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第2章 国峰城訪問

長野松代丸:本作品の主人公。

怨霊神業盛:主人公を長野松代丸に転生させた張本人。

長野業政:上野国箕輪城主。長野松代丸の父。

小幡信貞:長野松代丸の4歳年上の甥。父は上野国国峰城主小幡憲重。

藤井孫蔵忠安:松代丸の側近その1。石鹸担当。

青柳弥左衛門忠勝:松代丸の側近その2。ガラス担当。

牛尾平八郎忠教:松代丸の側近その3。硝石担当。

堀口新兵衛:長野家の御用商人。

成重:箕輪城下の鍛冶職人。


第2章 国峰城訪問


 さて、先程から時折話に出てくる小幡家といえば、長野家と同様代々関東管領上杉家に仕える、西上州南部の有力国人である。対武田戦では最前線になるため、業政も娘2人を嫁がせるなど、特に重要視している。

 小幡家は、現在長野家と共に北条家に従属しているが、この後武田派と反武田派に分かれて内部抗争を起こすんだよな。一度は、父業政の支援を受けた反武田派の景定義兄上(業政次女於富夫)が、武田派の憲重義兄上(業政長女正子夫)を追放して国峰城を奪うんだけど、父上の死後、武田の支援を受けた憲重義兄上が国峰城を奪還し、以後、国峰城は武田家による西上州攻略の拠点となるんだったな。

 国峰城への旅路の最中、そんなことを考えながら馬に揺られていると、

「また、何かわしに言いたいことがあるのか?」

 と、業政が話しかけてきた。せっかくの機会である。業政に打ち明けることに決めた。

「父上、例の(未来の)件で、お話ししたいことがございます」

「なんじゃ、やけに改まった物言いだな。では、休憩を取るとしよう。護衛の者は周囲を警戒せよ」

 そして、俺に対しては、

「人払いをしたのだから、いちいち畏まらずに、思うところを存分に申せ」

 と言うので、それならばと、今後起こるであろう小幡家の内部抗争と、その結末ついて説明した。

「ほう、つまりおまえは、わしに婿殿を、小幡憲重を討ち取れと、そう言いたいのだな」

 業政の殺気が膨れ上がっていく。

「違います。父上、落ち着いてください。どうして、憲重義兄上を殺すことになるのですか。私が言いたいのは、武田派を我らの味方にできれば、歴史も良い方に変わるのではないかということです。そのためにも、石鹸と、これから作る予定のガラス製品や硝石を使い、利で武田派を切り崩すのです。小幡家中が反武田派でまとまれば、憲重義兄上も家中を割ってまで武田につくなどと言えないと思います」

「わかった。心の隅にとどめておこう」

 業政の殺気が収まった。やべー、戦国の人、短気すぎ。また死ぬところだったよ。


 休憩を終えた業政一行は、一路国峰城へと向かう。季節は初夏であるため、明るいうちに国峰城の大手門へ到着した。

「ようこそ、お越し下されました」

 早速、小幡憲重・正子夫妻が出迎え、主殿へと案内してくれた。

 まもなく、小幡景定・於富夫妻も現れ、お決まりの家族紹介の後、皆で夕餉を取ることになった。

 姉上たちは、『しばらく見ないうちに大きくなりましたね』などと声をかけてくれたが、この場で最も注意しなければならない人物は、小幡憲重の長男、小幡尾張守信貞である。

「あやつは、箕輪城落城後、武田家の下で我に取って代わって西上州武士団のまとめ役となった男だからな」

 なんか、怨霊神業盛も話に割り込んできた。怨霊神は、信貞に色々思うところがあるらしく、妙に警戒している感じがするなあ。

 俺としては、後々武田軍の先鋒として箕輪城に攻め込んでくる信貞を味方にできれば、歴史も随分変わるのではないかなと思っていたのだが、知らぬところで既に歴史を変えていたことが判明した。

