横浜城の日々
本作品では、一貫=二石=200升=1000文=10万円で計算しています。
小田原での用も済んだので、俺はいつもの三人と正木時忠(とその家族)を連れて、横浜村へと向かう。
横浜村も2カ月ぶりか。
入り江の干拓は順調そうに見えるな。これなら、来年から収穫が見込めるね。
さて、肝心の横浜村はどう変わっているのかなと思いつつ入り口の門をくぐると、城壁や住居は既に完成し、兵士だけでなく職人や商人たちも移住してきているのが分かった。
もう、総構えの立派な沿岸要塞と言えるね。これをもって、横浜村を横浜城と呼ぶことにしよう。
港には船が停泊しており、亜炭・石灰・珪石・臭水等が運び込まれていた。炭窯・石灰窯・石臼・ルツボ・ランビキ等も用意されており、今すぐにでも石鹸やガラス生産が始められそうだ。
そんな感じで周囲を見回していると、早速藤殿と白川五郎他数名が出迎えに現れた。ちなみに、菖蒲は藤殿の後方に侍っているぞ。
藤殿は、『氏業様の留守中頑張りました。褒めて下さい』といった感じで、俺に訴えかけてくる。なんでも、いきなり領主代理をやらされて大変だったそうだ。藤殿には、後で新作の本を与えないといかんな。
一方、白川五郎は、新しく横浜城に派遣されてきた武将たちを俺に紹介した。
まず、親族衆として長野業勝(氏業の従兄弟)、勘定奉行として安藤九郎左衛門、家老の下田家からは下田右馬允善春、鍛冶職人として守重・守次・守行兄弟が紹介された。その他、倉賀野左衛門五郎忠信が横浜城と箕輪城間の物流を担当し、堀口新兵衛と宇野家治が城内に支店を作ったそうだ。
なお、俺の不在の間の領地運営は、安藤九郎左衛門と下田善春が勘定方を担当し、白川五郎は今まで通り普請関係を受け持ち、長野業勝が工兵隊の指揮を執るといった体制で行われていたとのこと。特に問題なく領地運営できていたようなので、引き続き彼らに仕事を任せることにした。
そして、俺は新しく家臣となった正木時忠を紹介し、今後は工兵隊を三百程度に増やして、半数を時忠に任せるつもりだと皆に伝えた。特に異論も出なかったので、これにて顔合わせは終了となったのだが、ここで心配になったのは、彼らの給金はどう支払われているのかということ。
たまたま隣にいた孫蔵に給金について聞いてみると、自身の給金は父業政から直接受けているそうで、俺が考えなければならないのは『正木時忠』と『この前の戦いで降伏してきた里見兵五十』と『新たに増やす工兵隊』の給金ぐらいではないかとのこと。
出費が想像していたよりも少なくて済むのは助かるなと思いつつ、正木時忠には五十貫、新規兵には三十貫を与えて、しばらく様子を見ることにした。
時忠は、『これだけ頂ければ家族揃って生活できます』と感激しているようであったが、俺にとってより重要なのは、時忠の子の頼忠なんだよね。まだ6歳だけど、かなり優秀らしいので、青田買い出来て良かったよ。
あと、何か忘れていることはないかなと考えていたのだが、一つ重要なことを思い出した。
そうだ、軍事訓練だ。
この前の戦いのように、いざというときに兵が動かないと死に直結するからね。
正木時忠を指揮官にして、毎日交代で二十人程度を軍事訓練させ、ついでに俺・孫蔵・弥左衛門・平八郎も、できるだけ訓練に参加することにした。やはり、普段から兵と顔を合わせていないと、戦場で命令に従ってくれないんだよね。実際、前世で箕輪城まつり攻防戦の指揮を執らされた時、『攻め込めー』と指示を出したら、兵士役の参加者に睨まれたし・・・。
初めて会った人に指示を出して動かすのって、本当に難しいよね。他人を自分の思い通りに動かしたければ、まず顔見知りになって、できるだけコミュニケーションをとるのが一番のやり方ではないかな。
新たな家臣達との話も終わり、城主の屋敷に入った俺は、早速菖蒲を呼び寄せ、以前から考えていた仕事を頼むことにした。内容は、職人の警護と情報流出対策のために忍びを活用するというもので、菖蒲に忍びのまとめ役になってもらえないか頼んだところ、そのまとめ役という所で菖蒲が難色を示してきた。
「私の下で働くのは嫌かな」
と菖蒲に問いかけると、そうではないとのこと。
できることなら、『ずっと藤殿の護衛をして、一緒に料理を作っていたい』と思っているが、母親を人質にとられており、北条家を優先せざるを得ないそうだ。ちなみに、父親は随分前に亡くなっているらしい。
であれば、『その母親を横浜城に連れてくることができれば、長野家だけに仕えても良いと考えているので相違ないな』と菖蒲に問うと、『はい、その通りにございます。私としても、二股(二重スパイ)ではなく、一人の主君に仕えたいと思っております。そのために私に出来る事があれば、何でもしてみせましょう』と菖蒲は答えた。
いつの間にか怨霊神業盛も湧き出てきて、『菖蒲の言葉に嘘偽りはなさそうじゃ』なんて言っている。何か、怨霊神がウソ発見器みたいになっているなあ。
とりあえず、菖蒲には『母親については何とかするので、新たに忍びを雇って、職人の警護と情報流出対策のために動いてくれ』と伝えておいた。
これで、職人の安全が確保されて、情報流出が無くなると良いな。
あとは、肝心の『菖蒲の母親』対策であるが、この時代ならではの必殺技を使えば、すぐ呼び寄せられると思うんだよね。菖蒲の覚悟の他に、藤殿と父母と氏康の承諾が必要なのだが、間違いなく承諾は貰えるだろうしね。問題は、俺が大変になることであろうか。一人認めたのだから、二人も三人も同じであろう、なんて感じに増えないことを切に願おう。
さて、ここで俺の領地についてまとめてみよう。
氏康から貰ったのは武州横浜村三百貫であるが、現在は南西に広がる釣り鐘型の入り江を干拓して田畑に作り変えているので、来年には千五十貫まで増える予定だ(一貫=二石で計算)。それ以外にも、上田銀山からの臨時収入があるので、俺の領地収入は年間で三万貫ぐらいになるようだが、こんな感じで貫だの石だの言っても分かりにくいので、仮に一貫を十万円として計算してみると、三万貫は三十億円となる。
三万貫あれば、常備兵を千人(三十貫×千人)雇えるが、武器・道具・資材の購入とか研究開発費などにもまだまだ金は必要なので、兵を増やすのはやはり三百程度に止めておくかな。
あとは、こんな海沿いに城を作って、津波対策はどうなっているんだとお叱りを受けそうだが、次に津波被害が発生するのは1703年の元禄地震だから、まあ大丈夫なんじゃないかな。
次の地震に備えて、住宅地は徐々に高台に移すことにしよう。




