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決戦、三浦三崎の戦い

 俺は、できるだけ早く南蛮船七隻を率いて三崎湾から外洋に出たのであったが、追い風に乗る里見水軍は既に三崎湾の近くまで来ており、二手に分かれて東西から北条水軍を挟撃しようとしていた。

 ちなみに、三崎湾は三浦半島の最西南端に位置しているが、その南側には東西に細長い城ヶ島があるため、湾の出入り口は東側と西側の二カ所あることになるよ。そして、里見水軍は八十余隻の兵船を二つに分け、東西の出入り口を押さえて逃げ道をなくした上で、北条水軍を全滅させるという作戦に打って出たわけだね。俺の艦隊は、出入り口が封鎖される前に湾外に脱出できたのだが、風上側に位置する里見水軍からすれば格好の餌食が出てきたと思ったに違いない。俺は、風を掴んだ里見水軍四十余隻と敵旗艦の大安宅船が俺の艦隊に襲い掛かるものと予測していたのだが、なぜか里見水軍の動きがあまり良くない気がするなあ。まあ、俺にとっては都合の良いことだけどね。


(本日、天気晴朗ではないけれど、南東風が強くて波高し、と言ったところか)

 そんなことを考えていると、横に怨霊神が現れて俺に話しかけてきた。

「のう、氏業よ。我には絶体絶命の危機に陥っているように見えるのだが、打開策はあるのだろうな?」

「はい、この船は日ノ本一の運動性能を持っており、風上に向かって高速で進むことができます。上手廻し(タッキング)で敵艦隊の後ろに抜け、反転して敵の風上を押さえたならば、我らの勝利は間違いないでしょう」

 そういう作戦を立てて数ヶ月間航海訓練をしてきたわけだし、敵の動きも予想通りだから問題ないと思うのだけど、何か忘れている気がするなあ。あっ、そうだ。

「怨霊神様、以前(第一章参照)天候を操れるとおっしゃっておりましたが、私の合図で南東風を強めることは可能でしょうか」

「南東風を北西風に変えろというのは無理だが、現に吹いている南東風を操作することなど、我にとっては造作もないことよ。あと、一言付け加えておくと、おぬし自身の力で風を操ることも可能だと思うが、大規模な気象操作をするなら我を介して力を行使するがよいぞ」

 と、怨霊神は答えるのであった。

 だとすると、怨霊神は魔法の杖みたいなものかな。まあそれはそれとして、これなら最大速度の衝角攻撃を敵にお見舞いできるであろう。

 早速、一番艦から三番艦までは敵旗艦へ衝角攻撃を行い、四番艦から七番艦は敵旗艦の周囲にいる兵船を蹴散らすよう指示を出すと、敵艦隊の後方を扼すべく、上手廻し(タッキング)を決行するのであった。


◇里見義弘視点◇

 里見水軍八十余隻は、勝山城を出て南に進むと、そこで進路を北東に変え、南東風を背にして一路三崎湾へと向かう。

 風に吹かれてしばらく進むと三崎湾が間近になったが、北条水軍が出撃してくる様子は見られない。恐らく、我が艦隊が大軍勢であるのを目の当たりにして、大混乱しているのであろう。

 であれば、今が北条水軍を壊滅させる絶好の好機ということだな。そこで、艦隊を二つに分けて、三崎湾の東西の出入り口を同時攻撃することにしたのであった。

 西から攻める艦隊が定位置に着くまで、東から攻めるわしの艦隊は速度を緩めないといかんな。そう思い、兵船の帆を畳ませたのであったが、間が悪いことに噂の南蛮船七隻がわしの目の前に現れた。

「すぐに帆を上げ、南蛮船を攻撃せい。火炎瓶にて火攻めをするのだ。ただ、全ての船を燃やすのはいかんぞ。一、二隻は、必ず無傷で捕獲するのだ」

 こうして我が艦隊四十余隻は南蛮船に襲い掛かったのだが、ここで我々が目にしたのは、風上に向かって高速で進む南蛮船の姿であった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「敵がもたついている今こそ好機。上手廻し(タッキング)で里見水軍の風上を押さえるぞ。今までの訓練の成果を敵に見せつけてやるがよい」

