冬祭りの魔女
冬になると、森の広場に祭屋台が立ち並ぶ。昼の間、会場は閑惨としている。準備の人すらいない。魔法で盗難や倒壊を避けているので、無人で大丈夫なのだ。屋台の営業は夕方からだ。
何処から来るのか、祭では普段は見掛けない品物が売られている。色とりどりの飴や、見たこともない織地の小物、その時にしか買えない揚げパン。
そしてなによりも、魔法のかかった品々があるのだ。
ブレンダンは5歳の時、初めて冬祭への参加が許された。
魔法の無い花影村では、沢山の魔法で溢れた冬祭は、幼子の健康を害すると思われていた。
規則を破る村人はいなかったので、真偽の程は解らない。
日暮れ前の、薄暗い森を抜けると、急に開けた会場に出る。ブレンダンは両親に手を引かれ、華やかな魔法灯の吊るされた屋台を、ひとつひとつ眺めて回る。
ブレンダンの眼が、とある屋台に釘付けになった。屋台の机に飾られているのは、ただ渦巻く風だったのだ。
風は粉雪を吹き上げて形を変えながら、人々の眼を楽しませてくれる。色もなく白一色の小さな吹雪は、細い台の上で一定の間隔を空けて並べられていた。
店番の魔女らしき人物は、仏頂面で机の奥に座っている。黒いマントに身を包み、大きな紫色のとんがり帽子を被った中年の女性は、身じろぎもしないのだ。
ブレンダンには、そんな姿が滑稽で、台の上の吹雪よりもずっと熱心に観察してしまう。
「こら、ブレンダン、失礼よ」
母親に囁き声で窘められても、5歳児は聞いちゃいない。
魔女らしき人物は、何処を見ているのかも解らない。そんなので店番が出来ているのか怪しいものだ。
紫色のとんがり帽子は大きいが、オバサンの顔は見えている。縮れた赤毛が帽子から溢れて、ボリュームのある肩を流れて背中に落ちる。人参色の眉毛の下に人参色の睫毛がくるりと反り返り、奥には帽子と同じ紫色の瞳がみえる。
「ねえ、何処から来たの?」
ブレンダンは、とうとう1つの質問をした。
オバサンは、ゆっくりと瞳だけを動かしてブレンダンを見た。
「雪吹の国からさ」
オバサンは、顔に似合わず深く優しい声で歌うように答えるのだった。鼻筋のとおった高い鼻に響かせた、豊かなアルトの声だった。
「雪吹の国に子供はいるの?」
「いるよ」
「どんな子がいる?かけっこは速い?沢山食べるの?」
ブレンダンの好奇心が溢れ出す。
とんがり帽子のオバサンは、一つ一つ丁寧に答えてくれた。
「いろんな子がいる。かけっこは速いのも遅いのもいるね。沢山食べたり、少ししか食べなかったり、色々さね」
オバサンはマントの下から丸っちい指を出し、台の上にある小さな吹雪を操作した。
リボンとなった風は、くるりと宙返りをすると竜の姿を作る。
お隣で渦巻いていた吹雪は、3つに別れて丸木小屋と小さな男の子、そしてお父さんになった。他の吹雪もみんなくるくる回転しながら、森やカーニバルやお祭りを楽しむ人々に変わった。
真っ白な丸木小屋は、森を控えたなだらかな丘の麓に建っていた。丸木小屋のドアが開いて、男の子とお父さんがカーニバルへと出掛けて行く。
小屋の窓から覗くと、やはり真っ白な暖炉に雪の炎が揺れている。火にかかる鍋も純白だ。
鍋の中身も雪の白だけ。けれども、美味しそうな鹿肉のシチューが、お腹の空く匂いを届けてきた。
暖炉の前では、白いお母さんが揺り椅子で編み物をしている。小さな子供のセーターらしい。白一色を『縄』や『浮き』や『ダイヤ』に編み上げて行く。お母さんは手を休めずに、時折顔をあげては窓の外を眺めている。
蛇のように細長い風の竜は、長い髭をぐるぐるしながら丘や森を気ままに巡っていた。手足もちゃんと生えていて、細かい鱗と小枝のような角もある。声はなく、細い悲鳴のような雪吹の音だけが聞こえている。
カーニバルの人出は多い。氷の欠片がぶつかり合って、祭の喧騒を表現している。総てが白い会場には、観覧車やメリーゴーラウンドが楽しそうに回っていた。
小さな粉雪の大人や子供が、的当てや力自慢の列にならぶ。会場の中央ステージでは、どうやら大食い競争が始まるようだ。
物売り屋台や食べ物ブースの向こうに、ダンスステージも賑わっている。透き通った氷の番号を胸に付けた雪の参加者たちが、自慢のステップを踏んでいる。
白い雪の楽士達は、お祭りらしく派手な三角飾りをつけていた。もちろん飾りも雪である。
