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第3章 北条氏康あらわる

長野松代丸→長野氏業:本作品の主人公。

北条氏康:後北条氏三代目当主。

北条藤菊丸→大石氏照:北条氏康の三男。

藤:長野氏業の婚約者。大石定久の娘。

長野業政:上野国箕輪城主。長野松代丸の父。

藤井孫蔵忠安:松代丸の側近その1。石鹸担当。

青柳弥左衛門忠勝:松代丸の側近その2。ガラス担当。

牛尾平八郎忠教:松代丸の側近その3。硝石担当。

堀口新兵衛:長野家の御用商人。

成重:箕輪城下の鍛冶職人。

第3章 北条氏康あらわる

 

弘治二年(1556年)3月


 俺が長野業盛に転生して、四年が経過した。

 年齢も、数え年で十三歳になった。

 この四年間は、ひたすら領地を豊かにし、軍備を整えることを考えて行動した。

石鹸・ガラス製品については改良を重ね、かなり品質の良いものが作れるようになっていた。檜扇印(長野家家紋)の木箱に入れた石鹸・ガラス製品は、高級ブランドとして京の都でも高値で取引されているそうだ。あと、石鹸作りに使用する高濃度のエタノールについては、消毒・殺菌に使用することを考えていたが、なぜか蒸留酒として人気になってしまった。

 まあ、俺は酒なんぞに興味ないけどね。

 商業の発展に伴い、箕輪城を訪れる者も増えた。

 今では関東だけでなく、東北地方や上方の商人も集まるようになった。

 金属や珪砂など、珍しいものも入手しやすくなり、まことに結構なことである。

 急増した来訪者に対応するため、招き猫温泉は源泉の新規掘削やら建物の増築やらを繰り返している。

 簡単な小屋が御殿に変わり、旅籠も兼ねるようになっていた。

 もちろん、建物はコンクリート製であるが、引張力を高めるため、コンクリートの芯に竹を配した竹筋コンクリートにしてみた。工期も短くなるし、頑丈な建物になるから、いいことずくめではないかな。

 そして、父業政からは新たな金儲けのネタはないかとたびたび意見を求められていたので、農業でもできることから始めることにした。

 まずは、風穴を利用した蚕種の貯蔵である。幸いなことに、箕輪城から榛名山に向かう途中に黒岩風穴があるので、ここに小屋を建てて、蚕種を冷蔵保存するのはどうかと提案した。

 通常、蚕は年1回しか飼育できないが、風穴を利用して孵化時期を遅らせることで、年4回飼育できるようになる。つまり、生糸の生産量も4倍に増えるということである。農家は仕事が増えて大変かもしれないが、現金収入も増えるし、人手が足りなければ人を雇えばいいんじゃないかな。実際、この時代は人口が増加していて、人手も余っていたようだし。

 あと、『清温育(暖房と換気を組み合わせて、蚕にとって最も良い生育環境を作り出す飼育方法)』も普及させないといかんな。

 次に、椎茸が高値で売れると聞いたので、椎茸栽培にも挑戦してみた。実際、未来の箕郷町でも椎茸栽培は盛んだからね。とりあえず、クヌギ・コナラ・ミズナラを1メートル程度に切断したもの(ほだ木)に切れ込みを入れ、そこに椎茸の胞子を水で溶いたものを塗り、森林内に並べておくと、2~3年で収穫できるようになった。今では大量生産も可能となり、長野家の貴重な収入源の一つとなっている。

 あと、箕郷町の農産物として欠かせないものといえば、やはり梅である。未来の高崎市は、東日本一の梅の産地であるし、長野業盛の辞世の句にも梅は出てくるからね。ただ、俺は氏康の料理人にも謙信の料理人にもなるつもりはない。梅を使った未来の料理で戦国時代の人を驚かせるのは、別の転生者やタイムトラベラーに任せたいが、俺は今まさに箕輪城下の町おこしをしているので、梅から逃げるわけにはいかない。とりあえず、カリカリ梅のレシピを箕輪城の料理人に教えて、しばらく様子を見ることにした。小梅・塩・紫蘇・酒・卵の殻・冷蔵庫(風穴)があれば作れるので、料理人が優秀であれば、数年後にはカリカリ梅を使った様々な料理が箕輪城下で提供されるようになるのではないかな。


