第6章 横浜城始動
怨霊の力についてのおさらい
怨霊(日本の最高神)の力を行使するためには二通りの方法があります。
一つは、戦争をなくし税金を安くするなど善政を敷く方法で、領民の感謝の念が統治者に神の力を与えます。この方法だと、代償無しで力を行使できます(例:主人公、北条氏康、織田信長)が、人道に反する行為をすると、力は失われます(例:今川義元)。
もう一つは、私利私欲に従って世の中を滅茶苦茶にするという方法で、世の中が混乱すればするほど怨霊も満足する(鎮魂される)ため、それを成した者に力が与えられます(例:武田晴信)。ただし、この方法で力を行使すると、その者の生命力は吸い取られ、やがて死ぬか怨霊化することになります。武田晴信や小幡信貞の力の行使には制限がかかっています。
なお、武田晴信は怨霊の力を行使するたびに生命力を吸い取られるため病気がちで、小幡信貞は嫉妬や妬みといった負の感情が飛びぬけて強いので怨霊の力を行使できる、という設定になっています。
武田晴信との会談を終えた俺たちは、まず甲州街道(当時は古甲州道)を東に進んで武蔵国に入る。
途中で滝山城(東京都八王子市)に寄り、藤殿の実家(大石家)に挨拶した後は、いつもの通り鎌倉街道を南下して東海道を西に進み、二カ月ぶりに小田原城へと帰還した。
取り急ぎ氏康に復命せねばいかんな、ということで氏康に使いを出すと、すぐさま登城せよと命じられた。
何事かと思い本丸に向かうと、大広間では氏康が待ち構えていた。俺に何か言いたいことでもあるのかな。
「長野新五郎氏業、甲斐より帰還致しました。武田晴信様より手紙を預かっておりますので、この場でお渡しします」
氏康は手紙を受け取ると、俺に話し始めた。
「氏業よ、よくぞ戻った。相良での臭水採掘、大儀であった。晴信殿との会談も無事に終わり、何よりだ。仕事を任せればやり遂げてしまうからつい忘れがちになるが、おぬしはまだ十三歳であったな。さすがに無茶ぶりしすぎたと反省している」
戦国時代なのだから、主君は家臣にふんぞり返って命令していればいいと思うのだが、氏康は家臣の俺にも色々と気を使ってくれる。どうしても、氏康を嫌いにはなれないな。
「おぬしは、これから『石油ランプ』とやらを作るのであったな。あと、白川五郎から領地運営のための家臣団が足りないとの報告があったので、業政殿と連絡を取って家臣と職人を横浜村に回すよう調整しておいたぞ。横浜村に行って、確認するが良い」
へー、俺のために動いてくれたんだ。
早速氏康に礼を述べると、『おぬしと会って話をしたいと申す者がおるのだが、連れてきて良いか』と氏康が言うので、了承すると早速一人の武将が現れ、俺の前で平伏した。
「里見家との戦いの際に生け捕りにした、正木時忠だ」
ああ、あの時『さっさと生け捕りにせんか』と怒鳴っていた武将か。
「里見家の言い方だと、あの戦いは正木時忠の暴走が原因だから、この者の首で手打ちにしたいのだそうだ。わしとしては、あまりにもあからさまな責任転嫁であるから、首を取るまでもないと思っておる」
これって、典型的なトカゲのしっぽ切りだよね。すまじきものは宮仕え、と言った所か。
「そこで、北条家に仕えぬかと誘ってみたのだが、仕えるならおぬしが良いというので、ここに連れてきた次第だ」
氏康の説明が終わるのと同時に、時忠が顔を上げて話し始めた。
「正木左近大夫時忠にございます。お目通りが叶いまして恐悦至極に存じます。是非、氏業様の御配下にして頂けないかと参上した次第にございます」
うへえ、20歳以上年上の人に丁寧な言葉遣いをされると、なんとも落ち着かない気持ちになるね。
「貴殿のような高名な方を配下に加えるのは、私としても渡りに船ですが、本当によろしいのですか。大した禄は出せませんが」