ポップコーン、綿飴、揚げパン、飾り飴、ソーセージにスープにホットワイン。食べ物屋台は充実している。お父さんの手をぐいぐい引っ張る男の子は、ホットレモネードの屋台を目指しているらしい。ワインもレモネードも雪だけれども、香りでそれと解るのだ。
しばらく見ていると、雪吹の人々がだんだんと家路につく。お祭りの会場を出て、森や丘へ向かうと渦巻く風に戻ってしまう。
レモネード屋台の男の子も、お父さんと一緒に丘の方へ向かう。
丘を登り始めた2人に、雪吹の竜がよってきた。2人が急いで近寄ると、竜は静かに止まる。男の子は竜の背中で、お父さんの腕にすっぽりと収まった。
2人が背中で落ち着くと、竜は再び上昇し、丘を越えて丸木小屋へと急ぐ。小屋ではお母さんが、心配そうに空を見ながら待っているのだ。
男の子は、胸に雪の帽子を大事そうに抱えていた。小鳥や花の模様がついた地模様のある毛糸の帽子のようだった。
帽子は、男の子には大きくお父さんには小さい。きっとお母さんへのお土産なのだ。初めてもらったお小遣いで買ったのかも知れない。
ブレンダンは、ポケットの中にある銅貨を触り、自分もお父さんとお母さんに何か買おうと思うのだった。
雪吹の竜が去り、男の子とお父さんが家にはいると、お母さんが嬉しそうに出迎えた。男の子とお父さんが上着や手袋を外しているところで、小さな雪吹の風景は終わった。
「これは買えるの?」
ブレンダンが聞くと、
「小さな吹雪は銅貨1枚だよ」
と、魔女らしき人が答える。
ブレンダンは、お祭のお小遣いとして銅貨を5枚貰っていた。
「これ買う!」
元気に告げるブレンダンに、両親がにっこりと頷いた。
「小さな吹雪に指先で触れると、いろんな形に変わるよ」
「やってみていい?」
「勿論さ。やってごらん」
魔女に言われて、ブレンダンは細い指で吹雪にそっと触れた。吹雪はさっそくくるりと回り、ウサギやリスに変わる。
「お話は?どうやるの?」
「さっきみたいにお話を見るためには、沢山の吹雪が必要なのさ」
「そうなの」
ブレンダンは悲しそうにうつむく。だが、目の前の小さな吹雪は幾つにも別れて行く。小さな雪の動物たちが輪になって踊る様子を見ていると、ブレンダンに笑顔が戻った。
「ぼく、やっぱりこれ買う!」
ブレンダンは、大切な銅貨を一つ、とんがり帽子のオバサンに差し出した。
「はいよ、ありがとね。冬の間ずっと遊べるよ」
「春になると消えちゃうの?」
ブレンダンは心配そうに尋ねる。
「いいや、とっても小さな透明な石になるのさ」
「すごいね」
「来年のお祭りに失くさないで持っておいで。もう一度吹雪にするには、銅貨はいただかないよ」
「やったあ!」
それから魔女らしきオバサンは、紫の瞳を悪戯そうに光らせて、こんなことを言い出した。
「もしもこの小さな雪吹が作る風の尻尾をみつけたら、乗ってごらんよ」
「乗れるの?」
「乗れるさ。風の尻尾に乗って、雪吹の国へ遊びにおいで」
「雪吹の国の子供たちと遊べる?」
「遊べるさ。トナカイのシチューもご馳走するし、お母さんとお父さんには、アザラシの帽子をあげるよ」
後ろで聞いていたお父さんとお母さんがびっくりした。
「まあ、そんな」
「困ります」
魔女らしき人は、見た目に似合わない可愛らしい笑いをふふっと漏らし、言うのだった。
「困るもんかね。銅貨1枚、きっちりお代はいただいてるよ」
ブレンダンの両親はますます驚くが、紫のとんがり帽子をかぶったオバサンは、ブレンダンに優しく品物を渡す。くるくると渦巻く珠に成った小さな吹雪を掌に乗せて貰うと、ブレンダンはパアッと輝く笑顔を見せて、オバサンにお礼を言った。
「雪吹の国へ遊びに行くよ!」
「ああ、楽しみに待ってるよ」
お母さんは、雪吹の物語で見た毛糸の帽子を思い出す。雪吹の国には無いかもしれない、色鮮やかな編み込み模様のショールでも、雪吹の魔女への手土産に用意しようと考えた。
「それじゃあ、またね!」
「ありがとね。待ってるよ!」
魔女は最後ににっこり笑うと、また仏頂面に戻ってしまう。何処を見ているのかまるで解らない紫の眼をちらりと見てから、ブレンダンは両親と一緒に、残りのお小遣いをどうやって使うか嬉しそうに相談する。
的当てや力比べで新記録を出した賑やかな鐘の音が、透き通った冬の空気に響き渡る。
ブレンダンは、掌で小さな吹雪を楽しみながら、他のものなんてもう要らないかな、と思うのだった。
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