 一方、軍事面では古土法や培養法だけでなく、硝石丘法による硝石生産も始めてみた。

 一応軍事機密なので、生産拠点は山奥がいいよね、加賀藩の五箇山みたいに。

 ということで、箕輪城から榛名山に向かう途中にある善地や松之沢地区で、秘密裏に硝石を製造する運びとなった。

 ちなみに、『硝石丘法』とは風通しの良い小屋の内部に野草を混ぜた黒土を積み上げ、上から糞尿を注いで硝石を析出させるというやり方であるが、2ヶ月ごとに鍬で切り返して風にさらすと、4~5年後から毎年硝石が取れるようになる。硝石丘法の生産が軌道に乗れば、黒色火薬の生産量は格段に増すのではないかな。

 そして、黒色火薬とくれば、次は火縄銃である。

 堺や国友で調達することも考えたが、遠方から高価なものを運んでくるというのは、できれば避けたい。治安に問題があるからね。

 作り方や設計図は『怨霊魔法リコール』でバッチリわかるのだから、できれば箕輪城下で火縄銃を生産し、保守点検もやってみたい。

 鉄は、武器の製造に向いているという中小坂鉄山(群馬県下仁田町)の磁鉄鉱を使うとして、やはり一番の問題は、箕輪城下の鍛冶職人が本当に火縄銃を作れるのか、であろうか。

 ここであれこれ悩んでいてもしょうがないので、鍛冶工房を訪問し、毎度おなじみの鍛冶職人成重に火縄銃が作れないか尋ねてみた。

 成重が言うには、ここまで詳細な作り方がわかるのであれば何とかなると思うが、やはり実物を見たいとのこと。

 うーん、堀口新兵衛に頼めば、堺や国友から取り寄せることが可能であろうか。そもそも、火縄銃の値段は幾らなのだろうか。

 いずれにせよ父に相談しないといけないな、などと考えていると、小田原商人の宇野家治が火縄銃2丁を売ってくれることになった。

 何か都合良すぎる気もするが、念願の火縄銃ゲット。

 早速、成重に渡して火縄銃作りを始めてもらうことにした。

 早く火縄銃が完成しないかな。

 とりあえず火縄銃はそんな感じで、それ以外にもクロスボウ投石機マンゴネルといった攻城兵器も開発してみた。

 これは、元々古代中国やローマ帝国などで使われていたものなので、比較的簡単に作ることができた。もちろん、火縄銃や大砲が普及すれば時代遅れの技術になるであろうが、1561年の小田原城包囲戦では役に立つのではないかな。とにかく、『巨大な火矢』とか『導火線で爆発させる火薬と鉄片を詰めた陶器』とか『布で封をした臭水入りの瓶(火炎瓶)』を、敵の射程外から城内に撃ち込むことができれば良いのである。この秘密兵器で、小田原城を火の海にしてくれよう。

 そういえば、亜炭を炭窯で蒸し焼きにしてコークスを作る際に、副産物で軽油が得られることを思い出した。コークスでガラス製品を作って金儲けをしつつ、副産物の軽油で火炎瓶(簡易焼夷弾)を作るというのは、まさに一石二鳥と言うべきではないかな。

 その他、怨霊気象衛星については、日々の天気予報に有効活用させてもらった。

 辻や広場の高札に、今後1週間の天気を掲載してみたら、的中率がかなり高かったらしく、俺はいつのまにか『上州の孔明』や『麒麟児』などという二つ名をつけられてしまった。

 野分(台風)や梅雨前線などによる大雨が予想されるときは、高台への避難勧告も出す予定だ。

 最後に、父業政の健康状態についても触れておこう。

 箕輪軍記によると、業政は『ああ苦しい、と歯を食いしばって大きくため息をついて逝去した』とあるので、おそらく心筋梗塞だったのではないかと個人的に思っている。実際、この時代の食事は、やたらと味噌を塗りたくって塩辛い味付けをしているからね。

 なので、業政には食材本来の味を生かした薄味の食事を提供することにした。

 こんな薄味では食べた気がしないと文句を言われたが、ラノベやグルメ漫画の主人公がよくやるように、昆布や鰹節で出汁を取ったり、柑橘類の汁を使ったりして味を濃くしてみた。

 そうだ、せっかく椎茸を大量生産しているのだから、干し椎茸も食事に取り入れてみよう。栄養価が高く、良い出汁も取れるみたいだからね。

 日々温泉に浸かり、健康的な食事を取っているためであろうか、今のところ業政の健康状態は全く問題ない。長野家の安全保障のためにも、父上にはこの調子で長生きしてもらうことにしよう。


