第7章 春日山城訪問
ついに春がやってきた。
せっかくなので、怨霊気象衛星画像も確認してみたのだが、日本海上には寒気の吹き出しに伴う筋状の雲が見られなかった。つまり、日本海側の雪は止んでいるということだね。
それでは、そろそろ越後に出発しようかと考えながら、ランビキや進物のチェックをしていると、一足先に氏政が横浜城にやってきた。
何事かと思い氏政に会いに行くと、『後学のため、横浜城を見学させて欲しい』なんてことを言っている。氏政に渡された氏康からの手紙を見ると、『出発にあたり、わしへの挨拶は不要』『武田晴信と長尾景虎には話を通してあるので、鎌倉街道~東山道(中山道)~北国街道を通って春日山城へ向かうように』『氏政に横浜城を見せてやってほしい』『道中、箕輪城に立ち寄って業政殿に会うことを許可する。なお、このことについては業政殿に報告済み』などと書かれてあった。
氏康直々の頼みということで、氏政には孫蔵をつけて、城内を案内させることにした。孫蔵であれば、氏政に余計なものを見せずに済むであろう。
その間も、俺は忘れ物がないか入念にチェックを続けた。ランビキと進物の蒸留酒に加えて、原油採掘で上総掘りをする可能性もあるから、掘り鉄管やシャベルも用意するとしよう。氏政も色々持ってきているようだし、俺の準備はこんなもんで良いかな。
ということで、氏政を呼んで越後へ出発することにした。
今回の越後行きに同伴するのは、毎度おなじみの孫蔵・弥左衛門・平八郎の三人である。氏政の護衛も含めると、総勢10人程度の集団となる。
藤殿や家臣たちの見送りを受けた俺たちは、まず鎌倉街道を北上して箕輪城へと向かったのだが、少々気になったのは氏政のこと。なんか、やたらとハイになったり無口になったりしているんだよね。躁鬱の気があるのだろうか。
◇北条氏政の見解◇
私は、生まれてこの方、小田原城こそが日本一の城であると信じて疑わなかった。
しかし、横浜城を見ることで、その自信が揺らぐのを感じた。
もちろん、規模は小田原城より劣るが、城下町全てを城壁で囲んでいるのである(1557年当時、小田原城に総構えはありません)。これだけ堅固な城壁(竹筋コンクリート製)が、わずか2ヶ月程度で完成したというのは、にわかには信じ難いな。材質も、私の知らぬ物を使用しているようだ。
そして、城壁の上に配備された投石機は3町以上(約400メートル)先の敵兵を攻撃可能で、それ以上近づいた敵には火縄銃で対応するのだそうだ。城壁の外側は水路で囲まれているため、城壁をよじ登って城内に進入するのは不可能であろう。まさに難攻不落の城といえよう。
あと、火縄銃を試射している所も見させてもらったが、火薬と弾丸を惜しみなく使用しているのが見て取れた。弾丸は、上田銀山の鉛を使用しているのだろうが、銃の訓練でここまで火薬を消費できるものなのだろうか。硝石を大量に購入できるほど、商売で儲かっているということなのか?
私がこの城を攻めるとすれば、数万の軍勢で四方八方から一気に攻め込むぐらいしか考え付かないが、その際の被害はとてつもないものになるであろう。考えただけでも寒気がするわ。
それにしても、総構えの城か。小田原も、城下町ごと城壁で囲ってしまえば、数年間籠城して戦えるではないか。後で、巨城派の連中と検討してみるとするか。
◇藤の見解◇
ああ、また氏業様が旅立ってしまいました。
将来の夫君に多くの仕事が回ってくるのは良いことなのですが、氏業様との仲を深めたいわたくしにとっては、残念でもあります。
しかも、城主代理の任は、はっきり言って重荷です。
そんな気落ちしているわたくしに、氏業様は新しい本を下さいました。題名は、『断罪された悪役令嬢は、スイーツの力で自由に生きる』だそうです。内容は、前世の記憶を持つ主人公の公爵令嬢が、濡れ衣を着せられて王太子に婚約破棄されるのですが、前世の知識で作った様々なお菓子で未然に紛争を防ぎ、やがて聖女として崇められるというものです。南蛮では、お菓子のことをスイーツというのですか。ひとつ勉強になりました。
早速、菖蒲と一緒にお菓子を作ってみることにしましょう。
それにしても、王太子が親の決めた婚約者と婚約破棄したら、普通廃嫡されるのではないでしょうか。それとも、南蛮では婚約破棄が一般的なのでしょうか。後で氏業様に聞いてみましょう。
横浜城を出発した俺たちは、鎌倉街道を北上すること四日、最初の目的地である箕輪城に到着した。それにしても、一年ぶりの箕輪城か。去年の今頃、元服するため小田原城に出発した時は、一年間帰れないなんて思いもしなかったよ。
こうして、改めて箕輪城を見てみると、北には山があり、東西は井野川と榛名白川に囲まれているので、実に攻めにくい堅固な城といえるのだが、唯一南の防備は弱いと言わざるを得んな。もちろん、箕輪城の南方には湿地帯や椿名砦があるので、南から直接城に攻め込むのは不可能だが、箕輪城の南に広がる城下町を燃やされないように守るのが困難ということである。せっかくここまで発展させた城下町を、いくさでむざむざ燃やすのは、物凄くもったいないよね。
父業政もそれには気付いているようで、招き猫温泉の南方に東西に伸びる土塁を作っているのだが、これから訪れる銃火器の時代を考えると、かなり心許ない感じがするね。ここは、竹筋コンクリート製の城壁で、城下町ごと箕輪城を囲ってしまうのが良いかな。後で父に進言しようと思うが、氏政が邪魔だな。
ちなみに、当の氏政は、招き猫温泉について傍にいた孫蔵たちに質問をしていた。
こういった温泉施設が珍しいのだろうか。それとも、箱根に似たような施設を作ろうと考えているのだろうか・・・。
俺たち一行は、城下町を北東に進み、東側の搦手口から城内に入った。坂道を上り、二の丸に入ると、そこでは父業政と母おふく御前が我々を出迎えてくれた。
「父上、母上、ただいま戻りました」
「おお、松代丸、いや今は氏業か。よくぞ無事に帰ってきた。そなたの活躍ぶりは、上野国にも鳴り響いておるぞ。わしとしても、鼻が高いというものじゃ。・・・ところで、そなたは詩を学んでいるか」
おっ、これはもしかして庭訓の教え(論語:季氏第十六の13)ってやつか。だとすれば、俺の返答はこれだ。
「いえ、まだ十分には学んでおりません」
「詩を学ばなければ、ひとかどのことを言うことはできない。それと、そなたは礼を学んでいるか」
「いえ、まだ十分には学んでおりません」
「礼を学ばなければ、ひとかどの者になることはできない」
「「・・・フフフ、ハハハ」」
一年ぶりの親子の戯れで、おもわず笑いが出てしまったよ。このやり取りを見た氏政は、呆気にとられているね。おっと、お目付け役をほったらかしにするのはまずいか。
「父上、母上、こちらにいらっしゃいますのは、御本城様(氏康)嫡男新九郎氏政様にございます」
「長野信濃守業政と申します。この度は、当家にお立ち寄りいただき、有難う存じます」
「北条新九郎氏政でございます。こちらこそ、お世話になり申す」
「ささやかながら、宴の用意をしてございます。どうぞこちらへ」
そう言うと、父業政は氏政たち一行を御前曲輪の屋敷へと案内するのであった。
もちろん、俺と孫蔵たちも氏政の後ろに付いていったよ。




