山科言継あらわる
年齢は五十歳ぐらいであろうか。その初老の公家は、内蔵頭山科言継と名乗った。
山科言継といえば、戦国時代を舞台にした小説や漫画に必ず出てくる超有名人だね。それと、上泉伊勢守秀綱の動向が詳細に記述されている日記、『言継卿記』の著者としても有名だね。
少し話は逸れたが、言継が言うには、越後産臭水をランプの燃料として使えるようにするにはどうすれば良いのか、俺の知恵を拝借するために小田原までわざわざ来たのだそうだ。
ランビキを用いた原油の精製は、第一級の極秘情報といえるが、別に俺が発明したわけじゃないんだよね。であれば、日本の発展のためにむしろ積極的に情報公開すべきなのか?でも、タダで長野家の優位性を手放すというのも腹立たしい気がするなあ、などと考えながら氏康の方を見ると、すまなそうな顔をしていた。俺に面倒ごとを持ち込んで、申し訳ないと考えているのだろうか。
うーん、ここいらで朝廷と氏康に借りを作っておくのも良いのか、などと考えていると、言継はこんなことを言ってきた。
「越後産臭水をランプの燃料とするのに成功した暁には、その方に従六位下右京進の位を授けることを約束しよう」
従六位下右京進!その言葉に対して即座に反応したのは、怨霊神業盛であった。
「とにかく、今すぐにでも引き受けるのじゃ」
と、ものすごい勢いで俺に訴えかけてくる。
生前の業盛の名乗りは、長野右京進業盛だからね。右京進には思い入れがあるということか。それにしても、従六位下長野右京進在原氏業(ジュロクイノゲナガノウキョウノシンアリワラノウジナリ)か。くそっ、カッコいいではないか。
別に、原油の精製方法を公開するのは構わないんだよね。でも、官位を貰うというのはとんでもない毒饅頭だよね。氏政ですら無官なのに、俺だけが官位を貰ったら北条家で浮いてしまうではないか。ただでさえ、俺は氏康に寵愛されていると思われているようだし、その上官位まで貰ったとしたら、どんな嫌がらせを受けるか知れたものではない。
そんなことを考えていると、氏康が一つの案を出してきた。
「氏業は、一人だけ官位を受けることに抵抗があるようです。そこで、今回越後には氏政と氏業に行ってもらい、二人に官位を与えるのはいかがでしょうか。氏政には某の持つ相模守を授けていただけると幸いにございます」
これを聞いた言継は、
「一応、上司と相談する必要があるが、さほど問題はあるまい。あったとしても、少々献金を要求されるぐらいじゃ」
と、答えた。それにしても、俺や氏政のことなどお構いなしに、どんどん話が決まっていくね。案の定、氏政が異議を申し立てた。
「私は、氏業の功績を奪うような真似はできません」
まあ、氏政は真面目だから、そういうことになるよね。
それを聞いた氏康は、
「氏政よ、お前が『長尾景虎の関東侵攻を防いで、関東の地に平和をもたらす』ことを宣言してから半年以上たつが、話し合いを繰り返すだけで、何一つ決まっておらぬではないか。どうせお前のことだから、予算を三等分して『軍隊派』『巨城派』『外交派』にそれぞれ振り分けるつもりなのだろうが、そんなことではどれも中途半端になるであろうな。こうして、せっかく山科卿がいらっしゃったのだから、この機会を生かそうとは思わんのか。しかも、今回は長尾景虎を直に見ることもできるのだぞ。このような絶好の機会を逃す馬鹿がどこにおるか」
こう言って、氏政をしかりつけた。
氏政は、ぐうの音も出ないといった感じで、うつむいている。
一方、言継はそんな俺たちの様子を見て、
「話もまとまったことだし、この後は宴会と洒落込もうではないか。氏業殿が発明したという蒸留酒を、じっくりと味わってみたいのう」
なんてことを言ってきた。言い負かされた氏政を慰めるために、わざと道化を演じたのかと思いきや、ただ単に蒸留酒を飲みたかっただけらしい。
しょうがないので、城の料理人に蒸留酒とちょっとした料理を用意してもらい、少人数でささやかな宴会を開くことになった。
宴が始まってから、1時間ほど経過した。
アルコール度数の高い蒸留酒を飲んでいるためか、氏康と氏政は結構辛そうにしているなあ。
まあ、俺はまだ十三歳なので、酒ではなく茶を飲んでいるけどね。
そんな中、言継は最初からペースを変えることなく蒸留酒をがぶ飲みし続けていた。書物にも記されている通り、かなりの酒豪であるのは間違いなさそうだ。ただ、酒が入ったせいか、ずいぶん口が軽くなっているね。
ということで、俺は先ほどから疑問に感じていたことを、言継に質問してみることにした。
「言継様、何故朝廷が臭水採掘に介入するのでしょうか。臭水の生産量や石油ランプの売上が増えたとしても、朝廷の利になることは無いと思うのですが」
すると、言継は
「おぬしは、麒麟児とか孔明とか言われているわりには、そんなこともわからんのか。臭水や石油ランプの売上が増えれば、武家や商人が裕福になるであろう。さすれば、朝廷としても献金を頼みやすくなるというものじゃ。それにな、同じ照明を扱う油商人やロウソク商人からの妨害もそれなりにあったのだぞ。油は石鹸生産に回すとか、ロウソクは特定の儀式で使用することにするとか、細かな調整は実に面倒であったのう。であるから、石油ランプの利益は我らにきちんと還元するのじゃぞ」
なんてことを俺に語った。
ふーん、応仁の乱以降は戦国大名の力が強まったため、そういった抵抗勢力は落ちぶれたものと思っていたのだが、まだしぶとく生き残っていたということか。よーし、後で楽市楽座を全国に導入して、そいつらにとどめを刺すことにしよう。
こうして、俺と氏政は、原油の精製技術を伝えるため、来年の春に越後を訪問することになったのであった。
◇北条氏康と氏政◇
宴が終わり、氏業と言継が退出してしばらく経ってからのこと。
氏康は、畳の間に突っ伏している氏政に声をかけた。
「氏政、生きておるか」
「父上・・・。頭痛は酷いですが、大丈夫だと思います」
「今回、お前を越後に遣わすのは、長尾景虎の人物を見定めるだけでなく、氏業の行動を監視させるという意味もあっての事なのじゃ」
「それは、どういうことなのでしょうか」
「以前も話したが、氏業は心底から北条家に従っているわけではない。業政が上杉家に寝返れば、氏業も父親に従うであろうな。このような状況で、氏業ひとりを越後に遣わしたならば、どんなはかりごとを企てるか分かったものではないわ。お前は、片時も氏業から離れるでないぞ。氏業の動きを封じつつ、様々な経験を積んで、大いに見聞を広めてくるがよい。多分、横浜城や箕輪城を見るだけであっても、ひと回りもふた回りも成長できるはずだ」
「ははっ、父上のご期待に必ずや応えて見せましょう」