◇宇野家治の見解◇

 外郎家当主、宇野藤五郎の命により箕輪城下で商いをすることになって数年経つが、この間の箕輪城下の発展ぶりには目を見張るものがあった。石鹸やガラスだけでなく、生糸の生産量を四倍に増やし、椎茸栽培まで成功させてしまうとは、誰が予想できただろうか。

 箕輪に来る前は、『こんな上州の片田舎で商いをすることに意味などあろうか』と思っていたが、今となっては御本城様(北条氏康)の先見性に頭が下がる思いである。

 箕輪に来た当初の頃は、家業の薬(外郎薬)を売りつつ、どう若君を探ろうかと頭を悩ませていたが、件の若君は火縄銃の入手に頭を悩ませていることが分かった。

 火縄銃といえば、北条家でも最近増やし始めた新兵器ではないか。軍事機密であるが、長野の若君を探るためであれば、氏康様も融通してくれるであろうか・・・。

 氏康様は、北条家でも効果的な運用方法がわかっていない火縄銃を、長野の若君がどう扱うのか見てみたかったらしく、長野家への火縄銃の提供はすぐに許可が下りた。

 早速、2丁であれば火縄銃を用意できると長野家御用商人の堀口新兵衛に伝えると、すぐさま若君からの呼び出しをうけた。

 我が家に伝わる『お菓子のういろう』を手土産に城を訪れると、若君は『甘いものは久しぶりだ』と大喜びであった。上州の片田舎で砂糖を食したことがあるのだろうか?

 若君と直に会って話をした感想は、『並の人間ではない』であった。

 本人は隠しているつもりなのだろうが、言葉の端々からは教養がにじみ出ているし、考え方や価値観が周囲の人間とは明らかに違うのである。まだ、十代前半の子供であるはずなのに、まるで四十代の大人と会話をしているように思えてならない・・・。

 せっかくの機会である。少しでも好印象を持たれるようにと、若君の優秀さを褒め称えてみたが、逆に困惑されてしまった。

 謙虚なお人柄なのだろうか?

 いずれにせよ、長野の若君にはまだ秘密があるような気がしてならない。このことは、早速氏康様にお知らせせねばならないな・・・。


 さて、十三歳になった俺は、今日も家庭教師の法如には和漢の古典を、上泉秀綱殿には刀や槍の扱い方を教わっていた。俺は、歴史や思想関連の知識には自信があるのだけど、和歌は全然ダメなんだよね。やはり、興味ないのがいけないのだろうか。法如には、武士であっても和歌の一つや二つ読めないようではいけません、と発破をかけられている。

 一方、武芸についてはそれなりの動きができるようになっていた。さすが、戦国武将だけのことはある。前世の、少し動いただけで息が上がる身体とはえらい違いである。せっかく剣聖が目の前にいるので、『身体強化の怨霊魔法』を使って秀綱殿を攻撃しようとしたら、動く前に既に倒されていた。真の達人に、魔法攻撃はきかないということだね。

 座学と鍛練が済んだその後は、内政の時間である。

 えーと、今日はどうしようかな。

 そうそう、ついに火縄銃の試作品が完成したよ。ちなみに、この火縄銃は従来のものより銃床が大きく、肩に当てて照準を合わせることができるので、頬に当てて撃つものより命中率が上がっているぞ。せっかくなので、今度は火打石で点火するフリントロック銃を作ってもらおうか。火打石は下仁田町の御場山おんばやまで採れるし、江戸時代の吉井(高崎市吉井町)は火打金の生産で有名だったからね。ライフリングは・・・、ミニエー弾にすれば先込め式の銃でも可能か。できれば、雷管を使ったパ-カッションロック銃を作りたいが、さすがにオーバーテクノロジーすぎるかな。

 黒色火薬と火縄銃の生産に成功したら、あとは鉛の弾丸が揃えば完璧だね。

 ここは、尾瀬の奥にある上田銀山(新潟県魚沼市)の出番かな?

