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みかじりの戦い前哨戦

弘治三年(1557年)4月上旬 武蔵国横浜城


 早速横浜城へと戻った俺と孫蔵・弥三郎・平八郎の三人は、藤殿や家臣達の出迎えを受けるが、挨拶もそこそこに兵の訓練場へと向かった。

 藤殿や周囲の家臣たちには、近いうちに上州に出陣することを伝える一方、軍事訓練担当の正木時忠に火縄銃の三段撃ちができるようになったか確認をすると、なんとかなりそうとの回答を得た。時忠が言うには、狭い場所で弾込めしたり、入れ代わり立ち代わり発砲したりすると、火縄の火が火薬に引火して非常に危険と思われたので、何か良い案はないかと鍛冶職人の守重に相談したところ、出てきたのが火打石銃(第3章参照)だったそうだ。すげー、ここで火打石銃が出てくるか。時忠と守重には、後で褒美として越後布をやることにしよう。

 時忠が、『今、横浜城にある三百挺の火縄銃全てを、火打石銃に改造しますか?』と提案してきたので、早速お願いすることにした。これで、鉄砲隊三百を動員する目処が立ったぜ。

 とりあえず、孫蔵・弥三郎・平八郎には火打石銃の射撃訓練を、勘定奉行の安藤九郎左衛門には兵糧・弾薬の確保と物資の輸送について準備をするよう命じてから屋敷へ戻ると、藤殿や家臣たちは改めて

「お帰りなさいませ、氏業様」

「右京進就任おめでとうございます」

 と、俺を祝ってくれた。

 しばらく、俺の留守中の出来事について報告を受けたりしていたが、それもひと段落したので、藤殿と菖蒲だけを残して、例の話を切り出すことにした。


 藤殿は、『いったい何の話でしょう』と首をかしげている。

 菖蒲は、神妙な顔をして俺の前に控えている。

「えー、以前菖蒲に忍びのまとめ役になってもらえないか頼んだ際、母親が北条家に人質に取られているので、長野家だけに仕えるのは不可能と言われたのだが、母親を横浜城に連れてくる算段が付いたので、話を進めて良いか確認のために二人を呼んだ」

 と二人に伝えると、

「それは、とても良いことにございます。わたくしは、ずっと菖蒲と一緒にいられるということですね」

 と、藤殿は無邪気に喜んだ。一方、菖蒲は

「いかなる算段でございましょうか」

 と俺に問いかける。

 うーん、前世で全く女性に縁のなかった俺が、菖蒲にいきなり側室になれと言うのは、かなり難易度が高いぞ。でもしょうがない。俺は深呼吸をしてから、菖蒲が俺の側室になれば、菖蒲の母は俺の義母になるわけだから、堂々と母親を横浜城に連れてくることができると菖蒲に伝えた。

 藤殿は、『わたくしと菖蒲は、同じ夫君を持てるのですね。嬉しいです』なんて言っている。この辺り、令和と戦国時代の価値観の違いを、まざまざと感じるね。

 一方の菖蒲は、『私には勿体ない話ではございますが、皇室を祖(長野家は平城天皇を祖としているよ)とする長野家の若君がくのいちを妻になどしたら、いらぬアザケりを受けましょう。しかも、私は氏業様より十歳年上にございます』と躊躇タメラっている。

 もしかして、心に決めた男でもいるのかと問うが、そういう男はいないとのこと。

俺は、今回の件についていろいろ考えて見たが、一番角の立たない方法はこれしか思いつかないことを伝え、なにより菖蒲の不利益になることは絶対にしないことも念押しして、彼女の説得を試みた。

 藤殿も、『二人で氏業様を盛り立てていきましょう』と言って、菖蒲を後押しする。

 菖蒲は、一つため息をつくと、居住まいを正して俺に問いかけた。

「氏業様がひとこと命令すれば済むことなのに、何故私のような身分の低い者も気遣っていただけるのでしょうか?」

 えーと、戦国時代の価値観だとおかしな行動になるのだろうが、この点について俺は戦国時代に合わせる気はないね。

「命令されて従うのではなく、自身が納得した上で行動して欲しいと思っているだけだよ」

 と、俺は答えた。

 菖蒲は、『参りました。氏業様に従います』と言い、母親を横浜城まで連れてくることに成功したら、俺の側室になった上で、長野家のために忍びを集めて情報収集や身辺警護等の仕事を担当すると約束してくれた。