と時忠に問うと、
「一兵卒で結構です。完膚なきまでに私を叩きのめしたあなた様に、お仕えしたいのです」
だそうだ。
まさか、埋伏の毒ではないだろうなと思い、時忠に邪悪な気配がないか怨霊神業盛に確認して貰ったが、特にそのようなものは感じ取れないとのこと。
実際、史実でも時忠は北条家に寝返るんだよね。
だったら問題はないのかな、ということで、正木時忠を家臣に迎え、軍事全般を任せることにした。これで、うちの家臣不足も少しは解消されるね。
せっかくなので、一度箕輪城に戻り父業政と今後について話をしたいと氏康に提案したのだが、まず横浜村の開発を優先しろと却下されてしまった。何かよからぬ陰謀を企むのではないかと警戒されているのか。
手紙で連絡を取れば良いと氏康は言うが、どうせ中身は見られているんだろうね。
◇北条氏康と小幡信貞◇
城の庭にはカラスが数匹飛び回り、『カー、カー』とうるさく鳴いていた。
氏業が退いた後、わしは武田晴信から送られてきた手紙を読んでみた。
内容は、北条家の下野国・常陸国平定を手伝うから、武田家に上野国を譲ってほしいというものであった。
何だ、この内容は。こんなこと、認められるわけがないであろうが。
武田晴信、正気を失ったか。
またも、カラスが『カー』と鳴いた。
それにしても、カラスがうるさいな。
しばらくすると、武田晴信の使者がわしに面会を求めているとの報告を受けた。
晴信め、氏業が小田原城から退出したと見るや、周囲に待機させていた使者をわしの下に寄こしたということか。
一応、同盟国だからな。会わぬわけにはいくまいと使者を連れてこさせると、現れたのは小幡信貞という者であった。確か、最近武田家へ出奔した者で、長野業政の孫であったかな。
「武田大膳大夫晴信が家臣、小幡尾張守信貞にございます」
なおも挨拶を続けようとする信貞を制し、氏康は早速本題に入らせる。
「手紙を読ませてもらったが、このような条件は到底認められん。速やかに甲斐に戻り、その旨晴信殿に伝えるがよい」
「我が主君晴信は、もし上野国が他の勢力に侵攻された場合、北条家と協力して敵を排除したいと考えておりますが、その際に武田家が制圧した領域については、武田家が領有することを認めていただきたいとのことです」
うむ、晴信は長尾景虎の上野侵攻は避けられないと考えておるのか。そして、景虎を上野から追い払うのに協力するから、代わりに武田家の西上州領有を認めろということか。
「まあ確かに、武田軍に協力してもらっておいて、上野国全てを北条家に返せというのは道理に合わんな。上野国に侵攻した敵軍を追い払った時点の勢力範囲で、北条と武田が上野国を分割するという考えも間違いではないか・・・」
この発言を聞いた信貞は、
「今は、晴信様のお考えに理があることを認めてさえいただければ、結構にございます」
と答え、わしの前から速やかに退出した。
それにしても小幡信貞か。
奴が氏業の甥とは信じられんな。
氏業は、良く人を愛し愛される人物であるが、信貞からは薄気味悪さしか感じなかったぞ。
時は少し遡る。
氏業が甲斐を去るのと同時に、信貞は小田原城に向けて怨霊の種を植え付けたカラスを数匹放ち、自身も小田原へと向かった。
カラスの目を通じて、信貞は遠く離れたものでも目にすることができた。
信貞が、晴信の手紙を読んだ氏康とすぐに面会できたのも、そのためである。
「それにしても怨霊の力か、使い方次第でとてつもない戦力になるな。晴信様も良いものを下さったものだ」
信貞は、こみ上げてくる笑いを押さえられないのであった。
怨霊の力を使い始めたばかりなので、小幡信貞はまだ元気です。