 ネットの情報だと、最盛期に銀は年間千貫(約4千㎏)、鉛は年間一万九千貫(約七万二千㎏)採れたみたいだしね。

 でも、そんな山奥まで行かせる山師にあてはないし、国境付近だから危険だし、しばらくは上方の商人から融通するしかないかな・・・。

 火縄銃もいいけど、一発で多数の敵の戦闘能力を奪えるような武器が欲しいよね。そう、けが人が増えれば増えるほど、軍事行動の遂行は困難になるからね。

 手りゅう弾・癇癪玉・ロケット砲(龍勢)もいいかな。秩父地方の歴史民俗資料館で見たけど、木製の尺玉打上げ筒であれば、今の技術でも作れそうだ。

 あと、できるかどうかはわからないが、青銅砲の絵図面も書いておくか。作り方の基本は梵鐘づくりと同じで、外型と中子の二つの鋳型を作って、その隙間に青銅(または真鍮)を流し込むだけである。梵鐘は奈良時代から作られているし、腕の良い鋳物工がいれば、青銅砲くらいできると思うんだけどな・・・。

 早速絵図面を広げて、孫蔵・弥左衛門・平八郎に説明する。絵図面は、後で成重にも渡しておこう。

 そういえば、小田原商人の宇野家治から、ういろうを貰ったっけ。

「せっかくだから、ういろうを食べていきなさい」

 三人にういろうを振舞いつつ、今後の仕事について説明していると、業政が部屋にやってきた。

 平伏して部屋を出る三人を横目に見ながら、業政は俺に一通の手紙を渡した。

 差出人は北条氏康で、内容は『烏帽子親になってやるから、小田原に来て元服しろ』だそうだ。こんなイベント聞いたことないぞ。また、歴史を変えてしまったか?

「父上、北条家の当主自らが、信用されているとは到底いえない、服属して間もない家臣の子の烏帽子親になるというのは、普通のことなのでしょうか?」

「うーん、あまり聞いたことはないが、わしとのつながりを密にすることで、上州が安定していることを内外に示したいという意味でなら、あるかもしれんな。もしくは、お前に興味があって、直に見たいだけかもしれんがな」

 いずれにせよ、これは命令である。早速、礼服と献上品を用意し、吉日を選んで小田原に向けて出発するのであった。


◇鍛冶職人成重の見解◇

 若様と知り合って四年経つが、本当に次から次へと色々なものを考えつく発想力には感心してしまう。今まで、若様に言われて作ったものには、シャベル・つるはし・ルツボ・ガラス加工に必要な道具・上総掘りの掘り鉄管・火縄銃などがあるが、まだまだ新しいものを作らせるつもりらしい。

 特に、先日聞いたフリントロック銃(火打石銃)とやらには度肝を抜かれた。

 若様が言うには、火縄の代わりに火打石で火花を飛ばして点火する銃だそうだ。

 まだ、火縄銃が日ノ本に伝来して十数年しか経っていないのに、若様は銃をどこまで進化させるおつもりであろうか。

 若様の要求はそれだけにとどまらず、ライフリングにミニエー弾、さらに青銅砲の開発まで任されてしまった。

 それにしても、火打石銃と青銅砲か。これらが、いくさを根本から変える物凄い武器だということぐらい、俺にもわかるぞ。

 この世にない新しいものを作り上げるというのは、実に職人冥利に尽きると言えるが、若様に振り回されるのと、どんどん仕事が増えてやたら忙しいのは問題だ。

 ここは、八幡村(高崎市八幡町)にいる親戚の守重・守次・守行を呼んで、仕事や厄介ごとを引き受けてもらうことにするか。


 いつの間にか、北条氏康と会うことになってしまった。

 献上品には、石鹸・ガラスの器・蒸留酒・干し椎茸などを用意し、お供として藤井孫蔵・青柳弥左衛門・牛尾平八郎の三人を連れ、小田原へと出発した。

 ちなみに、父業政は箕輪城に残ることになった。親子二人が城を留守にするのは、いろいろと不用心だからね。

 俺たちは、鎌倉街道を南下して小田原へと向かったのであるが、途中で海を見て、ついテンションが上がってしまったのは、群馬県民のさがというべきであろうか。実際、孫蔵・弥左衛門・平八郎の三人は、『ヒャッハー!』と叫びながら海に飛び込んだぐらいだから、上州人の海へのあこがれは昔から変わらないようだね。

 ついでに言うと、三人は湘南海岸から見える富士山にも興奮していた。まあ、平八郎は『箕輪城から見える浅間山も負けていませんぞ』なんて言っていたけどね。

 そんなこんなで馬上に揺られること五日、ようやく小田原に到着した。

 未来の小田原は、蒲鉾や提灯で有名かもしれないが、俺にとっての小田原といえば、とにかく二宮金次郎である。せっかくなので、出生地の栢山(小田原市栢山)でも見て来るかな。

