長野氏業、長尾景虎と問答する
景虎は着座すると、俺と氏政に向かってこう話しかけた。
「臭水の精製方法を伝えるために、小田原よりわざわざお越しくだされ、恐縮に存じまする」
「いえいえ、こちらこそ越後の龍と称せられる長尾景虎公とお会いできるのを、楽しみにしておりました」
とりあえず、今回の景虎との会談は、すべて氏政に対応させることにしているよ。俺は、何か質問された時だけ答えれば良いので、多少気は楽かな。
「ところで、この度は左京大夫(北条氏康)殿が率先して石油ランプを世に広めたと伺っておるが、どういう意図で石油ランプを世に出したのか、教えてはもらえんかの。まさか、昼だけでなく夜も民を働かせて、より多くの年貢を搾り取ろうなどと考えているのではあるまいな・・・」
うっ、急に圧を強めてきやがった。
氏政は、景虎の迫力に圧倒され、まともに返事もできないありさまである。案の定、
「そ、その件については、氏業が説明致します」
てな感じで、俺に丸投げしてきやがった。まあ、景虎の相手をするのは、氏政には荷が重いか。
ということで、改めて俺が景虎の相手をすることになったよ。
「えー、石油ランプについては、私が世に出さなかったとしても、遅かれ早かれ南蛮から日ノ本に入ってきます。であれば、あらかじめ石油ランプに馴染んでおいて、利点や問題点を明らかにしておく方が、世のため人のためになるのではないでしょうか。何の予備知識もない所にいきなり石油ランプが入ってきて、民が長時間労働を強いられるような事態だけは避けたいと、私は考えております」
「ふむ、おぬしの考える未来では、昼も夜も関係なく民は働いているというのか。そして、今のうちに長時間労働に規制をかけるなどの対策を考えておけと、そういうことか」
「景虎様のご理解が早くて何よりです」
「先ほど、おぬしは『石油ランプの利点や問題点を明らかにすることが、世のため人のためになる』と言っておったが、ちゃんとおぬし自身の利益も確保しているのであろうな」
「はい、私自身『我がため人のためになることでなければ、視ることなかれ、聴くことなかれ、言うことなかれ、動くことなかれ(二宮翁夜話二九)』と考えております。いくら万民の利益になることでも、誰かの犠牲の上に成り立つものであったとしたら、それは搾取と言えましょう。それにしても、助けを求められれば必ず応じる景虎様から、そのような言葉を聞けるとは思いませんでした」
「いや、わし自身も師(天室光育)から口うるさく言われておるのだ。いくら志は立派でも、それだけで人はついてこぬとな」
ふむ、景虎の師の天室光育といえば、林泉寺(曹洞宗)の住持(住職)だったかな。
「禅宗は、仏教の中でも特に実践を重視する宗派で、『日常生活こそ修行』という考え方をするので、家臣の領地を増やして富ませることこそが、大名にとっての修行となるわけですね」
「まあ、そういうことだな。実際、おぬしからは、武田晴信のような邪悪なものは感じなかったので、心配はしていなかったが、この話を聞いて改めて安心したぞ」
へー、やはり景虎も晴信の持つ怨霊の力を感じ取っていたようだね。
「景虎様も、晴信様の背後に黒炎を見ましたか?」
「いや、戦場で遠くから眺めただけで、はっきりとはわからなんだが、奴の周囲は邪悪なもので満ちておったな。そう、全てを奪い尽くさねば満足しない、そんな感じであったかな」
「以前、晴信様にお会いした時、晴信様は『圧倒的な武力で全てを屈服させ、日ノ本から戦乱を一掃する』とおっしゃっておりました。晴信様の土地や金にたいする異常な執着は、全て『この世から戦乱を無くす』という一念から出ているものと思われます」
「ふん、奴は戦争をなくすために戦争を繰り返しているというのか。ただ、この点においては、晴信を笑えんな。わしも、助けを求める者があればその度に救いの手を差し伸べておるが、いつになっても争いは無くならぬ。のう、氏業殿。この日ノ本から争いを無くしたければ、やはり圧倒的な力を手に入れ、わし自らが天下に号令するしか道はないのであろうか」
「たしかに、武力は必須ですが、それだけで天下人になれるわけではありません。暴力集団が、力ずくで長期間人々を支配し続けるのは不可能です。この国に平和と安定をもたらすためには、力だけでなく正当性も必要であると、私は考えます」
「ふむ、正当性か。つまり、わしが天下を差配するにふさわしいと万民が認める何かが必要ということか。そして、それは幕府を再興して将軍の権威を利用するというものではない、ということで相違ないな」
「左様にございます。室町幕府は、三代将軍義満公の時代を除けば、前半は南北朝、現在は戦国の世というように、戦争状態が日常と化しております。幕府を再興して平和を得たとしても、時がたてばまた争いが起こることでしょう。もし、恒久的な平和を確立するのであれば、当初は幕府の権威を利用して力を蓄える必要もありますが、いずれは足利将軍家を超える正当性を手に入れて天下に号令するしかないでしょう」