衝撃の事実発覚。来年元服するはずの信貞が、もう元服していた。

 元服が早まったのは、憲重の言い方だと俺が原因らしい。九歳の俺が、夜遅くまで仕事をしているのを聞いて、対抗心から元服を早めることになったそうだ。

 俺は、ただ特産品と長野家滅亡回避のことを、毎日遅くまで考えていただけなんだけどね。

 それにしても、憲重義兄上、そういうことは当事者の前で暴露しちゃあだめだよ。子供の自尊心にも配慮しないと、信貞殿がぐれちゃうぞ。実際、信貞殿の俺を見る目は怖いし・・・。

 まあそれはそれとして、

「父上、信貞殿が元服するのは来年のはず。思わぬところで歴史を変えてしまいました」

 と、業政の耳元でささやくが

「おまえは、石鹸を作り、わしに未来の出来事を告げるなど、歴史を変えるためにいろいろと動いているのだろう?そんなのあたりまえではないか」

 と呆れ顔をしている。であれば、俺の知る歴史を過度に当てにするのは危険なのか?でも、永禄の大飢饉とかは間違いなく起こるだろうから、歴史の大筋は変わらない?などと考えていると、

「松代丸よ、あれこれ考えても仕方あるまい。問題があれば、自らの持つ全ての力を用いてそれを乗り越えるのみだ。この話はここで終わりとし、肝心の石灰の話をしようではないか」

 そして、業政は石鹸を取り出し、実際に手洗いをして見せた。小幡家の皆さんも、石鹸を用いて手洗いや洗濯をしてみたのだが、汚れの落ち具合に驚きを隠せない様子。

 結局、石鹸やこれから作るガラスの碗を小幡領に安く卸すことを条件に、石灰を融通してもらえることになった。

「それにしても・・・」

 小幡憲重が言うには、『石灰の使い道など畑にまいて土壌改良するくらいしか使い道がないと思っていたのだが、どこでこのような使い方を知ったのですか』と尋ねられたので、業政は、息子が榛名神社の御祭神から知恵を授かったと説明した。

 小幡信貞の俺を見る不穏な眼は、ちょっと気になった。


◇小幡信貞の見解◇

 俺は、昔から年下の叔父と比較され続けてきた。そもそも、小幡家と長野家は同格のはずなのだが、長野家は現当主業政の時代に急速に力をつけ、上州一揆の旗頭と目されるようになった。だが、その業政も高齢となり、嫡男はまだ九歳の子供である。俺への期待が高まるのは無理ないと思うし、それはむしろ望むところであった。

 しかし、ここ1~2カ月の間に、我が叔父君の評判は急上昇した。毎日勉学に励む一方、特産品開発にも力を注ぎ、評定でも発言を求められることがあると聞いている。

 実に面白くない。父上や母上が奴を誉めそやすのも、実に気に入らんぞ。


現代知識を活用して特産品を作ろう その2


 さて、箕輪城に戻った俺は、ガラス加工に必要な道具が揃うのを待ってから、ガラス生産に着手した。

 用意した材料は、水晶・木の灰・石灰・コークスである。ちなみに、コークスは乗附の亜炭を炭窯で蒸し焼きにして作ってみた。

 本来、ガラスの主要3大原料は珪砂・ソーダ灰・石灰なのだが、石鹸と同様にナトリウムを含むソーダ灰の作り方がよくわからないので、今回はソーダ灰を炭酸カリウム(木の灰に10~30%程度含まれている)に変えたカリクリスタルを作ることにした。

 ちなみに、カリクリスタルの原料である珪砂・炭酸カリウム・石灰の質量比は、72:18:10で、溶解温度は1450度だそうだ。群馬県みなかみ町にあるガラス工場の社長に直接聞いたことだから、間違いないはずだ。

 とりあえず、薬研で粉末化した水晶・木の灰・石灰をルツボに入れ、コークスで熱してみることにした。

 ふいごで空気を送って火力を上げると、ルツボの中のガラス原料が溶解したので、鉄の棒で絡めとって平らな石の上に広げ、いびつな平皿のようなものをいくつか作ってみた。まあ、弥生時代の九州では、既にガラス製の勾玉が作られていたみたいだから、製造方法さえわかれば、戦国時代の上州でガラスぐらい簡単に作れるよね・・・。