 そんな風に現実逃避をしていたが、そろそろ現実と向き合うことにしよう。

 俺は、基本的に偉い人に会うことが嫌いなんだよね。

 北条氏康などという、稀代の英雄に会うことを考えると、なんか腹が痛くなってきた。

 そもそも、数年後に攻め滅ぼす予定の人なのだから、できるだけ会いたくないなあ、などと思いつつも、覚悟を決めて小田原城に登城した。

 ふむ、まだ二の丸外郭までしか作られてないな。三の丸や大外郭は無いようだね。

 案内役は、大石定仲とその妹の藤であった。ちなみに、藤は11歳で、俺より2歳年下である。

 俺とその供が小田原にいる間、藤と侍女数名が世話係として側についてくれるらしい。

 大石定仲に連れられて本丸に行くと、なんと北条家一同が勢ぞろいしていた。

 とりあえず、北条家の面々に自己紹介をし、献上品を渡した。

「松代丸殿、よう来られた。そなたの噂は小田原にも届いておるのでな、ぜひ直に会い、話をしてみたかったのだ」

 氏康は随分と機嫌がよいらしく、俺にも親切に接してくれる。

 勘弁してくれ。あまり良くされると、後で攻めにくくなるだろうが。

 今回は、氏康三男藤菊丸の元服を行うにあたり、長野家にもちょうど良い年頃の嫡男がいると聞いて、せっかくだから一緒に元服をさせようと思って小田原に呼んだとのこと。

 本来、主役は藤菊丸のはずなのに、俺に横入りされて話題をさらわれたといった感じか。

 どうりで、藤菊丸は不機嫌なわけだ。


 まあ、そんなこんなで元服の儀式当日。

 藤菊丸は義仲流源氏の大石家に婿入りするので、鎌倉の鶴岡八幡宮で元服式を執り行うことになった。もちろん、俺も一緒に、である。

 元服といえば、俺は髪を結って、烏帽子親に烏帽子をかぶせてもらい、新しい名前をもらうくらいのことかと思っていたのだが、まさか公家みたいに化粧をさせられるとは思わなかった。神主があれこれ言っているのは、神々の名前であろうか。

