合戦の影響
北条家の大勝利は、多方面に多大な影響を与えた。
まず里見家であるが、江戸湾及び三浦水道の制海権を失った結果、安房本国の防衛に専念せざるを得なくなり、上総国は北条家の手に落ちることとなった。追い詰められた里見義堯が長尾景虎に支援を要請したため、景虎は北条家の討伐を決意し、関東管領就任の許可を得るべく朝廷及び将軍家への働きかけを開始したのであった。現在(1557年)、将軍足利義輝は朽木へ追放されており、京を支配していたのは三好長慶であったが、長慶からすると景虎の目は畿内でなく関東に向けさせておきたいというのが本音であったため、三好家も将軍家及び細川家・六角家との和議に傾き、朝廷に仲介を依頼するのであった。
次に影響を受けたのは今川家である。北条家が関東を制覇すれば、源頼朝公と同様に東海道を西に進んで上洛するは必至である。後継者の氏真は頼りない所があるため、義元は自身が健在なうちに今川家をより盤石なものとすべく、尾張侵攻と上洛を急がせるのであった。
最後に武田家であるが、長尾景虎が信濃に目を向けられないのを良いことに松代に海津城を築き、奥信濃の支配をより盤石なものとした。そして、その侵略の手は、三河・尾張にまで伸びようとしていた。
◇小幡信貞視点◇
この秋、長野氏業が三浦沖で里見水軍を打ち破ったとの情報が、オレの下に流れてきた。
なにやら、南蛮船を用いた見たことも聞いたこともない新戦法で敵を壊滅させたそうだが、焦りと嫉妬で気が狂いそうだ。
そんな折、密命があると言って御屋形様がオレを呼び出した。
すぐさま躑躅が崎館に参上すると、御屋形様は一通の書状を渡して、オレにこう言った。
「織田信長からの書状だ。信長は、よほど今川義元殿の攻勢に手を焼いているようだな。今川と同盟関係にあるわしに、誼を通じたいと言ってきたぞ。しかも、使者の梁田政綱は、ひそかに織田と武田が同盟を組んで、今川を挟み撃ちにするのはどうかと提案してきたわ」
「では、今川家を騙し討ちするということで良いのでしょうか」
こうオレが言うと、
「そう急くでない。おぬしは、のらりくらりとしたどうにでも解釈できる返事を持って梁田政綱の後を追い、信長に返事を渡したら、配下の山賊と共にしばらく尾張・三河を廻ってきて貰いたい。特に、三河から尾張に攻め込む際に使えそうな道は、念入りに調べておくのだぞ。あとは、長野氏業が顔回と評した松平元康の様子も見てくるがよい。おぬしの働き次第で、武田家が甲信二か国の大名に終わるか、天下に覇を唱える大大名になるかが決まるのだ。励めよ」
「ははっ。承知つかまつりました。・・・ところで、此度の三浦沖の戦いにて、長野氏業が風を操り海戦に勝利したと聞きました。私にも、天候を操ることが出来ましょうか?」
「そうだな、やはり怨霊といえば雷ではないか。菅公(菅原道真)の例もあるしな。心の中で雷を思い描き、それを解き放つがよいぞ。うまくすれば、遠距離から敵を殺すこともできるであろう」
「上野国出身の私にとって、雷は身近なものにございます。必ずや、一撃必殺の技を習得してご覧に入れましょう」
ふん、怨霊の力の使いすぎで、いくら寿命が減ろうと知ったことか。この戦国の世に男子として生を受けたならば、必ずや立身出世し、後世に名を残して見せよう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
弘治三年(1557年)10月中旬 相模国小田原城
戦の後始末も済んだので、俺は戦勝報告と南蛮船五隻を引き渡すため、海路小田原城へと向かった。
家臣たちと共に小田原城に登城すると、すぐさま氏康の下へと案内された。
「おう、ようやく来たな。待ちわびたぞ」
氏康は随分とご機嫌である。
「長野右京進氏業、三浦三崎の戦いにおける戦勝報告に参りました」
「おぬしの戦いぶりは、既に聞き及んでおるぞ。敵旗艦への衝角攻撃、実に見事であった」
氏康はこう俺を褒めると、今回もみかじりの戦いの時と同様に、恩賞として三百貫を加増するのであった。
氏政は、『氏業への依怙贔屓が過ぎるのではないか』と難色を示すが、氏康は『功を立てた者に褒美をやらねば、誰も北条家のために働かなくなる』と言って、俺への加増を押し切るのであった。えっ、俺としては、貰えるものは何でも貰っておくよ。
ついでに、里見義弘の扱いについて確認すると、氏康は『おぬしが直々に捕らえた敵の総大将だからな。義弘の今後が気になるのも当然であろう』と言い、義弘の処遇について俺に話し始めるのであった。
