石油ランプを作ろう
本作品の算出基礎は、以下の通りです。かなりいい加減ですが、勘弁してください。
一貫=二石=200升=1000文=10万円
1升=1.8リットル
臭水の価格=1升6.6文=666円
菜種油の価格=1升20文=2千円
ロウソクの価格=1本20文=2千円(燃焼時間は3時間半程度)
油0.3リットルの燃焼時間は16時間で計算
えーと、領地運営の目処も付いたことだし、そろそろ石油ランプの製作に取り掛かろうかな。
相良でも簡単なものを作ったが、石油ランプはガラス・陶器・金属などで作られた油壷と、その上に取り付けた口金が本体となる。口金には木綿の平芯を挿入して点火し、ガラス製の火屋で囲うことで、風から明かりを守ることになる。ちなみに、口金の歯車を回して平芯を上下させることで明るさの調整ができるが、その仕組みは高崎市の歴史民俗資料館で実物を見てきたので、良くわかるぞ。
何はともあれ、試作品を作らねばならんということで、俺は守重・守次・守行兄弟のいる鍛冶工房を訪問した。
彼らは箕輪城下の鍛冶職人成重の甥で、成重の紹介状には、全員火縄銃の製造が可能で、特に守重が優秀と書かれていた。
じゃあ、守次・守行には火縄銃をドンドン作らせて、守重には俺が思い付いたものを試作して貰うのが良いかな。ということで、守重には早速石油ランプの口金製作を依頼した。平芯を上下させる歯車もあるから、念入りに説明せんといかんな。
油壷と火屋は、弥左衛門に任せよう。4年間ガラス担当をしているのだから、何とかなるはずだ。
こうしてランプ作りを始めたのだが、残念だったのは、原油を精製してガソリンと灯油に分けられなかったことだ。
ガソリンを火炎瓶に、灯油を石油ランプに使用して、ランプで金を儲けつつ、軍事力も強化できれば良かったのだが、現状では難しそうだ。
今回は、ランビキで原油を精製することで、臭気と油煙を抑えられたことに満足するとして、この件については今後の課題としよう。
数日後、油壷・口金・火屋が製作できたとの報告を受けたので、早速俺は鍛冶工房へと向かった。
石油を注いだ油壷の上に平芯を挿入した口金を乗せて点火し、その上に風よけの火屋を載せると、石油ランプの完成である。
口金の歯車を回すと平芯が上下し、明るさの調整も問題なくできることがわかった。
あとは、ランプの芸術的価値を高めた方が良いかな。今のところ、購入者は富裕層を想定しているから、できるだけ高付加価値のものを作ることにしよう。であれば、『傘』や『つる(油壷・口金・火屋・傘を組み立てる鉄製の枠)』も取り付けないといかんな。
とりあえず、北条氏康・今川義元・武田晴信に献上して様子を見てから、商人に販売を委託することにしよう。今、俺がすべきことは、石油ランプの完成度をできる限り高めることかな。
そんな感じでさらに数日後、俺は孫蔵と平八郎を護衛に連れ、完成度を高めた石油ランプを数個持って小田原の氏康の下へと向かった。ちなみに、今回弥左衛門が留守番になったのは、ガラス職人養成のためである。口金作りの職人については、守重に頼んで養成してもらうことにしよう。早く、石油ランプが量産できるようになると良いな。
小田原に到着した俺たちは、氏康との面会の約束を取り付けてから、小田原城に登城した。
氏康の目の前で石油ランプに点火してみせると、氏康は灯明とロウソクを横に並べて明るさを比較させた。すると、石油ランプは灯明と比較して15倍、ロウソクと比較すると3倍明るいことが分かったが、特筆すべきはその安さであろうか。石油ランプの燃料である臭水の価格は、菜種油(灯明の燃料)の3分の1で、ロウソクと比較すると、なんと82分の1でしかなかった。
しかも、臭水は精製されているので、臭いや煙もほとんど気にならないのである。
これを見て、氏康は絶句していた。