 やはり、一度経験してみないと、わからないことは多いね。

 藤菊丸は、北条一族の長老幻庵翁に烏帽子をかぶせてもらい、新たな名として『大石源三氏照』を名乗った。

 一方、俺は氏康直々に烏帽子をかぶせてもらい、新たな名を授けてもらった。

「松代丸、おぬしの名は、北条家の通字『氏』と長野家の通字『業』から取り、長野新五郎氏業と名乗るがよい」

「ははー。ありがたき幸せにございます」

 儀式は滞りなく終了し、こうして俺は長野業盛ではなく、長野新五郎氏業になったのであった。

 次は、宴会である。

 この場で、大石氏照と比左(大石定仲の妹)の婚約が発表された。

 続けて、比左の妹『藤』が氏康の養女になることと、藤と長野氏業の婚約も発表された。

 へー、長野氏業が北条氏康の義理の息子になるのか。

 めでたいねーと思っていたら、それは俺のことではないか。

 藤殿を見ると、顔を赤くして俯いている。

 氏政(氏康次男)は、どうしてよいかわからずおたおたしている。

 氏照は、『そんなこと聞いていない』と声を荒らげる。

 乙千代丸(氏邦:氏康五男)は、ニヤニヤしているだけで何を考えているか不明である。

 俺は、氏康の前で平伏し、こう述べた。

「まことにありがたきお言葉ではありますが、婚姻はお家の一大事であります。父の考えを確認してから、お返事を致したいと思います」

「ほう、わしの決めたことに不満があると申すか」

 言い方は穏やかだが、みるみるうちに氏康の機嫌が悪くなっていくのがわかるぞ。

 藤殿は、『わたくしのことがお嫌いですか』と涙ぐんでいる。

 そもそも、俺は前世でも今世でも女性には全く縁のない生活を送ってきたのだ。

 そんな俺が、どうして女性の扱いに長けているなどということがあろうか。

 氏康は怖いし、藤殿にはどう接してよいかわからず、ひたすらアタフタし続ける俺。

 一体、どうすればいいんだ。

 困惑すること数秒、突然氏康が笑い出した。

 呆気にとられる俺と氏康の息子たち。

 氏康は機嫌を直し、俺にこう言った。

「そこまで狼狽するとは思わなんだ。おぬしの人となりを見るために、あえて困らせてみたのだ。許せよ」

 そして、俺に一通の文を渡した。

 それは、父業政からのものであった。

 内容は、『万事、氏康様に従うように』であった。

 氏康め、俺が小田原に出発するのを見計らって、早馬で父に文を送り、返事を受け取ったということか。完全に退路を断たれてしまった。

 よく見ると、藤殿も澄ました顔をしている。氏康に合わせて演技していたということか。

 どうやら、ちゃっかりした性格のようだ。

「商人や忍びの報告から、どんな奇人変人が来るかと身構えておったが、案外普通そうで安心したぞ」

「えーと、御本城様(氏康)は箕輪城を探っていたのですか」

「別に北条家だけが探っていたのではない。風魔の報告によると、甲斐・越後・駿河の忍びも相当入っているらしいぞ。あと、鍛冶職人の成重だったかな。火縄銃を作れる職人は、きちんと保護しないと他国に攫われるぞ」

 なにやら、風魔も箕輪城下の職人を守ってくれていたらしい。それは初耳だが、父はこのことを知っているのだろうか?

「それに、おぬしが宇野家治から購入した2丁の火縄銃は、小田原城にあったものだぞ。おぬしが火縄銃を欲しがっているのを聞いて、わしが商人に融通してやったのだ。おかげで、火縄銃の研究・開発が進んだであろう。わしに感謝するがよい」

 つまり、俺は氏康の手の内にあったということか。いやいや、まだ火打石銃と青銅砲と怨霊魔法は知られていないから、大丈夫のはず・・・。

「そういうわけだから、これからは北条家の役に立ってもらうぞ。婿殿」


 それにしても、前世も含めて彼女すらいなかった俺に、いきなり婚約者ができてしまった。

 やはり、未婚者を減らしたいなら、家同士が決めた相手と結婚させるのが一番手っ取り早いよね。恋愛結婚至上主義だと、条件の良い人に人気が集中するし、結婚できない人が大量に出るのは自然の流れだからね、なんて意見はもてない男のひがみであろうか。

 ただ、結婚できない人に対して自己責任という理由で何の対策も取らないというのは、問題であり人道にも反していると思うのですよ。やはり、結婚して子供もいる恵まれた人が、鰥寡孤独といった恵まれない人を支援するのが当然ではないかな。特に、無職の独身男性を野放しにするのは、ものすごく危険だよね。革命騒ぎになるかもしれないし・・・。

 まあ話は横道に逸れたが、そもそも業盛の妻は藤づる姫で、その間に亀寿丸という子がいたのではないか。その点を、怨霊神業盛に確認すると、

「我に正室はいないし、子もいないぞ。おそらく、父の側室や弟が、我の妻子として後の世に言い伝えられることになったのではないか」

 とのこと。藤井孫蔵と青柳弥左衛門に関する軍記物の記述は、事実と異なっていたのか?

 そして、業盛には妻も子もおらず、ひとり寂しく死んでいったということか。

 そうであれば、怨霊になるのもやむなしと思ったが、妾はたくさんいたらしい。

 くそっ、リア充許すまじ。


 このあと藤殿と話をしてみたが、『親の決めた相手と結婚するのは、当たり前のことではないですか』と言われてしまった。

 まだ11歳なのに、ずいぶん達観しているね。

 ちなみに、彼女は読書好きで、特に恋物語が好きだそうだ。俺も本好きだし、気が合いそうで何よりだ。後で、本でも作ってプレゼントしようかな。


◇藤の見解◇

 わたくしは昔から本が大好きでした。特に恋物語を好み、源氏の物語などを心行くまで読んでみたいと思っておりましたが、本は高価で断片的にしか読めないのが残念でなりませんでした。わたくしが本ばかり読みふけっていたのは、戦乱が続くこの世の中に幻滅していたからかもしれません。少なくとも、本を読んでいる間だけは、つらい現実を忘れられるから・・・。

