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第9章 南蛮船建造と救貧政策の開始

眞鍋淑郎先生、ノーベル物理学賞受賞おめでとうございます。眞鍋先生の専門であるGCM(General Circulation Model)については、永禄の大飢饉のところで扱う予定です。

弘治三年(1557年)4月下旬 


 みかじりの戦いは大勝利に終わったものの、後には破壊された城や村々が残されていた。

 敵を追い払ってそのまま帰るのも何だか薄情に思われるし、氏照の怪我の状態も悪いことから、俺と三百の兵はしばらく西上州に残って戦後の後片付けを手伝うことになった。

 とり急ぎ松井田城に行き、崩れた城壁を修復したり、仮設の建物を建てたりしていると、氏康から急ぎ小田原城に登城するようにとの書状が届いた。なんか、今回の戦で使用した鉄砲も持ってこいと書いてあるなあ。

 ということで、安中城にいる父業政や諸将に暇乞いの挨拶をしてから、鉄砲隊三百と一緒に帰ることにしたのだが、氏照も俺についていくと言い出した。骨折もしていることだし、体調が元通りになってからの方が良いのではないかと提案するが、『父上に聞かねばならぬことがある』と言って、俺の言うことを聞かない。しょうがないので、氏照は馬に縛り付けて運ぶことにして、俺たちはいつも通り鎌倉街道を南下して、小田原城へと向かうことにした。ちなみに、鉄砲隊三百は、鎌倉付近で別れて横浜城へ帰しておいたよ。

 小田原城に着いた俺・孫蔵・弥左衛門・平八郎と氏照は、早速本丸の大広間へと向かったのだが、なんかやたらと声を掛けられるんだよね。『お時間があれば、ぜひ我が家にお越しいただきたい』なんて皆が誘ってくるので、適当に相槌を打ちながら進んでいると、氏康の待つ大広間へ到着した。


「長野右京進氏業、ただいま戻りました」

 そう言って大広間に入ると、そこでは氏康と氏政が待ち構えていた。

 氏康は、『氏業よ、此度の戦での戦いぶり、実に見事であった』と俺を褒め、恩賞として三百貫を加増してくれることになった。

「他にも色々と聞きたいことはあるのだが・・・。氏照よ、わしはお前をここに呼んだ覚えはないぞ」

 そう言うと、氏康は氏照を睨みつけた。氏照は、平伏しながら氏康に質問をした。

「どうしても父上に確認したいことがございましたので、無礼を承知で参上致しました。父上は、今後鉄砲をどのように扱うおつもりですか?」

「今後は、鉄砲隊を北条軍の主力とする。これは決定事項だ。それに、このことを最も熱心に主張したのは氏政だぞ」

 氏照はそれを聞くと、一言

「・・・承知いたしました」

 と答えた。なんか、明らかに肩を落としているね。そんな氏照の様子を見た氏康は、

「お前のことだ、どうせ武士の意地とか誇りとか考えておるのであろうが、武士は犬畜生と言われようと勝たねばならんのだ。分かったら、早く怪我を直して、鉄砲の効果的な運用方法でも考えるがよい」

 と言って、氏照を下がらせた。そして、氏康は俺に向かって『愚息どもが面倒をかけてすまんな』と謝るのであった。いや別に氏康が謝るようなことではないのだが、このまま時間を無駄にするのも嫌なので、さっさと話しを進めることにした。


「大体のことは報告で分かっておるが、此度の戦における鉄砲の三段撃ちには度肝を抜かれたぞ。まさか、三百の鉄砲隊で千五百の敵を完膚なきまでに叩きのめしてしまうとはな」

「いえ、敵を討ち取ったのは安中忠成殿であって、私は大したことはしておりません」

「ふん、謙遜も度を過ぎれば嫌味になるぞ。敵を敗走させたのはおぬしであって、忠成は逃げる敵を追撃しただけであろうが。そんなことより、その戦いで使った銃だ。早く持ってきて、わしに見せるがよい」

 まあ、書状にも書かれていたことだしね。俺は、孫蔵に火打石銃を持ってこさせると、それを氏康に渡した。

 氏康は、火打石銃を一通り見ると、『火縄の代わりに、火打石と火打金ヒウチガネが使われているな。これならば、火縄の管理も不要であるし、火薬の事故も減るであろうな。ただし、火打石と火打金は頻繫に交換する必要があるということだな』と感想を述べた。

 俺は、『おっしゃる通りでございます』と氏康の意見に相槌を打つ。

 氏康は氏政に火打石銃を渡すと、火打石銃の発明と鉄砲の三段撃ちという新戦法がどれほど凄いことなのかということを、ここぞとばかりに力説し始めた。そして、氏康は俺のことをやたらと持ち上げるのだが、氏政の目の前でそんなことをされると、居心地が悪くて仕方がないなあ。

「あのー、氏康様。何度も言っていることですが、私の知識は全て神に教わったものであって、私自身に特別な才能があるわけではございません。そのように褒められても、申し訳なさで腹が痛くなります」

「ふん、そんなことなど気にせずに、全て自分の手柄にしてしまえば良いではないか。文句を言う奴など、どこにもおるまい。それにな、わしはおぬしが知識を持っていることを評価しているのではなく、知識を活用して成果を出したことを評価しておるのだ。今、おぬしの名は天下に鳴り響いており、誰もがおぬしと誼を結びたいと考えておるであろう。現に、ここに来る途中、多くの者に声を掛けられたであろうが、あれは娘や孫をおぬしの側室にして、おぬしと縁を結びたいと考えてのことじゃよ」

