日ノ本を平和な強い国にする方法
また別のある日。
今日は、乙千代丸と孫次郎を孤児院に案内したよ。
二人は、孤児たちが普通に書を読み、文章を書いていることに驚きを隠せない様子であった。そこで、優秀な者は将校や官僚として召し抱える予定であることを伝えると、『そうであれば、読み書き計算ぐらいできないと使い物にならぬであろう』と、二人は納得するのであった。
次いで、図書室や流民どもを預けている寺社を見学したのだが、流民に対する生活困窮者自立支援事業については、『さすがに甘すぎではないか』というのが二人の評価であった。
「物の役に立たぬ怠け者など、放っておけば良いではないか」
そう言う二人に対して、俺は『我が道は忠恕(真心と思いやり)のみ』と回答した。そう、社会からも誰からも必要とされていない感覚って、とにかく辛くてキツイものなのです。就職活動が就職氷河期と重なった前世の俺は、ありとあらゆる会社の就職試験に落ちまくったけど、何が辛いかっていうと筆記試験は通っても面接試験で落とされることなんだよね。
この、学力はあるけど人格に問題ありと評価された感じが、とにかく辛くてキツくて死にたくなるものなのですよ。
学生時代は散々勉強させておいて、いざ就職する段階になって『お前はいらない』というのは、本当に勘弁して欲しいと思う。そんなわけで、俺はどんな怠け者であっても、一つぐらいは良い所を見つけて、横浜で生活していけるよう面倒を見ることを、心に誓うのであった。
そうした俺のやり方に対し、孫次郎は『貴殿は、この乱世を聖人の道で突き進むというのか』と言って正気ではないという顔をするが、乙千代丸の感想は『徳を以って怠け者に報いることで世がどう変わるのか、行く末を知りたく思います』というものであった。
続けて、乙千代丸は俺に人道について問いかけてきたので、俺は乙千代丸と孫次郎に人道と天道について説明することにしたのであった。
「人道の前に、まず天道について話しましょう。私の言う天道は自然界の法則や生き物の本質のことであって、『朝に日は昇り、夜に日は没する』『水は高きから低きに流れる』『強い者が弱い者に勝つ』『寝たければ寝、遊びたければ遊び、食いたければ食い、(酒を)飲みたければ飲む』といったものです。一方、私の言う人道は、世間でよく言われる『恵まれない人々を救う』という類いのものではなく、人間社会に良い影響をもたらすために人々が活動することを指します。ただし、その活動には制限がありまして、人道はあくまでも天道に従うことが大前提となり、その中で人の身に便利なものを善とし、不要なものを悪とすることになります。分かりやすく言うと、一生懸命農作業に励むのは人道に従うということになりますが、日光(天道)は農作物も雑草も平等に育ててしまうので、我々は天道に反して雑草を抜かねばならない、ということになります(第一章参照)。ただ、人道とは作為の道であって自然の道ではないため、ともすれば破れようとするわけです。人間社会を天道の自然にまかせれば、田畑は荒れ地となり、家は崩れ、人間は情欲(例:土地・金・女を他者から奪う、育てる能力がないのに子供をじゃんじゃん作る、など)のままに争い続けることになるでしょうね。そう、この戦国の世のように」
ふむ、乙千代丸と孫次郎は雷に打たれたかのような顔をしているね。やはり、転生ものといえば未来の知識で無双するのが醍醐味だよね。
待つこと数秒。我に返った乙千代丸は、こう俺に問いかけてきた。
「私は、ただひたすら北条家の利益のために行動し、敵は殺せばよいと考えておりましたが、氏業殿に言わせればそれは滅亡への道だという。それでは、我々はどう生きれば良いのでしょうか?」
と質問してきたので、俺は次のように答えるのであった。
「天道すなわち天が人に何を期待しているのかと問われれば、それは環境を一定に保つことだと思います」
そう、植物が繫栄すればするほど、大気中の酸素濃度が増して二酸化炭素濃度が減少するので、山火事(林野火災)が増えたり光合成をしにくくなったりして、植物が育ちにくくなるんだよね。そして、植物がもたもたしているうちに、酸素呼吸で大きなエネルギーを利用できるように進化した動物が、植物に代わって繁栄してしまったわけだ。ここで、動物は植物が増えすぎぬよう、酸素や二酸化炭素濃度を適切に保つよう行動していれば何も問題はなかったのだが、人間は社会を形成してしまった。そして、人口は地球環境が支えられる限界をあっという間に超えてしまったため、人間は社会を維持するために、まつりごとを立てたり、教を立てたり、刑罰法制を定めたり、礼法を設けたりやかましくうるさく世話を焼く(すなわち人道に従って生きる)羽目になったわけだね。えー、乙千代丸との会談に戻るよ。
