南蛮船を作ろう その2
念のために言っておくが、横浜に流民が集まってきても、俺のところに苦情は来なかったよ。俺は、『勝手に領民を引き抜くな』と前住地の領主に怒られるんじゃないかと思ったのだが、逆に『厄介者を引き取ってくれてありがとう』と礼を言われる有様であった。
南蛮船を作ろう その2
孤児院や救貧政策の話はここまでにして、南蛮船の話に移ろう。
俺が氏康の命で南蛮船六隻を建造している頃、北条家は春の戦の仕返しとばかりに、真岡城に落ち延びていた宇都宮広綱を支援して、壬生綱雄が占領していた宇都宮城を奪還させることに成功した。その際、佐竹義昭との関係も改善されたため、下野国と常陸国は親北条でまとまったそうだ。
こうなれば後は里見だけということで、北条軍は上総国に攻め込み、すぐさま上総西部を奪取した。ただ、里見を屈服させるには、やはり里見水軍を何とかしなければならない。
ということで、ここで重要になるのが、現在俺が作っている南蛮船である。もちろん、船だけ作っても操作する人間がいなければ戦力にならないので、最初に作った舟で航海訓練はさせているよ。
そんな感じで、船を作って航海訓練して、ついでに孤児院のこととか色々やっているうちに、夏が過ぎて9月になった。弘治三年九月と言えば、何かあったような気がするなあ、なんてことを考えていると、後奈良天皇崩御のニュースが流れてきた。
そうだよ。天皇が代替わりするのに、朝廷には金がなくて即位の礼を取り行えないのだから、献金して朝廷と将軍双方に恩を売り(本来将軍が即位の礼の費用を出すべきだが、将軍にも金がない)、将軍から直々に関東管領の職を得れば、長尾景虎が上杉憲政の後継として関東に介入する大義名分が無くなるではないか。
そこで、追加で完成させた南蛮船の試験運航も兼ねて小田原まで航海し、氏政に先の案を提案してみたのだが、色よい返事はもらえなかった。氏政の言い方だと、今は関東支配の盤石化を最優先とし、小田原城を総構えの城にした上で、関東各地の城を街道で結ぶために金を使っているのだそうだ。それも悪くはないんだけど、実際長尾景虎が関東管領後継として上野国に攻め込んできたとしたら、上野国の領主たちは長尾景虎に従わざるを得ないんじゃないかな。そのことを氏政に問うと、
「業政を北条家から離反しないようにするのが、おぬしの役目であろう。そもそも、おぬしは人質なのだから、父親が北条家を裏切ればどうなるか分かっておるよな」
氏政はそう言うと、首に手刀を当てるのであった。
「そんなことより里見攻めだ。近いうちにおぬしの作った南蛮船を先頭にして、里見水軍に攻めかかる予定だ。それまでに、航海訓練を終わらせておくのだぞ」
氏政は言いたいことを言うと、俺を部屋から追い出したのであった。
うーん、なんか氏政に嫌われてしまったかな?
越後行きの際、氏政にも見せ場を作れれば良かったのだが、そんな余裕は無かったしな。
景虎との会談の内容を氏康に説明できず、恥もかいたようだしね。
まあ、全ての人に好かれるのはどんな聖人にも不可能だ。俺にできるのは、自分の仕事を粛々とこなすことだけかな。でも、氏政とはそれなりに信頼関係が築けていたと思っていたので、『いきなりお前を殺す宣言』されたのは、少しショックであった。
だが、いつまでもクヨクヨしていてもしょうがない。一応、俺の目的(怨霊神業盛の要求)は『お家と子孫を後世に残すこと』だからね(第一章参照)。今日を生き延びるため、与えられた仕事は完璧にこなすことにするよ。そんな感じで気分を入れ替えた俺は、すぐさま横浜城に帰ると、速やかに南蛮船六隻を完成させたのであった。
ちなみに、船体には鉄板を貼り付けて、装甲を強化しているよ。これで、里見水軍の火攻めにも、十分対応できるはずだ。
そして、航海訓練に精を出していると、ついに氏康から出陣の命が下ったので、全ての南蛮船を率いて三崎湾(神奈川県三浦市三崎)へと向かったのであった。
もちろん、船には火炎瓶・焙烙玉・火矢・鉄砲等を多数積んだし、火炎瓶や焙烙玉が割れるのを防止する対策もとっておいたよ。
第9章 完