 側室?えーと、何かあった気がするんだけど・・・。そうだ、菖蒲だ。

「氏康様、お願いしたき儀がございます」

 そして、俺は菖蒲を側室に迎えたいと氏康に伝えた。すると、

「別にかまわんぞ。どうせなら、小田原城下にいる菖蒲の母親も横浜に連れて行ったらどうだ」

 と、氏康から逆提案されてしまった。『なんか、俺に都合が良すぎる気がするなあ』と思い、そのことを氏康に尋ねると、

「おぬしのことを探らせて情報を得たところで、おぬし自身の協力がなければ意味がないことに気付いたからじゃ。自分で言っていても信じがたいことであるが、おぬしの知識や技術は数十年もしくは数百年先の物なのではないかな。であれば、我らがおぬしの知識や技術を活用するには、わしらにも理解できるようにおぬしに説明してもらう必要があるということになるであろうが。現に、景虎との会談の内容を氏政に確認したのだが、氏政は全く理解していなかったぞ」

 と、氏康は答えた。

 要するに、今後も俺の知識や技術を利用したいから、俺の機嫌を取っておこうということなのだろうが、氏政はとんだ赤っ恥をかいてしまったようだね。

「ということで、おぬしと景虎が話した内容を、おぬしの口から説明せい」

 と氏康が言うので、俺は取り急ぎ世界地図を作製し、南蛮諸国の危険性と、日本が一つにまとまらないと南蛮諸国に対抗できないことについて説明したのであった。

「ふむ、それでおぬしの話を聞いた景虎は、『海外に打って出て、虐げられし民を救わねばならん』『この話が事実か否かは、実際に海外に行けばわかる』と言ったのだな」

「はい、左様にございます」

「であれば・・・、氏業よ、おぬしには南蛮船の建造を命じる。船大工と造船用資材は、わしが用意してやろう。その南蛮船で海外に打って出て、わし自らおぬしの話が事実か否かを確かめることにしよう」

 こうして、俺は横浜城に戻って南蛮船を作ることになったのだが、なにぶん南蛮船の建造など日本で初の試みである。氏康もその点が心配になったのか、

「出来るか?」

 と俺に質問してきたので、

「半年間でなんとか形にしてみせましょう」

 と、俺は答えたのであった。

 まあ、以前(前世では)戸田造船郷土資料博物館(静岡県沼津市)で、ヘダ号の模型や設計図を見たこともあるしね。模型を作って設計図を描いたら、あとは船大工に任せれば何とかなるんじゃないかな。


 翌日、俺たち一行が菖蒲の母親のところに行って今までの経緯を説明すると、今すぐ娘のところに連れて行って欲しいということになった。彼女は、自身が人質にされていることで、菖蒲が意に添わぬ仕事をさせられているのではないかと、ずっと気に病んでいたそうだ。ちなみに、菖蒲の母親の名前は桔梗ね。

 こんな感じで桔梗さんの同意も得られたことだし、俺たちは桔梗さんを連れてすぐさま横浜城に帰ることになったよ。一日半かけて横浜に着いた俺たちが見たのは、戦勝祝いに沸く横浜城の姿であった。


(なんだこれ、凄いお祭り騒ぎだ)

 そんなことを考えながら横浜城に入場したのだが、藤殿や家臣たちは俺が帰ってくるのを待ち構えていたようで、俺たちを見るや否や

「みかじりでの戦勝、おめでとうございます」

 と、祝ってくれた。何かね、最近俺に対する家臣たちの信頼度が急上昇している気がするんだよね。俺を頼りに思ってくれるのは嬉しいんだけど、俺に従ってさえいれば良いと思って、自分たちで何も考えなくなるようだと嫌だね。

 まあ、その件についてはおいおい考えることにして、今は一刻も早く菖蒲と桔梗さんを会わせないといかんな。ということで、屋敷内で宴の準備をしていた菖蒲を呼んで今までの経緯を説明し、親子で色々と話すこともあるんじゃないかなとも思ったので、菖蒲には一日休暇を取らせることにしたよ。『親孝行したいときには親はなし』ということわざもあることだし、特にこの時代の人間はいつ死ぬかわからないから、今のうちに親孝行しておくのが良いのではないかな。

 一方、藤殿は『こうして氏業様も帰ってきたことだし、早速戦勝祝いの宴を開きましょう』なんてことを提案してきたが、もう料理は作っているし、これは決定事項ではないかな。俺としても、『しみったれ城主』と思われるのは嫌だからね。『酒や料理は大量に用意してありますよ』と藤殿が言うので、結局、城内の人や村人たちも含めて、皆でどんちゃん騒ぎをすることになったよ。

 こんな感じで、皆に蒸留酒や料理を振舞ったのだが、藤殿が作った鳥の唐揚げ(胡椒抜き)に魚や野菜の天ぷら、お好み焼きなどはとても好評であった。なんか、俺の書いた本に出てくる料理をいくつか再現したそうだが、今度はスイーツにも挑戦したいらしく、砂糖の入手をお願いされてしまった。

 うーん、この時代はまだ日本でサトウキビ栽培がされていないからな。中国から輸入するのも手間と金がかかりそうだし、もち米と麦芽から麦芽糖を作った方が良いのだろうか。

 そういう訳で、藤殿には麦芽水飴の作り方を教えてみたよ。まあ、彼女のやりたいことを応援しようと思ってのことだったのだが、後々この麦芽水飴の生産が横浜の一大産業として発展していくとは、この時は予想だにしなかったのであった。

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