「長野家のためとあらば、身命を賭して働かせていただく所存にございます」

 なんてことを言っているけど、令和の価値観で考えると、すごいパワハラ・セクハラだよね。そもそも、氏康が菖蒲の母親を人質に取らなければ、こんなことをせずに済んだのだが、このことを誰も問題だと考えていないことが、一番の問題ともいえるのかな。結局のところ、いじめ・パワハラ・セクハラをしている張本人(武士)が権力を握っているのが、良くないよね。俺としては、弱い立場の人々にも発言権(参政権)を与えるべきだと思うのだが、戦国時代にそんなことをすれば、逆に社会が混乱して、弱者に被害が集中するのだろうか。でも、どんな性格破綻者が権力者になるかわからない武断政治よりも、衆愚政治ポピュリズムの方がましだよね。少なくとも、政治の失敗が明らかになれば、政権交代が可能になるからね。やはり、教育制度を整えたうえで、徐々に世の中を変えていくべきなのだろうか。うーん、難しいね。


◇菖蒲の見解◇

 身分としては最底辺のくのいちに対して、氏業様は側室になれとおっしゃいました。

常識では考えられない、破格ともいえる配慮です。今でも、何故こんなことになったのか分かりません。ただ、一つ確かなことは、私の母のために氏業様が動いてくれるということ。

 もし、母と一緒に暮らせることになったら、今まで出来なかった分も含めて、たくさん親孝行をしよう。そして、生涯をかけて氏業様のご恩に報いるのです。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


みかじりの戦い前哨戦


 時は弘治三年四月十五日、北条氏康・氏政率いる一万の軍勢が下野国に布陣するのとほぼ同時に、上信国境に潜んでいた山賊集団千五百の軍勢が松井田城(群馬県安中市松井田町)へ襲い掛かった。西上州の軍勢は、各村への山賊被害を防ぐために分散配置させられていたため、松井田城は即日落城。金目の物と食糧を略奪された松井田城は、山賊連中に火をつけられ、炎上した。 

 事態を重く見た安中忠政・忠成親子は、周囲の領主に援軍を要請すると、すぐさま千五百の兵をまとめて山賊討伐へと向かった。

 安中軍と山賊軍は、松井田城近郊で衝突した。

(率いる兵は同数であるが、山賊ごときが、日々戦いに明け暮れる正規兵に敵うはずあるまい)

そう考えた安中忠政は、後閑城主の後閑長門に兵五百を与え、敵の大将を討ち取ってくるよう命じた。

 後閑長門、山賊ごときに何するものぞと、敵大将の鉄仮面に突撃するが、一刀のもとに斬り伏せられる。先鋒の兵五百もあっという間に壊滅する。

 敵の力量を見誤ったことを悟った忠政は、息子の忠成に残兵を安中城まで撤退させるよう命じると、周囲の兵二百を率いて、山賊軍に突撃した。

 安中忠政の決死の攻撃により、安中忠成は千の軍勢を安中城まで引き揚げさせることに成功した。しかし、山賊軍との初戦は、後閑長門・安中忠政など五百の戦死者を出した上州勢の敗北に終わったのであった。

 初戦に勝利した山賊軍は、城主不在となった後閑城(群馬県安中市中後閑)を占領し、周囲の村々の略奪を始めた。

 一方、安中忠成は援軍が到着するまで、ひたすら安中城の守りを固めるのであった。


 4月中旬に上野国で戦闘があり、安中軍が山賊軍に敗北したとの報は、瞬く間に関東中に知れ渡った。

 壬生・佐竹・里見はすぐさま攻勢に打って出たため、氏康はその対応に追われて、上州にまで手が回らなくなっているようだ。

 そんな中、ついに俺にも出陣の命が下った。ということで、俺は大石氏照と共に兵を率いて安中城へと向かった。ちなみに、俺が率いているのは鉄砲隊三百で、氏照は騎馬二十と歩兵二百八十を率いているよ。

 安中城には、二千程度の兵が集結しており、その中には父業政の姿もあったのだが、思っていたより兵の集まり具合が悪いな。やはり、既に農繁期に入っていることだし、自分の城にも兵を残す必要があるのだから、安中城に集められる兵はこんなもんか。とりあえず、この場で一番偉いのは氏康代理の氏照だというので、安中城に集まった諸将は氏照を上座に据えて、軍議を始めるのであった。