「「「おーーー」」」

 俺が号令をかけると、全ての船の帆が風に対して30度の角度に傾いた。それと同時に帆が風を受け、俺の艦隊は南南東から東南東方向にジグザグに進む。里見水軍は、俺たちが風上に向かって進むのを見て慌てて進路を変えたが、かえって混乱しただけであった。中には、味方同士で衝突している船もあるね。

 そうこうしているうちに、俺たちは無事に里見水軍の風上側を押さえることに成功したので、直ちに反転し、横陣を敷くのであった。

「これから、私は神から与えられた力にて南東風を強めて見せよう。一番艦から三番艦は、この風を用いて大安宅船の横腹に最大速度の衝角攻撃をお見舞いするぞ。四番艦から七番艦は、周囲の敵兵船を蹴散らせ」

 俺は各艦に指示を出しつつ、怨霊神業盛には南東風の強化をお願いした。

 すると、即座に風速が増し、同時に艦隊の速度も上昇した。

「「「氏業様が神の加護を受けているというのは、本当であった」」」

 水兵たちが俺を称賛し、士気が目に見えて上昇するのが分かるね。

 敵の大安宅船は反転がうまくいかず、俺たちに横腹をさらしている。

であれば、今がチャンス!

「総員、衝撃に備ええええっ!」

 俺の乗る一番艦が、大安宅船の横腹に突撃する。バキバキ、メキメキといった木材のひび割れる衝撃音が、周囲に鳴り響く。続けて、二番艦・三番艦も大安宅船に突撃した。多くの敵兵が、海に投げ出されているね。本当は、衝角攻撃で大安宅船を沈めるつもりだったのだが、さすが今回の海戦のボスだけあってしぶといな。まあ、それなら敵総大将の里見義弘を生け捕りにすればよいかと思い、俺はシャベル片手に正木時忠と水兵十数名を率いて大安宅船へと乗り込むのであった。


 大安宅船は、衝角攻撃で至る所にひびが入り、漏水もしているようだ。二番艦・三番艦には鉄砲・火矢・火炎瓶などで攻撃をさせつつ、俺たちはシャベルで周囲を破壊しながら里見義弘を探す。すると、松明を片手に部下を怒鳴り散らしている敵将を見つけた。なにやら、俺の船を火炎瓶で攻撃しようとしたが、衝角攻撃で全ての火炎瓶が割れて使い物にならなくなったことに腹を立てているようだ。

「あれが里見義弘です」

 と、正木時忠が俺に報告した。

 辺りを見回すと、大安宅船の周囲にいた兵船はあらかた沈められていた。三崎湾を西から攻める艦隊はまだ健在だが、ほぼ同数の北条水軍に捕まっており、今すぐ里見義弘の救援に来るのは不可能なようだ。ということで、俺は里見義弘に降伏勧告をすることにしたのであった。

「里見義弘殿、お初にお目にかかります。長野右京進氏業にございます。周囲の兵船は全滅。三崎湾を西から攻める艦隊も北条水軍と交戦中で、こちらに来ることはできません。一人でも多くの兵の命を救うため、義弘殿には北条家への降伏を求めます」

「ふん、お前が長野氏業か。想像していた以上に若いな。こんな子供に、わしは二度も敗れたというのか」

 義弘の顔は、苦痛に歪んでいた。

「義弘殿には、最良の決断をしていただけると信じておりますぞ」

 その言葉を聞いた義弘は突如笑い出し、

「お前は本当に武士なのか?敵を殺せる時に確実に殺さないと、どのような反撃を受けるか分かったものではないぞ」

 と言うと、火のついた松明を割れた火炎瓶に投げつけ、本人は海に飛び込んだのであった。

「まずい、総員この場から退避。一番艦に戻れ」

 俺たちは、すぐさま炎上する大安宅船から一番艦へと退避し、一番艦から三番艦は沈みゆく大安宅船から速やかに離脱したのであった。


(完全に油断していた。圧倒的有利だったのに、危うく南蛮船三隻を炎上させるところだった)