 そんなわたくしが、氏康様の養女に迎えられることになりました。比左姉様が、氏康様三男の藤菊丸様を婿にとることになったため、わたくしの利用価値が上がったようです。

 家族は北条家との結びつきがさらに強まることを喜んでおりましたが、わたくしは北条家の書物が読めるようになることしか興味ありませんでした。

 小田原城で氏康様にお会いすると、長野家嫡男松代丸様と婚約し、松代丸様の行動を氏康様に報告するよう命じられました。長野松代丸様が、わたくしの旦那様になるのですか。

 初めて松代丸様にお会いした時の印象は、良くも悪くも優しそうな人でした。

 伊勢物語の主人公で、日本一の美男として有名な在原業平の子孫というので、さぞや見目麗しい方なのかと思っていましたが、容姿は普通ですね。

 いろいろと画期的な発明をしている人と聞いていますが、そんな風には見えません。ごく普通の人に見えます。

 松代丸様は元服して長野氏業様となり、わたくしは正式に婚約者となりました。

 氏業様は、わたくしに様々な物語を話してくれました。特に、南蛮のお姫様が出てくる物語は、今までに見たことも聞いたこともないもので、とても興味深く感じました。

 これらの物語については、後で氏業様が本にして、わたくしに贈ってくださるそうです。これからは、いつでも南蛮の恋物語を楽しめるのですね。そうでした、このことは氏康様に報告しないといけなかったのでした。


◇北条氏康の見解◇

 数年前から長野の若君を探っていたが、上がってくる報告の全てが信じがたいものであった。そして、箕輪城下で火縄銃作りに成功したという報告を聞いた時も、凄いというよりは不自然さを感じた。

 小田原城下で作れないものを、どうして箕輪城下で作ることができるのか。やはり、長野の若君を直に見て判断するより他はないか・・・。

 そして、元服に託けて若君を小田原に呼び寄せ、言葉を交わしてみた。

 思っていたよりも普通だな。考えていることはすぐ顔に出るし、腹芸もできそうにない。

 一応、北条に従う姿勢は見せているが、本心から従うといった感じではないな。

 しかし、この者が無類のお人よしらしいこともわかった。

 それならば、返しきれない恩を与えて裏切りにくくさせた上で、やつの頭脳は北条家の発展のために活用させてもらうこととするか。それでも裏切るのであれば、やつの策もろとも正面から叩き潰してくれよう。


 元服の翌日、早速氏康に呼ばれた俺は、藤殿を連れて大広間にやってきた。

 なにやら、藤殿と侍女たちは、俺から目を離すなと氏康に命令されているらしい。

 つまり、俺は常に見張られていて、行動は氏康に筒抜けということなのかな。十三歳の子供に対して、随分と仰々しいことだね。

 大広間には、氏康だけでなくその息子たちも勢ぞろいしていた。

 とりあえず平伏するが、氏康は『そんなこと良いから、さっさと近くに来い』と言って俺を呼び寄せる。

「おぬしには、既存の枠にとらわれない発想力があるようだからな。しばらくの間、小田原でその能力を発揮してもらうことにしたぞ。ちなみに、このことは業政殿も承諾済みじゃ。思いつくままでよいから、何か役に立ちそうなことを話せ」

 何か話せって、いきなりそんなことを言われても困るだろうが。

 とっさに言葉が出ない俺を見つつ、氏康は徐に口を開いた。

「わしは、この広大な関東平野を稲穂で埋め尽くし、北条領から飢えを一掃するぞ。そして、あり余る食糧で強兵を養い、北条領を誰も侵略できない平和な土地にするのだ」

 氏康の息子たちは、『さすが御父上様』といった感じで、尊敬の目で氏康を見ている。

 一方、俺は動揺を隠すことができなかった。なぜなら、氏康の背後に燃え上がる緑の炎を見てしまったから。


 何だ、あの緑の炎は。怨霊神業盛の黒炎と似ているが、あのような禍々しさではなく、聖なるものといった感じがするぞ。だとしたら、氏康は俺と同様に怨霊魔法を無制限で使えるということなのだろうか。

 以前、人間の悪しき感情が怨霊を生みだすと説明したが、逆に考えると、人間の良き感情や行いが怨霊を善なる神に転化させることも可能なんじゃないかな。ここ数年ではあるが、関東の地に平和をもたらしたことは、紛れもない氏康の功績である。領民の氏康に対する畏敬の念が、氏康に聖なる力を与えたというのも、話としては成り立つのかな。

 実際、北条家は税金が安く、周囲の大名よりも善政をしいていると思う。氏康の重農主義的な政策も別に悪くないし、北条家に尽くすのもありかな、などと取り留めのないことを考えていたが、そういえば氏康から意見を求められていたのだったな。