 吹き竿も使ってみたが、うまくガラスを膨らませることができなかった。このあたりは、弥左衛門に頑張ってもらうことにしよう。ただ、たまたまボヘミアガラスの製造方法と同じになったようで、透明で頑丈なガラスができたのは、うれしい誤算であった。

 業政に渡した試作品は、石鹸と共に北条家や近隣の国人衆に配られたそうだ。

 その際、製造方法を発見したのが息子だと触れ回ってしまったため、俺はちょっとした有名人となり、数年後に北条氏康とひと騒動起こすことになるのだが、その時の俺には知る由もなかった。


天文二十一年(1552年)5月


 夏が近づいてくる。

 上州でも養蚕が始まったので、平八郎と俺たちは、早速塩硝土を作り始めることにした。

 作り方は簡単で、今までに掘った屋敷内の穴の中に、土・干し草・蚕糞さんぷんを交互に入れて、4~5年発酵させるだけである(培養法)。ちなみに、五箇山ではその穴を煙硝厩えんしょうまやと呼んでいるぞ。

 もちろん、硝石生産のために4~5年も待てるほど時間に余裕はないので、培養法とは別に、今まで平八郎が集めた床下土を使った硝石生産も始めることとした(古土法)。

 その作り方を簡単に書くと、『①床下土に水を注いで一晩おき、硝酸カルシウムを抽出する』、『②その上澄み液をろ過し、灰(炭酸カリウム)と一緒に煮詰める』、『③できた溶液をろ過し、ろ液を煮詰めてさらにろ過して一晩おくと、硝酸カリウムが析出する』、だそうだ。

なんか、ひたすらろ過して煮詰める工程を繰り返している感じだ。それにしても、灰の汎用性高すぎ。

 まあ、こんな感じで石鹸・ガラス製品・硝石が完成した。

 あとは、品質を上げないと使い物にならないのだが、これは孫蔵・弥左衛門・平八郎の3人に任せることにした。

 孔子も、権限移譲と役割分担は重要だと言っていたしね。決して丸投げじゃないよ。

 そして、俺は今のうちに懸案事項をまとめて、対処方法を考えることにした。早めに対策を練れば、長野家の滅亡を回避し、子孫を残すといった怨霊神の願いもかなえられるんじゃないかな・・・。


 さて、これから起こるであろう事柄を並べてみると、次のようになる。


1559年 5月 国峰城が小幡景定の手に落ち、小幡憲重は甲斐に逃れる。

1560年 5月 桶狭間の戦いで、今川義元が織田信長に討たれる。

1560年10月 長尾景虎が関東に出陣し、厩橋城を拠点とする。長野業政は長尾景虎に応じ、北条氏康と戦う。

1561年 3月 長尾景虎は十万余の兵で小田原城を包囲するも、城を落とすこと能わず、越後に兵を引く

1561年 6月 長野業政病没。

1566年 9月 箕輪城落城。長野業盛ら自刃する。


 手っ取り早く歴史を変えるなら、以前国峰城を訪ねた時にも述べたように、小幡憲重を味方につけることだ。まあ、話をした感じだと、憲重は大丈夫そうだが、息子の信貞は俺に良い印象を持っていないようだ。とりあえず、今後も小幡家には便宜を図り、我々の味方になるよう働きかけるとしよう。

 次に、1560年の長尾景虎による関東侵攻であるが、長野家は代々関東管領上杉家に仕えた家柄である。上杉憲政を擁する長尾景虎に従わないという選択肢は、立場上選べないようだ。もちろん、独立など選んだ日には、即長尾景虎に攻め込まれるし、俺だけ北条家に残って親子で戦う、という選択もできれば避けたい。戦乱が長引いてしまうからね。

 ベストなのは、1度の戦争で全てけりをつけることだ。であれば、1561年3月の小田原城包囲戦で、なんとしても小田原城を落とすしかない、ということになる。そして、北条家が長尾景虎の軍門に降った後は、桶狭間の戦いで混乱する今川家を従えて、今川義元の弔い合戦という名目で織田信長・松平元康連合軍を打ち破り、その勢いで上洛すれば、上杉政権の誕生ではないか。俺は、上杉家の重臣となり、上野国を領地としてもらうことにしよう。そうだ、それが良い。そのためにも、攻城戦に有効な新兵器開発に乗り出すしかないな。