 大安宅船は、黒い煙をまき散らしながら、海底に向かって沈んでゆく。

 一番艦から三番艦にも少々火が燃え移ってしまい、消火活動をし終えた頃には完全に里見義弘を見失っていた。

 俺の隣に現れた怨霊神曰く、

「炎上しながら海底に沈む大安宅船は、なかなかの見ものであったぞ。上手廻しと最大速度の衝角攻撃、見事であった」

「しかし、里見義弘にはしてやられました。大魚をノガした気分です」

「ふん、何を言っておるのだ。おぬしは里見義弘の顔を見たのであろう。であれば、怨霊の力で奴を見つけることなど造作もないぞ」

 そこで、探知の怨霊魔法を使ってみると、確かに里見義弘の現在地を知ることができた。

 そうそう、まだいくさは終わっていないのである。

 早速、二番艦から七番艦には、残りの里見水軍四十余隻の後背を突くよう指示を出し、俺は一番艦で里見義弘の後を追うのであった。里見義弘は小早船に乗っているらしく、このままだと安房まで逃げられてしまうかもしれない。

「怨霊神様、里見義弘の乗る小早船に強い南東風をあてて、逃走を邪魔することはできますか?」

 こう尋ねると、怨霊神は海戦を見て機嫌が良かったせいか、

「我に任せよ。折角だから、あの海域一帯に強い南東風を吹かせて北西方向に流れる海流も作り出してやろう。艪でいくら漕いでも東に進めず、逆に西に流されて慌てふためく里見義弘の様子が目に浮かぶぞ」

 と、大サービスしてくれるのであった。

 しばらくすると、遠くに見えていた小早船が、俺の一番艦にみるみるうちに近づいてきた。

『お前ら、ちゃんと櫓を漕げ』『駄目です。西に流されます』なんて声が聞こえてくる。

 里見義弘たちはいろいろな手段で抵抗したようだが、どうにもならず、ついに観念して櫓を漕ぐのをやめたのであった。

 俺が、一番艦の上から再度降伏勧告すると、義弘は

「この期に及んでは是非もなし。北条家に降伏いたす」

 こう言って、俺に降伏したのであった。

「それにしても、都合よく強まる南東風と急に現れた北西方向に流れる海流はなんなのだ。おぬしが持つと噂される神の加護で、風や海流を生み出したとでもいうのか」

 そう義弘が尋ねるので、俺は

「大体そんなところです」

 と答えたのであった。

 義弘は、『そんなことはありえない。だが、都合よく風が強まって海流が生じたのも事実。いったいどう考えればよいのだ。むむむ・・・』と唸っている。

 まあ、里見義弘はしばらく放っておくとして、三崎湾に目を向けると、里見水軍の残存艦隊が北条水軍を振り切って南に向かう様子が見て取れた。どうやら、南蛮船艦隊が後方から迫るのを見て、慌てて逃げだしたようだね。

 最終的に、里見水軍の損害は戦死者千人、捕虜千五百人(総大将里見義弘、秋元民部少輔、山川豊前守等含む)、兵船三十余隻沈没、十余隻の投降となった。北条水軍の損害は兵船数隻のみであり、三浦三崎の戦いは北条家の大勝利に終わったのであった。


◇北条氏政視点◇

(勝ったのは嬉しいが、まさか南蛮船の強さがこれほどとは)

 里見義弘と水兵百数十名を捕虜とした氏業の南蛮船艦隊が三崎湾に帰還するのを見た私の心は、複雑であった。

(此度の海戦は、奴の艦隊だけでも勝利できたのではないか)

 そう思うと、氏業を褒めてやろうという気持ちよりも、恐れの方が大きくなってしまうのである。つまり、戦の勝敗は奴の去就次第ということになるではないか。

 父上は、『少しでも多くの情報を奴から引き出せばよい』と言っていたが、とてもではないが私には奴を使いこなす自信はないぞ。

 あのような危険人物は、何かしらの理由をつけて消すのが一番ではないだろうか。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

戦争:三浦三崎の戦い

年月日:弘治三年(1557年)十月七日

場所:相模国三崎城周辺

結果:北条軍の勝利


北条軍指導者・指揮官

北条氏政、梶原備前守景宗、梶原兵部少輔、北見刑部丞時忠、山木信濃守常住、古尾谷中務少輔重長、三浦五郎左衛門茂信、三富源左衛門、長野氏業、正木時忠


戦力

兵船四十余隻+南蛮船七隻

兵員約2500


戦死:若干名


里見軍指導者・指揮官

里見義弘、秋元民部少輔、山川豊前守、川名孫次郎、冬木丹波守、印東下総守、安西助三郎、東条源五郎


戦力

兵船八十余隻+巨大安宅船一隻

兵員約4000


戦死:約1000

降伏:約1500(里見義弘、秋元民部少輔、山川豊前守含む)

兵船三十余隻沈没、十余隻投降

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