「まず初めに言っておくが、いきなり義弘の首を取ったりはせぬから、その点は安心するがよい。義弘の扱いは、里見義堯の出方次第ということになるであろうが、おそらく義堯は義弘を廃嫡して義弘の弟を後継に立てるであろうな。であれば、北条家の紐付きで義弘を安房に戻して、里見家に後継者争いを起こすのも良いかもしれんな」
と言う氏康に対し、俺は
「私も同じ考えにございます。あと、今の世は今日の敵が明日の味方になることも普通にあり得ることなので、捕虜であっても丁重に扱うのがよろしいかと思います」
と、答えるのであった。
だが、ちょっと待てよ。史実の里見家は、義弘の時代に全盛期を迎えているんだよね。そうであれば、義弘を殺しておいた方が北条家のためになるのか?しかし、本来いるべき人間を殺した結果、里見家に義弘以上の人材が出現するなんてことになると困るな。氏康に、どう返事するのか正解だったのだろうか?うーん、よくわからんな・・・。
「他に望むものはないか。南蛮船も五隻引き渡してくれたことだし、おぬしの希望は出来る限り配慮しよう」
こう氏康が言うので、折角だから伊豆諸島の探索を願い出ることにした。
「これらの島々は海産物が豊富なので、干物を作ると良いでしょう。伊豆大島は、畜産に向いていると思います。そして、この伊豆鳥島にはアホウドリという大きな鳥が生息しており、人間が近づいても逃げないので簡単に捕まえることが出来ますが、乱獲すると絶滅する恐れがあります。この鳥を資源として活用する場合は、捕りすぎに注意する必要があります」
地図で場所を示しながら説明すると、氏康はアホウドリに興味を持ったらしく、『北条領の近くに、そのような面白き生き物がおるとはな。行って見てみたいのう』なんてことを言っていた。氏政には、『当主自ら南の島に遊びに行くなど、許されぬことですぞ』と肘でつつかれていたけどね。
せっかくなので、アホウドリの羽根を用いて羽毛布団を作るのはどうかと氏康に提案すると、『軽くて暖かい布団か。使い心地を確かめてやるから、数枚用意してわしのところに持ってくるがよい』ということになり、俺は伊豆鳥島に行って羽毛布団を作る羽目になってしまった。未来の感覚だと、アホウドリの乱獲はあまり良い気分はしないが、今は戦国の世である。鳥を殺すことに躊躇うようではどうしようもないし、使える資源は全て有効活用しないといけないよね。一応、動植物を絶滅しない程度に捕獲・収穫して、人間社会のために活用するというのは、人道に従うということにもなるよ。
とりあえず、伊豆諸島の探索は無事許可が下り氏康との用事は済んだので、俺はそのまま退席しようとするが、そんな俺を氏政が呼び止め、手招きをした。
何事かと思い、氏政の後をついていくと、そこには北条乙千代丸(氏邦)と松田孫次郎(康郷)が待ち構えていた。氏政によると、この両者は横浜城で製造されている様々な製品や救貧政策に興味を持っているので、色々と教えてやってくれ、だそうだ。
乙千代丸と孫次郎も、『よろしくお願いいたします』と俺に頭を下げた。
まあ、色々と教える事に吝かではないが、『俺を殺す宣言』した氏政の言うことだからな。『何か裏があるかもしれない』とは思うが、氏政に逆らうのも得策ではないので、二人を連れて横浜城へ戻ることにしたのであった。
◇北条氏政視点◇
長野氏業は、4月に三百貫加増されたと思ったら、10月にまたも三百貫の加増か。いくら功績があるとはいえ、氏業への依怙贔屓は目に余る。氏業の人気は随分と高まっているから、このまま放っておけば、家臣たちが氏業派と反氏業派に分かれて抗争を始めるやもしれぬ。
だが、奴の知識が役立つのも事実。ここは、氏業と仲の良い乙千代丸と孫次郎を送り込んで、奴の秘密を探らせるのが一番だな。奴の下に間者を送り込んでも、なぜか全員追い出されてしまうからな。よほど、横浜城の忍びの腕が良いということなのか?まあ、それはそれとして、奴から情報を取れるだけ取ったら、わざと長尾景虎に関東侵攻をさせることにしよう。長野家は山内上杉家累代の家臣であるから、長野業政は立場上景虎に味方せずにはいられぬであろうな。そうすれば、堂々と氏業の首を取れるというものだ。
そう、北条家が一つにまとまるためには、氏業の首が必要不可欠なのである。このことについてきちんと説明すれば、きっと父上も分かってくれるはずだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
第10章 完




