サイドストーリー3 私の目に見えるもの
ティファニー視点です。
(はぁ…何やってんだろう、私)
培養液に浸かった状態で眠っているダミアン殿下の姿をボーッと眺めながら、私は深いため息をついた。
部屋中にはそれっぽい感じの魔法陣が発動しており、水槽の中に浮かぶ殿下の姿もまさに「魔法実験の被験体」という感じで様になっている。
これならレイチェルは簡単に騙されると思う。たぶん焦りと絶望でほぼ我を失った状態でこの部屋にやってくるだろうし。
それにしてもとんだ災難だよ…。
昨日の夕方、突然やってきたダミアン殿下の無茶ぶりのせいで昨晩は一睡もできなかったからね。
ただでさえ最近は子育てや日常業務に加えて、オリヴィアからもらった資料の分析と研究もあって睡眠時間がまともに確保できていないというのに。
もう…。レイチェルに関することになると理性を失う癖はそろそろ直した方が良いですよ、殿下。
…まあ、でもこれも殿下とレイチェルの幸せな未来のための協力だよね。ポジティブに考えよう。
しばらくして研究室の扉が開き、誰かが入ってくる足音が聞こえた。私は扉の方を振り返ることもせず、あえて冷淡な声で部屋に入ってきた相手に声をかけた。
「…来たのね」
「ねぇ、ティファニー、あなたまさか…」
「……」
レイチェルの声は激しく震えていた。予想通り、ものすごく動揺してるね…。
「何やってんの?…冗談だよね?まさか自分の家族を化け物にするつもりじゃないよね!?」
「……」
「…何か言ってよ!嘘だよね?ねえ、何考えてんの?頭おかしくなっちゃったの!?ねえ!!」
「……こうなったのはレイチェルのせいだよ」
「はあ?」
レイチェルの方を振り向き、無表情で彼女の目を見つめる。そして冷たく切り捨てるような口調で彼女に容赦ない言葉を浴びせる。
レイチェルは顔面蒼白で、今にも泣きだしそうな表情をしていた。
…ごめんね、今は心にもないことを言わせてね。
「…レイチェルさ、自分がどれだけ殿下に愛されてるか分かってる?」
「分かってるよ!でもそれとこれとは…!」
「へぇ、分かってるんだ?本当に?本当に分かってたらさ、あなたに何度も何度も拒絶された殿下が、追い詰められて極端な選択をする可能性があるのも理解できそうなものなんだけどね?」
「……」
言葉を失うレイチェル。私はダミアン殿下が屋敷にやってきてからの彼とのやり取りを彼女に説明した。
もちろん、実際には殿下の体を魔獣と合成するつもりなど微塵もないんだけど、そこはあえて「殿下の言うことを聞くことにした」と伝えた。
…顔はずっと無表情のままで、そしてレイチェルのことを責めるような言い方で。
私、悪役に向いているかもね。たぶん今の私めちゃくちゃ様になってるんじゃない?
「ごめん。本当にごめんなさい。ティファニーの言うとおりだよ。私が悪い。全部私が悪かった。でも…」
「……」
「だからと言ってこんなことを許す訳にはいかない」
そう言いながら真っすぐ私の目を見つめるレイチェルの視線には、明確な「敵意」がこもっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「今すぐ合成をやめて。じゃなければ私たち、ここで殺し合いをすることになるよ」
そう言って恐ろしい顔で私を見つめるレイチェル。これが世界トップ5に入る魔導士の威圧感か…。すごいね。
正直めちゃくちゃ怖いけど、まだ本当のことを伝えるわけにはいかない。彼女の口から決定的な一言が飛び出るまでもう少し粘ろう。
「やめてどうするの?このままレイチェルに受け入れてもらえなかったら、殿下は本気で自害でもなんでもすると思うよ。私は殿下を失いたくないの」
「とにかくやめて!お願いだからやめて。私が説得するから。絶対に彼を失いたくないのは私も一緒だから!」
声を荒げるレイチェルの、私に対する「敵意」がさらに大きく膨らむのが『見えた』。
…ヴァイオレット家の当主に伝わる『見破る目』という特殊能力。その能力によってヴァイオレット家の当主が『見る』ことができるのは人間の「敵意」だった。
具体的には自分の視界に入っている人間が、自分自身や自分の視界の中にいる他の人間に対して敵意を抱いている場合、その敵対心、憎悪、怨念、怒りなどがオーラのような形で見える。
そのオーラの大きさや濃さによって敵意の強さも判断できるし、もちろん敵意の対象が誰なのかもわかる。
当主がこの能力を持っていることも、ヴァイオレット家が王家の「裏の仕事」を長年統括してきた理由の一つなんだよね。スパイとか暗殺者の見分けはこれ以上なく得意だから。
でも本物の「特殊能力」であるローズデールやラインハルトのものとは違って、実はこの能力、代々うちの家の当主に伝わるアーティファクトの機能なんだよね…。