 あと、この計画に一つ問題があるとすれば、長尾景虎の関東侵攻と同時に、父業政が体調を崩すことであろうか。年齢的に寿命といってしまえば終わりなのだが、今から仕事を減らして食事に注意することで、何年か寿命を延ばすことも可能であろう。早速、明日から体に良い食事を取るよう提案してみることとするか。既にいくつか実績を積んだ俺の発言であれば、父も無下にはしないであろうからね。


 父の部屋に向かうと来客中であったので、俺は廊下で待たせてもらうことにした。

 待つこと数分、俺は父の部屋に呼び出された。客は、上泉秀綱であった。

 上泉秀綱といえば、新陰流の祖で、後に剣聖と讃えられる剣豪である。

 プロローグにも出てきたとおり、箕輪城が落城する最後の時まで業盛と共に戦ってくれた武将なので、ぜひともお近づきになっておかねば、などと考えていると、徐に父が口を開いた。

「松代丸よ、お前も知っているとは思うが、こちらは上泉伊勢守秀綱殿だ。今日は、秀綱殿にお前の剣の稽古を見ていただけないか話しておった所だ。ほれ、お前からも頼むがよいぞ」

 上泉秀綱と親しくなるのは願ってもないことなので、俺からも是非にとお願いした。

 秀綱殿は、優秀な若君を任されるとは責任重大だ、と言って部屋から去っていった。

 これからは、秀綱殿に呆れられぬよう、剣術にも力を入れないといかんな。

 

 さて、客人もお帰りになったことだし、早速本題に入ろうかと身構えると、業政が先に口を開いた。

「そろそろ来る頃だと思っていたぞ。お前なりに今後の方針をまとめたのであろう。参考がてら聞いてやるとしよう」

 と言うので、九年後の小田原城包囲戦でなんとしても小田原城を落とし、その勢いで東海道を西上して上洛し、長尾景虎を天下人にする計画を業政に伝えた。

 そして、この計画を成功させるには、『①小田原城を攻略するための新兵器開発』、『②武田家の援軍を押さえるために業政が健在であること』が必要なことも伝えた。史実では、信濃に出兵した武田軍のせいで、長尾(上杉)軍は小田原城攻めに集中できなかったそうだが、もし箕輪城に業政が健在で、武田軍はこの業政が食い止めると宣言したならば、長尾(上杉)軍も小田原城攻めに専念できるんじゃないかな。

 新兵器としては、おなじみの火縄銃や越後の臭水くそうずを使った火炎瓶を用意するのはどうかと伝えた。さらに、新兵器の扱いや、土木や建設に特化した技能を持つ『工兵隊』を創設することも提案してみた。もちろん、工兵隊は常設の隊である。新兵器の運用には特殊技術が必要であるし、守秘義務も求められるからね。

 できれば、春の田植え時期でも秋の収穫時期でも、いつでも行軍できる常備軍を創設したいのだが、やはり衣食住の提供には金がかかるか・・・。 

 一方、業政の健康問題については、塩分控えめ、野菜多めの食事を取り、仕事は減らして温泉に浸かりながら心穏やかに過ごすのはどうかと提案した。実際、戦国時代の城主なんて、ブラック労働の最たるものでないかな。年中無休で、夜もゆっくり休むことはできず、判断を間違えると一族郎党ともに滅亡である。やはり、誰かが犠牲になることを前提としたシステムは、人道上問題ありと判断せざるを得ない。組織の持続可能性を考えれば、城主に権限を集中させるのではなく、家臣に権限委譲して、役割分担するのが当然ではないかな。

 その他、臭水採掘に『上総掘り』を導入したいので、『練習がてら上総掘りで箕輪城下に温泉を掘ること』と、『情報漏洩防止の観点から湛光風車率いる忍びを数名貸してほしいこと』についても協力を求めたが、業政はそれに待ったをかけた。

「ちょっと待て。情報量が多すぎる。少し頭の中を整理する時間が欲しい」

 とのこと。ひとしきり唸った後に出た業政の感想は、

「できる、できないは別として、これはまた、途方もないことを考えるものよ」

 であった。業政によると、関東管領上杉家の下で長野家が天下取りの手伝いをするのは、全く問題ない、というか積極的に行うべきだそうだ。ただ、それはそれとして、業政には気になることが一つあるという。業政は、俺に問いかけた。

「松代丸よ。おまえ自身が天下を望む気はないのか?」


 うーん、俺が天下を取るのか?