 とりあえず、農業については過度に稲作に特化すると飢饉発生時に被害が増大するので、粟・稗・蕎麦などの冷害に強い作物の栽培を提案してみた。できれば、じゃがいも・さつまいも・トウモロコシなどの外国の作物を導入したいのだが、まだ時代が早すぎるか。インドネシアに行ければ、新大陸の作物を入手できるんだけどね。

 あと、この時期は太陽活動が弱まっているみたいだから、冷害対策で義倉(凶作に備えて穀物を蓄えておく倉)を作るのも有効かな。数年後に永禄の大飢饉が発生するので、すぐに取りかからないといかんな。

 氏康も、近年の天候不順は気になっていたらしく、すぐさま義倉が作られることになった。

 その他、灌漑用の用水路については、怨霊魔法リコールを使って未来の用水路を地図上に書き出してやるとするか。氏康は驚くだろうな。


 一方、軍事については、大量の火縄銃を購入するために金山や銀山の開発を進めるのはどうかと提案した。

「尾瀬の先にある銀山(上田銀山:新潟県魚沼市)では、鉛も大量に採れます。銀で火縄銃を購入し、鉛で火縄銃の弾を作りましょう。場所は箕輪城の忍びに聞いているので、北条家の金山衆を貸していただけるなら、今すぐ掘りに行けますがいかがでしょうか」

 という俺の発言に対して、氏康は

「長野家の忍びは、ずいぶんと優秀なのだな」

 と言い、不審げな表情で俺を見る。これは、俺の忍び云々の発言を信じていないな。

「おぬしが直接行く必要はない。場所を教えてもらえれば、わしの方で金山衆を派遣しよう。もちろん、ただで情報をよこせとは言わん。本当に銀や鉛が出たならば、婚約祝いでおぬしに半分くれてやるとしよう」

 うーん、上田銀山へ行くついでに箕輪城に寄るプランを潰されてしまった。

 一方、氏照は『そんな与太話を信じるなど、父上らしくもない』と憤慨するが、氏康に発言を止められ、渋々黙り込む。

「有事の際、軍隊を速やかに動かせるよう、街道も整備しましょう」

 という俺の進言については、

「北条領の地図をやるから、鉱山の位置・用水路・街道を書き加えてわしに寄越せ」

 と命令された。後で、メリットやデメリットについて北条家上層部で話し合いをするらしい。

 さらに、氏康は『領地をやるからおぬしの望むように開発するがよい』などと言い出し、急遽俺には武州横浜村三百貫の領地が与えられ、多摩川下流域の開発を担当することになってしまった。

「案がまとまったら、紙に書いてわしの所に持ってこい」

 だそうだ。マジかよ。いつになったら箕輪に帰れるのやら。

 一応、元服したこと、氏康の養女が婚約者になったこと、領地をもらったこと、しばらく箕輪に帰れないことなどを父業政に手紙で報告したが、返ってきた返事は『氏康様の言う通りにしなさい』であった。誰が敵か味方かもわからぬ状態では、氏康の言うことをおとなしく聞くしかないかな・・・。『くれぐれも、ご無理などなさらぬようご自愛ください』と手紙に書いたら、人のことより自分のことを心配しろと返されてしまった。


◇大石氏照の見解◇

「父上、なぜあのような若造の言葉に耳を傾けるのですか」

 養女の婚約者にしたり、小田原近くに領地を与えるなど、長野氏業に対する父のなさりようは、どう考えても普通ではない。

 そもそも、武士とは力こそが全てのはずである。弱者は強者に黙って従えばよいだけのことに対し、氏業はいかにも良い人といった感じで、人道だの何だのと小難しいことをこねくり回して物事を複雑にしようとする。孔明やら麒麟児やらと言われるだけあって、多少知識はあるようだが、あのような儒者崩れのお人よしが北条家の役に立つとは到底思えないのである。

 火縄銃を好むということは、安全な場所から敵を一方的に攻撃したいということなのだろう。つまり、自らが先頭に立って戦う気のない臆病者ということだ。そのような武士の風上にも置けぬ者についていく家臣など、どこにいるだろうか。

 父は、『あやつは、まだまだ情報を隠し持っておるぞ』というが、本当であろうか。

 いずれにせよ、やつが妙な動きを見せたら叩き切るだけだ。


第三章 完

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