「ふーん、つまりおぬしはわしに足利将軍家に取って代われと、謀反をせよと、そう言いたいのだな」
やべー、景虎の機嫌が悪くなった。このままでは叩き切られる。
「事は、足利将軍家に謀反するとか取って代わるとか、そう単純な話ではございません。日ノ本の存続に関わることにございます。景虎様は、南蛮の諸国について、どの程度御存じですか」
「ポルトガル国が火縄銃を日ノ本に伝えたことと、九州で南蛮の神の教えを布教しているぐらいしか知らん」
「南蛮諸国で今一番勢いがあるのは、スペイン国とポルトガル国ですが、この2国はトルデシリャス条約とサラゴサ条約を結び、南蛮以外の土地を二国で分割統治することを企んでおります。ちなみに、南蛮の神の教えはキリスト教といいます。えーと、紙と筆を頂けますか」
俺は、サラサラと世界地図を描き、スペイン・ポルトガル両国とトルデシリャス条約・サラゴサ条約で定められた境界線を描き加える。氏政は隣で思考放棄しているが、無視だ。
「彼らのやり方は、まず商船と宣教師を派遣し、貿易を餌にキリスト教布教の許可を得ます。キリスト教徒が増えると、そこに艦隊を派遣し占領します。キリスト教徒は、スペインまたはポルトガルのために戦う兵士となり、占領された国の民は奴隷にされ、他国に売られることとなります。そして、この二国は今まさに日ノ本を植民地化しようとしている最中なのです。もはや、日本国内で争っている場合ではございません。今すぐ日ノ本を統一して、スペインやポルトガルに対抗できる強い国を創らなければならないのです」
周囲からは、『ハハハ、こいつ頭がおかしいんじゃないか』『考えすぎだろう』といった声が上がるが、景虎は笑わなかった。
「わしは地球儀を見たことがあるが、日ノ本の小ささに随分と驚いたものじゃ。そして、スペイン・ポルトガルは、この様な遠方から貿易や布教のために日ノ本を訪れているという。このこと一つを取っても、日ノ本とは比べ物にならぬ国力を持っていることが分かる。おぬしの話では、この両国によって世界中の民が虐げられているということだが、そうであれば、わしは海外に打って出て、虐げられし民を救わねばならんということになるな。まあ、これが事実か否かは、実際に海外に行けばわかることか。それまで、おぬしの命は取らんでおいてやろう。・・・ところで、おぬしの持つ尋常ならざる知識は、神から授かったということで間違いないか?」
「えっと、まあそういうことになりますが、景虎様は箕輪城を探っていたのですか?」
「上野国など、上杉憲政公が越後に来る前から調べておるわ。まあ、おぬしが妙なものを発明し始めてからは、箕輪城を念入りに監視するようになったがな。なかなかに興味深い話が聞けて、有意義な時間を過ごすことができた。感謝する」
「景虎様に満足していただけたのであれば、幸いに存じます」
「明日は、わし自ら尼瀬油田(新潟県出雲崎町)に案内しよう。それでは、難しい話はここまでにして、宴を楽しもうではないか」
やったー。景虎との会談を、何とか乗り切ったぜ。それにしても、偉い人と会話するたびに死にそうになるのは何とかならないかな。全くもって、心臓に悪いぞ。
そうこうしているうちに、酒と料理が運び込まれた。
景虎は、梅干を肴にひたすら酒を飲んでいたので、カリカリ梅を紹介することにした。俺が毒見をして見せて、箕輪城下で造り始めたことを伝えると、食感が気に入ったらしく、料理人にカリカリ梅を仕入れるよう指示を出していた。
こんな感じで梅の取扱量を増やして、いずれ高崎市が日本一の梅の産地に成長したら面白いかも、なんてことを思ったりもした。
◇長尾景虎の見解◇
以前から興味を持っていた長野氏業に、ようやく会うことができた。
かなりの奇人変人というのは予想していたが、わしに対していきなり『今すぐ日ノ本を統一し、南蛮諸国に対抗できる強い国を創らねばなりません』なんて事を言い出すとは思わなかったな。
氏業の目は、既に日ノ本を超えて世界に向いているということか。
そして、南蛮諸国に侵略されない強い国を創るために、わしに何かをさせようとしている訳だな。
たかが国人領主の息子ごときがわしに指図するなど、面白いではないか。
まあ、奴はしばらく越後に滞在するであろうから、その間こき使って仕事ぶりを見た上で、最後に奴の本音を聞き出すことにするかな。
◇北条氏政の見解◇
長尾景虎、なんと恐ろしい男だ。ひと睨みされただけで、私は動けなくなってしまった。
これから、こんな奴と戦わなければならないのか。私には無理だ。
そんな私を余所に、氏業は景虎と丁々発止のやり取りを繰り広げた。
南蛮国にキリスト教、そして南蛮諸国の侵略を防ぐために、今すぐ日ノ本を統一して強い国を創らねばならないだと。こいつらはいったい何を話しているのだ。私には何もわからぬ・・・。