ちなみに、怨霊神に尋ねたら、好きにせい、と言われた。

 もし、俺が天下を望むなら、上杉謙信が健在な内はひたすら力を蓄え、謙信没後に発生するお家騒動では弱い方に肩入れして、上杉家中での影響力を一気に高めるという手法を取るかな。長野家が上杉家以上の力を持つことになれば、天下は自ら長野家に転がり込むであろう。まあ、優秀な後継者である上杉景勝と上杉家乗っ取りの障害となる直江兼続は殺さないといけないのかな・・・。あれ、何か急に気が滅入ってきたぞ。やはり、俺に人殺しは無理だ。

 もちろん、俺とて自己顕示欲もあれば野心もある。天下を取り、自分の好きなように国づくりをしたいという思いは持っている。しかし、権謀術数を駆使して他人を蹴落とし、あまつさえ多くの命を奪ってまで手に入れた天下に、何の意味があろうか。

「父上、各々の家には分というものがございます。分を超えた願いを実現するには、謀略や手管を用いる必要がありますが、それは人々の恨みが集まるところであるため、穏やかに治まることなどありえません。やはり、おのれを恭しくして、ただ一途に勤めるべきところを勤めるに如くはないと思います」

 そう、長野家は西上州の平和を守り、民が安心して暮らせるよう、一途に政道の本意を勤めればよいのである。もちろん、国や民を愛し、おのれを恭しくして本業に勤めた結果、長野家に天下が転がりこんだのであれば、喜んで受け取るけどね。


◇長野業政の見解◇

 『関東管領上杉家の下で、長野家は天下・国家のために戦う』、何と甘美な夢であろうか。

 上野国一国すら掌握できなかったわしとは、えらい違いだな。

 もう認めるしかあるまい。息子は、わしなどとは比べ物にならぬ人間であることをな。

 すると、気になることが一つ浮かび上がってきた。

 こやつであれば、長尾景虎なんぞに頼らずとも、自身の力で天下人になれるのではないか。

 息子の答えは、『長野家の分を守り、おのれの職務を全うすべし』、であった。

 なんとも、優等生というか儒家風の回答で面白みに欠けるのぅ。

 息子の言い方だと、そもそも日ノ本の領土には限度があるので、各々が止まるところを知らずにおのれの利益ばかりを追求し続けた場合、他人のものを奪い尽くさなければ満足しないという状態になってしまう。だから、分を守ることが重要なのだそうだ。

 その他、息子は金で兵を雇う常備軍の創設も提案してきた。わしは、『常備軍などただの金食い虫で、以ての外だ』と思ったが、軍の近代化は長野家が生き残るために必須なのだそうだ。奴は、20年後には常備軍が一般的になるというが、本当だろうか。確かに、農作業と関係なく戦争できるのは魅力的といえるが・・・。

 この件については、とりあえず工兵隊を作って様子を見ることになった。工兵隊は、普段は公共工事をさせて、戦時には新兵器を扱わせるそうだ。成果が出たら、金で雇う兵を増やしてやろう。

 いずれにせよ、この歳になって楽しみが増えた。

 天下静謐のため、長野家が日ノ本を舞台に戦う姿を見られるというのであれば、長生きでも何でもしてやろうぞ、松代丸。


箕輪城下に温泉を掘ろう


 さて、改めて父業政の協力を得た俺は、早速上総掘りで温泉を掘ることにした。

場所は、約450年後に箕郷温泉が建つ予定の、箕輪城南方2.5キロ地点(高崎市箕郷町上芝)である。

 メンバーは、俺・孫蔵・弥左衛門・平八郎の四名に工兵隊候補者数名を加えた十余名で、御用商人の堀口新兵衛に作らせたシャベルを全員に持たせた。

 そして、後々新兵器開発にも使うものだから使い方をよく覚えるように、と皆に言い含めてから、上総掘りの櫓を組み始めた。

 ちなみに、上総掘りとは、明治初期に千葉県中西部で考案された、人力で掘り抜き井戸を掘削する工法のことである。竹の弾性を利用することで、重い鉄管を容易に上下させることができるため、少ない機材と人員(2~3人)で、360メートル以上の掘削深を得ることが可能となっている。