多分、明かりの革命が起きてしまうね。
同盟国の誼みもあるので、義元と晴信には取り急ぎ石油ランプを贈る一方、俺は今すぐ横浜城に戻り、できるだけ多くの石油ランプを作って小田原城に届けるよう、氏康に命じられた。
「おぬしは、とにかく石油ランプを大量生産することだけ考えよ。あとは、わしに万事任せるがよい。決して悪いようにはせぬ。必要なら職人も送ろう」
なんて氏康は言っていたが、どうせ朝廷や幕府に献上するんじゃないかな。
とりあえず、氏康には石油ランプの代金を提示するとして、今川義元に石油ランプを贈るついでに、氏真にも本を送っておくとするか。せっかくなので、氏真宛の手紙には井伊直親と直盛を大事にするようにと書いておこう。父親と養祖父が無事なら、直政もまともな性格に育つと思うんだけどね・・・。
まあ、こんな感じでこまめに連絡を取り合っていれば、氏真もいざという時(桶狭間の戦いの後)に、俺を頼りにしてくれるのではないかな、というか頼りにしてくれると良いな。
あとは、できるだけ多くの職人を横浜に送るよう氏康に頼んでから、俺はさっさと横浜城に帰ったのであった。
弘治二年(1556年)12月 武蔵国横浜城
季節は巡り、横浜に来て初めての冬を迎えた。
俺は、氏康に命じられた通り、石油ランプ作りに励むふりをしつつ、常備兵の募集と火縄銃や火薬・弾丸等の量産体制構築に奔走していた。商人には、中小坂鉄山の磁鉄鉱や上田銀山の鉛に加えて、銅や錫(または亜鉛)などの金属も集めさせる一方、鍛冶職人の養成にも力を注いだ。
結果として、今時点で月に十挺の火縄銃を製造できるようになったが、まだまだ俺の満足する数字には達していない。できれば三千挺欲しいけど、まずは三百挺目指して頑張るとするか。
あとは、うちの兵士達に操作方法を覚えさせるため、投石機も作る必要があるかな・・・。そういえば、以前(9ヶ月ほど前)成重に青銅砲の絵図面を渡しておいたけど、青銅砲開発は進んでいるのだろうか。そのことについて守重に尋ねると、きちんと引継ぎはされており、材料が揃えば青銅砲作りに取り掛かれるとのこと。
そこで、守重は青銅砲作り、守次・守行は火縄銃作りに専念させて、我が軍の攻撃力向上のために役立ってもらうことにした。数ヶ月後には城壁の上に投石機と青銅砲をずらりと並べ、それを熟練度の高い常備兵に扱わせて、横浜城を難攻不落の城にしてやるぜ。
一方、氏康は、朝廷やら幕府やら多方面に石油ランプを広めているようだ。
何かね、こういう新商品って、上から下に広めるのが良いらしいぞ。確か、本好きの転生者もそんなことを言われていた気がするなあ。
まあそれは置いといて、石油ランプも一通り上に行き渡ったということで、ようやく一般販売の解禁である。もちろん、実際の販売は堀口新兵衛や宇野家治などの商人に任せるけどね。
そんな感じで石鹸・ガラス製品・蒸留酒に加えて、新たに石油ランプという商品が加わったのだが、ここで問題となってきたのが、燃料の臭水が不足してきたということ。
遠江国相良は、臭水採掘で未曽有の好景気を迎えているようだが、さすがに相良だけでは消費分を賄いきれなくなったらしい。
ということで、越後国でも臭水採掘を開始したのだが、臭気と油煙が甚だしく使い物にならなかったそうだ。
『燃料不足で石油ランプが売れなくなるのは困るが、そもそも臭水採掘は火炎瓶を生産するために始めたはず。皆が、臭水をランプの燃料と思い込んでいるのは、かえって都合が良いのか?』などと思いつつ日々を過ごしていると、いきなり氏康から呼び出しを食らった。
仕方がないので、少数の護衛を連れて小田原城に登城すると、大広間では氏康と氏政が待ち構えていた。氏康は、挨拶が終わるのも待ちきれないといった感じで、俺に一人の公家を紹介するのであった。




