汚染の浄化と和睦の条件
景虎と俺たちが案内されたのは、臭水で汚染された畑であった。確かに、油井から染み出た臭水が畑に流れ込んでいるね。
景虎は畑の前に立つと、両手を前に出して精神集中を始めた。景虎の背後から白い炎が燃え上がる。待つこと数秒、白い炎の消滅と同時に、臭水の汚染も畑から消えていた。
「浄化の怨霊魔法じゃな」
いつの間にか怨霊神業盛が現れ、俺にだけ聞こえる声でつぶやいた。
「怨霊神様、怨霊魔法は汚染物質を浄化することもできるのですか?」
「おぬしや景虎は、聖なる物(仏像・経典など)や行い(博く民に施して能く衆を済うこと(論語:雍也第六の30))によって浄化した怨霊、すなわち『御霊(ごりょう:怨霊が鎮魂されて良い霊に転化した状態)』から力を得ているのだから、汚染の浄化ぐらいできるのは当然ではないか」
とのこと。
へーそうなんだ。腐った水や食糧を浄化できるなら、戦争でも役に立つではないか。そんなことを思っていると、景虎が『こっちに来い』と俺を呼んでいる。
いったい何事かと思いながら傍に行くと、『氏業殿も汚染の浄化を手伝ってほしい』何てことを言ってきた。
汚染物質を除去する様子を思い浮かべながら、例の力を発動すればよい、と景虎が言うので、そのようにしてみると確かに畑から汚染物質が消滅した。
「なんと、氏業殿も御実城様(長尾景虎)と同じ力が使えるとは」
景虎の家臣や村人たちから称賛の声が上がる。まあ、褒められて悪い気はしないよね。
良い気分でいる俺の肩を、景虎がポンと叩き
「では氏業殿、あとは任せた。わしも、いい加減春日山に戻らねばいけないのでな」
などと言い出した。
おいおい、俺に汚染の除去を全てやらせるつもりかよ。
「おぬしは、わしに何かさせようとしているのではないか。あとで話を聞いてやるから、まずはわしのために力を振るうがよい。『己の欲する所を人に施せ』とも言うではないか」
だってさ。
本当は『己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ(論語:顔淵第十二の二)』なんだけど、景虎の積極性が窺える良い言葉とも言えるかな。
まあ、乗り掛かった舟でもあるし、しょうがないので、このあと数日尼瀬に滞在し、汚染された土地を浄化して回ったよ。すげー疲れた。
弘治三年(1557年)3月24日 越後国春日山城
尼瀬で臭水の精製方法を伝え、ついでに汚染も除去しまくった俺は、氏政達を連れて春日山城へと戻った。越後での用も済んだことだし、景虎に一言挨拶してから帰ろうかと思い、春日山城を登ろうとすると、山のふもとで景虎が俺達を待ち構えていた。
「景虎様は、城下に何か用でもあったのですか?」
と俺が尋ねると、景虎は『そうではない』と回答した。何やら、景虎には十里(約40㎞)先の人の動きを探知する能力があるそうで、ちょいと念じて俺の動きを探ったうえで、ちょうど俺たちが春日山城下に着く頃を見計らって待っていたのだそうだ。ふむ、景虎の怨霊魔法は『探知』に特化しているということなのか?
まあ、あの春日山を登らずに済んだのは良いことだ。
早速、景虎に小田原に帰るので暇乞いに来たことを伝えようとすると、
「尼瀬での臭水の精製方法伝授と汚染物質の除去、誠に大儀であった。お礼代わりに、おぬしの質問に一つだけ答えてやるとしよう。何を言おうが手討ちにはせぬから、安心して申すがよいぞ」
景虎はこう言うと、俺に向かってニヤリと笑った。
ここまでお膳立てされているのであれば是非もなし。ということで、俺は以前から考えていたことを、景虎にぶつけるのであった。
「私が聞きたいのは、長尾家と北条家の和睦の条件にございます。景虎様もご存じと思いますが、北条領内は税が安く、民は善政を謳歌しております。そして、氏康様はいくさに強いだけでなく、政治力もあるお方です。長尾家と北条家はいくさに力を費やすのではなく、互いに手を取り合って、この日ノ本を強くて豊かな国にすることに力を注ぐべきではないでしょうか」
すぐさま『勝手なことを言うな』と氏政が声を上げたが、景虎がひと睨みするとすぐに黙り込んだ。
景虎は、暫し考え込むと、徐に俺に向かって話し始めた。
「北条家との和睦か。そうだな、まず上杉家の名跡と関東管領職をわしが継ぐのを認めることが大前提となるかな。もちろん、北条家はわしの下に付くことになるぞ。その上で、北条家が上杉憲政公から奪った上野国を返してもらう。これが和睦の条件だが、おそらく氏康殿は受け入れまい。そうであろう、氏政殿」
この景虎の発言に対し、氏政は
「このような条件、断固として認められん」
と言い切ったのであった。ひざはガクガクしているけど、さすが戦国武将。言う時は言うね。
一方、景虎は俺に対し、諭すようにこう言った。
「のう、氏業よ。わしらは武士なのだ。武士が土地と民を支配しているのは、力を持っているからなのだ。もし、氏康殿がわしの言うとおりにしたら、北条家は力なきものと判断され、家臣たちは離反するであろうな。遅かれ早かれ、長尾家と北条家はいくさで雌雄を決する定めにあるのだ。おぬしの争いを避けたいという気持ちもわからぬではないが、時には戦いで白黒つけることで、逆に被害を最小限に抑えることもあろう。わかったら、さっさと小田原に戻って軍備を整え、次の戦いに備えるがよい」
実際、俺自身が北条家と長尾家の和睦は不可能と思っているから、想定内の回答ではあるね。まあ、景虎が話の通じる相手であるとわかったのが、一番の収穫と言えなくもないかな。
越後でやるべきことを終えた俺達に対し、景虎は今回の礼として最高級の越後布を用意してくれた。一応氏政に目配せすると、こくんと頷いたので、ありがたく頂戴することにした。
「いずれ近いうちに、わし自ら小田原に赴くであろう。その際、再びおぬしたちと相まみえるのを楽しみにしておるぞ。ではまたな」
こうして、俺たちの越後訪問は終わりを告げたのであった。
第七章 完