…って今はそんなことはどうでも良いか。レイチェルとのやりとりに集中しないと。
「ふーん、それって殿下の気持ちを受け入れるってこと?」
「…!……そうだよ!!ここまでされてこれ以上拒めるはずがないじゃん!!だから今すぐやめて!!やめてよ!!」
もはや泣き叫んでいるような感じになってしまったレイチェルの「敵意」がさらに大きく膨らんだ。これはもう「殺意」と言って良いレベルだね。
…そっか。レイチェルは殿下を守るためなら私と本気の殺し合いをすることもできるんだね。
正直、寂しくないと言ったら嘘になるけど、レイチェルにそこまで深く愛する人ができてよかった。
「はぁ…世話がかかるわね」
一つため息をついて、私は見せかけの魔法陣をすべて停止させた。
「最初から合成するつもりなんかなかったよ。少し考えればわかることでしょ?」
「…えっ?」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それから私は、殿下の体を魔獣と合成するつもりは最初からなかったことを丁寧に説明した。
最初は私の言葉を疑うような様子だったレイチェルは、私の説明を聞いてやっと極度の緊張状態から抜け出せたのか、安心した表情を通り越してどこか呆然とした様子になっていた。
「というかこの部屋の魔法陣、全部闇属性と無属性の適当なものなんだから、落ち着いてよく見れば魔獣召喚とか人魔合成のためのものじゃないってことくらい分かるはずなんだけどね」
私の言葉を聞いてボーッとした顔のまま魔法陣を確認したレイチェルは、次の瞬間少し恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「よほど焦ってたのね、レイチェル」
「…っ!そりゃ焦るよ!」
「まあそうだよね。ふふ。でもさ、これで殿下の愛の深さはよく理解できたんじゃない?…もうこれ以上殿下を悲しませないで」
「……」
「レイチェルもさ、本当は殿下のことを愛してるんでしょ?だって、私を殺してでも殿下を守ろうとしてたもんね?」
…少し意地悪なことを言ってみる。正直、あそこまで明確な殺意をぶつけられたのはやはりちょっと寂しかったから。
「…ごめんなさい」
「いいのいいの。私が今生きてるのはレイチェルのおかげだし?そのレイチェルに殺されるならしょうがないよねー」
「……ごめんってば」
「ふふ、冗談だよ」
意地悪はこれくらいにして…
「…私ね、レイチェルの治療、まだ諦めてないの。10年近く研究してて何の成果もあげてないくせに偉そうなこと言うなって話だけどさ…。でも最近、今まで見たこともないようなすごい資料が手に入ったんだよね。今、全力でその資料の分析と研究に取り組んでる」
「…そっか」
そう。オリヴィアが提供してくれた資料は、私が考えたこともないような観点での分析や見たこともない手法で行った研究のデータが大量に記載されている、大変貴重でユニークなものだった。
オリヴィアからの資料をベースに研究を続ければ、レイチェルの体を元に戻せる日がそう遠くない未来やってくるはず。私はそう信じていた。
「無責任に希望を持たせるようなことは言っちゃいけないと思うし、私のことを信じてとも言えないけど、少なくとも私は信じてる。必ずレイチェルを元の状態に戻す方法を見つけられるって」
「…うん」
「だからさ…もう自分から幸せを遠ざけるようなことはしないで…?レイチェルが私の幸せを願ってくれたように、私もレイチェルの幸せを心から願ってるから」
「うん…!!」
次の瞬間、レイチェルは号泣しながら私の胸に飛び込んできた。黙って彼女を抱きしめながら、私はレイチェルに私の願いが届くことを心から祈った。
あなたの体を治す方法は、私が必ず見つけてみせるからね。だからどうか私を信じて、目の前の幸せをつかんでね。
…世界中の誰よりも、幸せになってね。
本作はこれで完結しました。
読んでいただいた皆様、本当にありがとうございました。
実はこの作品、前作の最後のサイドストーリーの後書きで私が適当な冗談を言ったことがきっかけで生まれた作品なんです。
一応本作はその前作と世界観を共有していますので、まだ前作を読まれていない方はぜひ前作も読んでみていただけるととても嬉しいです。
前作:二周目の悪役令嬢は、マイルドヤンデレに切り替えていく
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そしてここまで読んでくださった皆様に作者から最後に一言!
『…世界中の誰よりも、幸せになってね』