上総掘り模型については、新潟市秋葉区の石油博物館で実物を見たんだよね。ネットの動画でも実際に掘っている様子を見たし、何回か実践すれば上手にできるようになるんじゃないかな。

 作るのに一番難しかったのが掘り鉄管内部の弁であるが、堀口新兵衛に紹介された鍛冶職人の成重に用意してもらった。絵図面や口頭の説明だけではよくわからなかったようだが、竹と木で模型を作ってあげたら理解できたようだ。

 とりあえず、皆に操作方法を教え、しばらく温泉掘りを続けてもらうことにした。

 早く温泉が湧くと良いな。

 その間、俺は温泉施設や浴場の設計をすることにした。

 うーん、領民が気軽に入れる銭湯みたいな施設がいいかな。あと、領主や富裕層向けの個室風呂も作ろうかな。そして、入り口には例の置物を置いて・・・。

やっぱり露天風呂は必須だよね。三波石を使った岩風呂も良いね。藤岡市の三波石峡に行って、取ってこないと。

 そして、浴場を作るのに忘れてはならない、箕郷町でお馴染みの建材といえば、もちろんコンクリート(混凝土)である。箕郷町には、コンクリートブロックで有名な大企業もあるからね。コンクリートは、生石灰と榛名白川の川砂を水で混ぜれば簡単にできるので、これからも建築や土木工事に積極的に使っていきたいものだね。

 そんな感じで一カ月が経過し、ついに温泉が湧き出たとの報告を受けた。

 やったね。これからは、いつでも好きな時に温泉に入れるよ。


 その後は、工兵隊の皆さんと一緒に、シャベルで建物の土台を掘ったり、コンクリートで浴槽を作ったり、上に簡単な小屋を建てたりした。また、業政用に三波石を使った露天風呂も作ってみた。業政は、これを結構気に入ったらしく、箕輪城を訪ねてきた客人たちにも使わせているようだ。

「ところで若様・・・」

 藤井孫蔵が話しかけてきた。

「何で、温泉の入り口に猫の置物があるのでしょうか?前足を上げているのは、何か意味があるのですか?」

「ええと、右手を上げている猫は金運を招き、左手を上げている猫は客を招くらしいよ。ついでに言うと、私はこの温泉を招き猫温泉と名付けるつもりだよ」

 と、俺は答えた。

 えっ、猫が金運と客を招く?そんなの聞いたことないぞ、と一人悩み続ける孫蔵を見た俺は、1552年時点で招き猫が知られていないということは、太田道灌による自性院説は、歴史的根拠とは関係のない伝説ということなのかな?それとも、井伊直孝(最後の箕輪城主井伊直政の次男)の豪徳寺説が正しいのだろうか、と思ったりもした。


 なお、この後だるまづくりの製法で作った招き猫が評判を呼ぶことになるのだが、それは全くの余談である。


◇北条氏康の見解◇

 最近、長野家の話をよく聞くようになった。

 少し前に、石鹸やガラス製品を献上されたが、今度はよくわからない設備を使って井戸掘りや温泉掘りをしたり、見たこともない建材を使って建物を建てたりしているそうだ。

 しかも、その全てがわずか九歳の嫡男の発案によるものらしい。

 何か、常識では計り知れないことが起きている、そんな気がしてならなかった。

「外郎家当主、宇野藤右衛門と風魔小太郎を呼べ」

 とりあえず、商人と忍びを箕輪城に出入りさせ、例の嫡男を探らせることにするか。

 役に立つなら取り込むのもよいが、もし北条家に害をなす者であれば、長野家ごと捻り潰してくれよう。


第二章 完

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 塊コークスはできませんが粉のコークスが多少できますね 逆に火はつきやすいので燃やすなら最適かもしれません 失礼しました [一言] 更新楽しみにしています
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