 

 まずは、安中忠成が今までの経緯を説明した。それによると、安中軍を撃破した山賊軍千五百は、後閑城を占領すると同時に、四方の村々を略奪し始めたそうだ。金・銀・食糧を奪うだけでなく、人も攫って男は兵士に、女は奴隷にしてこき使っているらしい。今や、山賊軍の総数は三千に届くのではないかといわれている。

 上州軍も山賊を追い払うべく何回か出兵してみたものの、ことごとく返り討ちにあったそうだ。氏照は、『山賊ごときに何をてこずっておるか。なんなら、私自らが出陣して、敵大将の鉄仮面とやらを討ち取ってみせよう』などと言っているが、忠成は『奴らはただの山賊に非ず。戦う様は武田軍を思い起こさせまする』と言って、氏照の案に反対する。

 『ではどうするつもりだ。このまま山賊とにらみ合いを続けて、村々が荒らされるのを黙って見ているつもりか』と氏照が糾弾するので、俺は『私に一つの案がございます』と答えた。

 氏照は、大して期待していない様子であったが、とりあえず言うだけ言ってみろと俺に言うので、これ幸いと話しを続けた。

「此度の戦いでは、鉄砲隊を主力として用いたいと思います。地図を見ていただきたいのですが、私の率いる三百の鉄砲隊は、後閑城と安中城の中間にある『みかじり』の地にて待機。鉄砲隊の前面には馬防柵を設置し、敵騎馬隊の突撃に備えます。先鋒は後閑城に攻め込み、わざと負けていただきます。そのまま『みかじり』まで敵を誘い出していただければ、後は我が鉄砲隊の三段撃ちにて敵を壊滅させて御覧に入れましょう。氏照様は、軍監として我が軍の後方に待機していただきたいと思います」

 周囲の反応は、『常時、戦場に百の弾丸が飛び交うというのであれば、敵はひとたまりもあるまい』『本当にそのようなことが可能なのか?』といった感じで、その戦法については賛否両論であった。しかし、代案が無かったことと、業政の『後詰を多くすれば良い』という意見によって、俺の案は実行されることとなった。氏照は、『鉄砲隊の三段撃ちなど臆病者の戦法だ』なんて言っていたけど、父業政のひと睨みで黙り込んでしまった。さすがの氏照も、歴戦の古強者の眼力には敵わなかったようだね。まあ、軍議で決まったことなのだから、ちゃんと従ってくれよな。


弘治三年(1557年)4月23日 上野国碓氷郡みかじり


 作戦当日の朝、俺は父業政と共に三百の鉄砲隊を率いてみかじりに進軍すると、早速馬防柵の設置を開始した。ちなみに、先鋒は安中忠成率いる一千の兵で、氏照率いる三百の兵は鉄砲隊の後ろに待機しており、その後方には五百の兵が控えていた。安中城で留守番しているのは兵五百ね。

 馬防柵の設置が完了すると、先鋒隊に合図を送った。

 先鋒の将、安中忠成は一つうなずくと、一千の兵と共に後閑城へと攻めかかった。

 あとは、敵がみかじりに誘い出されて来るのを待つだけだ。忠成殿、頼みましたぞ。


◇小幡信貞視点◇

 数日前から、急に安中城が慌ただしくなったので、カラスを飛ばして見てみれば、なんと祖父業政と氏業がいるではないか。もし、奴らが後閑城に攻め寄せて来るのであれば、これは好機。安中城の兵を蹴散らし、業政と氏業を討ち取ってしまえば、西上州はオレの物になるではないか。

 とりあえず、一千の兵は引き続き周辺の村々を襲わせて、五百の兵は城の防衛に回すとして、あと内藤昌豊と真田信綱にも『近々、上州軍が出撃する気配あり』と伝えておくとするか。昌豊と信綱も独自に動いているようだが、何か御屋形様から密命でも受けているのだろうか・・・。

 そして今日、業政と氏業がみかじりに出陣するのを確認した。先鋒は一千で、業政と氏業が率いる鉄砲隊は三百といったところか。鉄砲隊の数が少々多い気もするが、怨霊の力で強化した我が軍千五百の攻撃の前には、ひとたまりもあるまい。業政と氏業よ、今日がお前たちの命日だ。

◇ ◇ ◇ ◇ 

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