、オレは甲斐の躑躅が崎館へ向かう。

 今川家に対する三河の民の我慢は限界と御屋形様に報告すると、御屋形様は三河の一向門徒を通じて民に食糧支援をするよう、オレに命じるのであった。

 なにやら、一向門徒に炊き出しをさせて、三河の民を一向宗に改宗させるのが目的らしいが、御屋形様が言うには、民が一向門徒となれば、民と大名の間を取り持つ土豪・国人衆も一向宗に改宗せざるを得なくなるとのこと。この辺りを説明し出すと長くなるが、オレ自身の理解を深めるためにも復習することとしよう。

 一向宗では、教義について議論し、信心を深めることを目的としたコウという集会が頻繁に行われていたのだが、なぜか講の目的が変わって、参加者が政治への不平・不満をぶちまける場になってしまったのだそうだ。この講は、一向門徒であればだれでも参加できるので、この場で様々な村の税率やら労役の頻度について比較できるようになってしまったらしい。すると、困るのは民とジカに接する土豪・国人衆である。なにしろ、『うちの村よりあっちの村の税率は低いのは何故だ』とか、『あの領主はあまり労役に人を駆り出さないのに、なぜうちは労役続きなのだ』とか、民から直接突き上げを食らう訳だからな。そうしていると、土豪・国人衆は気付くわけだよ、我らも一向門徒になれば民の仲間になるではないか、ということにね。そんなわけで、民が一向門徒になれば、土豪・国人衆も一向宗に改宗せざるを得なくなるのである。すると、民・土豪・国人衆は大名よりも本願寺を重視するようになり、大名がそれに異議を唱えた瞬間に一向一揆が発生、ということになるわけだな。

(参考:逆説の日本史8中世混沌編 井沢元彦著 小学館文庫)

 まあ、武田家が上洛して天下取りを目指す場合、今川家は邪魔な存在でしかないからな。

 オレとしては、怨霊よりも一向宗の方が恐ろしく思えてならないのだが、本願寺顕如と御屋形様は義兄弟でもあるし、三河を本願寺の持ちたる国とした方が、武田家にとって都合が良いのであろう。それ以上のことは、オレにはわからん。

 あと、御屋形様はオレに対し、己の判断で織田家に便宜を図るよう命令を下した。

 これはつまり、武田家と今川家は同盟関係にあるから、表向き御屋形様は今川家の味方でいなければならないが、オレが秘密裏に織田家に味方して、信長に今川義元を討たせろと、そういうことだな。せっかくだから、今川義元戦死後に松平元康を独立させて、三河を武田家の同盟国とするのも良いかな。早速三河に戻り、策を練るとするか。

 そうそう、怨霊の力による雷撃についても、御屋形様に披露しておいたぞ。罪人を用いて威力を試したのだが、『いざという時はこれで現状を打破せよ』と御屋形様はオレに命じるのであった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


◇長野業政視点◇

 ここは上野国箕輪城。

 御前曲輪の大広間には、西上州の土豪・国人衆が集まっていた。

 此度の会合の目的は、我々の今後の方針を決めることである。

 わしは、長尾景虎からの密書を皆の前に出すと、話を始めるのであった。

「皆のところにも届いていると思うが、これによると、長尾景虎は近いうちに越山し、北条家に戦いを挑むらしい。その際、我々に味方せよということなのだが、今や北条家は関東を制する勢いである。いくら景虎が関東管領後継といえど、今のままでは北条家に勝利するのは難しいと思う。ただ、景虎が関東に侵攻すれば、この西上州が戦いの最前線となるため、北条家の援軍が到着する前に我らは全滅ということもありうるかもしれんな。そこでだ、このような策はどうだろうか」

 そう言うと、わしは一つの策を皆に提案したのであった。

「我らとしては、そうしていただけると助かりますが、長野家の負担が大きすぎるのではないでしょうか。しかも、この策を実行すれば、麒麟児と名高いご子息の命は奪われてしまいますぞ」

 そういう皆に対し、わしは

「だが、この策が成功すれば、長野家は上州の覇者となり、おぬしたちは我が家臣となるであろう。それにな、氏業は九歳の時、既にこのことを予想しておったぞ。あれから、七年近くの時が経っている。もし、やつが麒麟だというなら、この事態に備えておらぬはずあるまい」

 そう答えると、土豪・国人衆は、

「そうおっしゃられるのであれば、我らは業政殿に従いましょう」

 と言い、会合はお開きとなった。

 それにしても、長尾景虎の越山か。氏業は以前(第七章参照)『父上は己の信じる道をお進みください。私への遠慮は無用にございます』と言っておったから、わしも好きに動くことにするぞ。氏業よ、見事この父の試練を乗り越え、皆に己の力を見せつけてやるがよい。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


第11章 完

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