「しかし、人道を基準に考えるのであれば、この時代を生きる人々が幸せに暮らす方法を探し、それを実現するために生きれば良いと思います。すなわち、世のため人のため、時代の要請に応えるために生きれば良いということになりますが、この時代の要請というのが曲者であって、時代によって求められるものが変わるわけです。つまり、同じ事を行っても、ある時代では世のため人のためになる行為になり、別な時代ではそうはならないということもあるのです。そして、この戦国の世における時代の要請は、『日ノ本に平和をもたらすこと』と『日ノ本を強い国にすること』だと私は考えます。お二人はあまり深刻に考えていないと思いますが、スペイン・ポルトガル等の南蛮諸国は既に日ノ本に到達しています。一つ間違えると、日ノ本は南蛮諸国の植民地になってしまうのです。南蛮諸国の野望を阻止するためには、一刻も早く日ノ本を一つにまとめて、強い国にしなければならないのです」
乙千代丸と孫次郎は、『南蛮諸国云々は良くわからぬが、日ノ本を平和な強い国にすることについては大賛成である。しかし、どうやってそれを成し遂げるのか。周辺諸国を切り取って北条家の身代を大きくした後に上洛し、管領とか副将軍とかになって北条政権を樹立するわけではあるまい』と言うので、俺は以下の通りに答えたのであった。
「まずは、目指すべき国家像を世間に宣伝するのが良いと思います。それは、原料を輸入し、それを製品に加工して付加価値を付けたうえで海外に輸出する『加工貿易国家』です。まあ、関東平定後に上洛するのはお二方の述べた通りですが、北条政権樹立後に大名同士の私闘を禁じる『惣無事令』を出すのです。惣無事令に違反した大名を朝敵として成敗すれば、数年で日ノ本を統一することが出来るでしょう。その後は、農業・工業・商業を盛んにして、私の作った南蛮船で海外に進出し、大々的に商品を売りさばけばよいのです。富は世界中から集まり、日ノ本は列強として世界で重きを置く国となるでしょう」
乙千代丸は驚き、声も出ないありさまである。
一方、孫次郎は『まことに夢のような話ではあるが、もしかしたら我らにもこのような世をもたらすことができるやもしれぬ、そう思わせるだけの説得力を感じ取ることが出来た。氏業殿には感謝いたす』と俺に礼を述べたのであった。
この後、二人は鍛冶職人や商人の様子を見学してから、小田原へと帰っていった。
さて、乙千代丸と孫次郎は小田原に帰り、時忠たちも伊豆鳥島へ出発したわけだし、俺はこの後どうしようかな。商人から情報を集めて、瓦版でも作ろうかな。瓦版には、正条植えや塩水選などの記事を掲載して、農業革命するのも良いかな。
◇北条氏政視点◇
乙千代丸と孫次郎を氏業の下に送り込むことで、コンクリートの製造方法が明らかになったことについては良しとしよう。しかし、誤算であったのは、この二人が氏業に心酔してしまったことだ。
この二人は、口を開けば『日ノ本を加工貿易国家にしなければなりません』『早く関東を平定して上洛し、惣無事令を出しましょう』『日ノ本を平和で強い国にするのです』なんてことをほざいている。しかも、二人に同調する輩は現在進行形で増え続けており、とうとう父上の肝いりで氏業の政策の実現可能性を検討することまで決まってしまった。
これは、私にとって非常にまずい事態と言えた。
なぜなら、このまま氏業の意見が北条家内部で幅を利かすことになれば、いずれ北条家は氏業に乗っ取られてしまうことになるのではないか。
ただでさえ、奴の能力は私などとは比べ物にならぬほど高いからな。それに、たとえ奴にその気はなくとも、もはや周囲は放っておくまい。奴は北条家の重臣となり、いずれ主家をしのぐ権勢を誇るようになる。そんな未来が、現実になろうとしている。
こうなれば、弟の氏照や松田憲秀らと協力して、早急に氏業を排除する策を練らんといかんな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇




